ちょっと前のわたしたち

【No.325】4月9日 Mehe * 【No.326】3月13日 Maki
【No.327】4月23日 Sara

 

No.327

4月23日 Sara (グラナダ)

ヶ月かこのコーナーへの参加もお休みさせて頂き、@スペインのスタッフの皆様には御迷惑をかけたと共に、優しい配慮に感謝しております。

 実は、ほんの5ヶ月前、1ヶ月の予定で日本の横浜の実家に帰省していて、1週間目(11月19日早朝)に母の寝たばこが出火原因となり、家は半焼し、母の部屋は火の回りが早く、母と実家を失う、というショックングな出来事を体験しました。 私は家の階段はもう使えなかったけれど、2階から飛び降り、そこに運よく車が駐車していたこともあり、そのボンネットがクッション代わりになったので、怪我もなく、今、続きの人生を送れることに感謝しています。

 わざわざ自分の悲劇を文章にするのもなにかと思いましたが、今、パソコンを開けて、自分の中にあるものは、やはりこの事件のことでいっぱいなことに気がつきます。 現実を認め、見つめて、無理をしないでちょっとずつ回復していくしかないのかなと感じ、やはり自分の中にあるものを書くことにします。

 一番辛かったのは、やはり、同じ家に寝ていたのに母を助けられなかったことです。 これは、もう一生切ない思いが残ると思います。 同時に、父が亡くなってから9年一人暮らしだった母が、この夜は一人で火事を体験しなかった、私が同じ家に寝ていた。 これが良かったことだと思えるのは、ほんとうにもっと先のことなんだと思います。
きっと、母は私にもっと生きて欲しかったのかなとか、それも、まだ答えが出きったわけではないけれど。。。

 私は家(日本で実家と呼ばれるもの)を失いました。
これも切ない。

 でも。 今回のこの事件で感じていているものは、それでも人生は続くです。 そう、泣こうが、わめこうが、いつも笑顔でいようが、人生は続くです。
じゃあ、笑顔ですごそうじゃないか、です。(笑)
人生ってときには、複雑です。 そんな中で、楽しく生きていこうとかっていうフレーズはなんかカッコつけに聞こえます。 でも、今の私にはその声がよく聞こえてくるような気がします。 そして、“あなたを愛してくれている人を大事に"です。 友達の愛、先生の愛、夫婦の愛、そして、父の愛、母の愛。。。。

 それぞれ、とても深いものと思います。 両親の愛は、母の愛はまた格別深いと思います。 私は母を失った今も深い母の愛を感じます。 ただ、今、母の手を握れない、声が聞けない、といった現実的な願いは切なくともかなわないものとなりました。

 さて、こう書いていると、私だけが悲劇のヒロインですが、それは今はまだそうしていて許される時期かもしれないけど、そうではありません。 皆が皆、大きくても、小さくても、悩みを抱えて毎日を過ごしています。 それは、病気とか、終わりのない悩みかもしれません。

 だから、私は今までもそうするように心がけてはきましたが、これからも人々の悩みも忘れないように、人の痛みを感じられるように生きていきたいです。 毎日寝るところがあって、食べ物があればいいかな、と思います。 一度失って、シンプルなものだけが残っていく、脱皮をしている時期なのかもしれません。 それだけ 私はあれも、これも、と欲張りに生きてきたのかもしれません。

 今回の日本滞在中には、追い討ちをかけるように、私をかわいがってくれていた叔父さんも失いました。 叔母とは、たいへんなときにお互い助け合い、いままで以上に特別な関係が結ばれました。 叔父の事も、もうがっかりとしかいいようがありません。 今回のいろいろなショックで私の胃には一気に穴があき、一時期は食事を戻す状態の日もありました。

 私に残ったもの、そして大事なものは。
一人の兄弟、兄と甥っ子。私の肉体、私の心、感性。
私がどうにもならなかったパニックの時に思ってくれた友達たち(旦那を含む)そして、フラメンコ。

 私の中にこんなにフラメンコがあるんだ、ということをいつも自分でびっくりさせられる。 私は、フラメンコに対していつも私にとっては異国の文化なので自分のものになってないのだろうとどこかでいつも境界線をひく。
でも、私の中にフラメンコはある。

 母の事故があって、5日目だったか、11月23日の勤労感謝の日は、昔のクラスの先生や仲間と練習をしていて、その日がライブの予定日だった。
たまたまその日は、事故処理が休日のため何もなくて。
私は、なんと、朝、ふらふらっとフラメンコシューズをもって、ライブの会場に向かった。

 昔の仲間達は何も言わずに私の踊る部分を譲ってくれた。
衣装は火事の時に燃えてしまったので、皆が貸してくれた。
それからも、週末だけは汗をかきに練習しにいったり、教える機会も皆が持たせてくれた。 踊っているときは、なにもかも忘れると同時に、私の肉体が今、存在していることや、フラメンコをすることを許してくれて、スペインに行くことを認めてくれた両親、、そして私の踊りを好きだといってくれた母が同時に私の中に認められた。心地よい時間だった。

 両親が私を存在させた。 そして、火事の中から私だけは、と助けた?母の分も精一杯、生きていきたいと思う。

 うーん。 やっぱり、文章にしてみると、まだまだ文章を書ける状態ではないのですねー。 読み辛いし、重い文章でごめんなさい。

 そう。 いいたかったことは。“がんばっていこう!"です。
私はこんなことが起こりました。 でも、がんばってます。
あなたは?

 

No.326

4月15日 Maki (横浜)

昨夜、お風呂に入っていたら窓の外から聞こえてきた、お琴の音。

それだけなら別に何にも珍しいことじゃない。
だって、お風呂のすぐ向こう、うちのお隣のおばさんはお琴の先生。
何を隠そう、私も昔はずっと通っていた。
実は4歳から17歳までお琴を習っていたのですワタシ。

だからしょっちゅうお琴の音色は聞こえてくるんだけど、昨夜は「おっ?」と思った。

聞いたことある曲。 でも、お琴用のいわゆる筝曲じゃない・・・。
なんだったっけ? テレビ? 映画?
しばらく考えて、思い出した。
宮崎駿監督の名作、「千と千尋の神隠し」のテーマソングだ!

へぇ。 こんなのも最近はお琴で弾くのかぁ。

最近、お琴だけでなく伝統的な和楽器で洋楽を弾いたり、若い世代の間で新しい試みがずいぶん行われていると思う。 現代風にアレンジされたり、翻訳されて海外で公演をしたりして、若い人の間で再評価されたり、国際的に賞賛されたりもしている。
だから、お隣さんの教室でも、こういう宮崎アニメのテーマみたいな“イマドキな曲”も弾いたりするんだろうな。 子供にとっては楽しいお稽古になるだろうなぁ。

実は、日本人に古くから愛されてきたお琴は、実は洋楽だって弾けちゃう万能楽器。
クラシックでも、ジャズでも、J-POPでも、アニメソングでも、な~んでも。

お琴には13本の弦が張ってあるけど、弦の下に「琴柱(ことじ)」というクリーム色の東京タワーみたいな三角形の器具を挟み入れて、その琴柱の位置を変えることによって、弦の音階を自由自在に変えることができる。 曲の途中(演奏中)に琴柱をササッと動かして変調することもある。
自由に変えられるわけだから、もちろんピアノのようにドレミファソラシドの音階にすることもできる。
あとは、お琴用にアレンジした楽譜さえあれば、どんな曲でも弾けちゃう。
(五線譜のままってのは、ちょっとキツイ)

そういえば私も、中学の頃に発表会でクラシックの有名な曲、ビバルディの「春」を弾いたことがあった。 調子をドレミに合わせて、筝曲用にアレンジされた楽譜で。
「トレモロ」といわれる、爪の角で琴の弦をカラカラ~と鳴らすお琴独特の技法がメロディにとってもマッチして、「へぇ~お琴って古い日本の曲だけしか弾けないわけじゃないんだ!」って、すごく感動したのを覚えてる。

物心ついたらお琴を習っていたからどうしようもないけれど、実は私も小学校の頃はピアノとかエレクトーンとか、そういう楽器をやりたかった。
なんでもうちの親は「ピアノみたいにたくさんの人がやらない楽器を習わせたかった」らしい。

でも、子供心には、ピアノができる友達が合唱コンクールなんかで伴奏したり、音楽の時間に五線譜がすらすら読めたりするのがうらやましかった。
「お琴なんて大きくて持ち歩けるわけじゃないし、弾くチャンスなんてそうそうないし、古い昔の日本のわけわかんない曲ばっかりで、つまんない。」
そう思った時期も、正直言って、あった。

でも、大人になるにつれ、琴を続けていくにつれて、不思議と琴の良さ、深さ、幅広さ、面白さが感じられてきたのだ。
そして今は、ホントに間違いなく断言できる。
お琴を習っておいて良かったなぁ、って。

そんなお琴も、受験の時期にやめて以来、もう10ウン年・・・
いつか再開したいなぁと思いながら、弾くとなると一度は専門の店に調弦に出さなくちゃいけないだろうし、そうしたらお金かかるし・・・なぁんていろいろ考えちゃってなかなか重い腰があがらず、結局ずーっと納戸に仕舞われている我が家のお琴。ああ可哀想。

でも、昨夜の音色を聞いていたら、できるだけ近いうちに再開したいなぁ、と思いました。
あ、ちなみに私の嫁入り道具はこのお琴です。(笑)

 

 

No.325

4月9日 Meche (京都)

事が終わってスタッフと打ち合わせをしてたら、携帯電話がなったので見てみると「侵入警報を受信しましたので現地へ急行中です。 到着後入室点検をさせていただきます」と警備会社からのメール。
うっそ!!!

 両親が仕事の都合で別のところに住んでいて、私は実家で1人暮らし中(+ ねこ2匹)。 気楽な生活を満喫してる私だけど、親にすればそうはいかない。 なにかと物騒な事件が増えてるもんだから、両親の不安は募る一方。だから連絡が付かないと思いがけない行動にでる。

 ある日、私に電話をした母。 出ない・・・。 携帯に電話をする。 出ない・・・。 今日は家にいるって言ってたのに、もしかしてっっっ!!! 不安になった母はお隣に電話。 「娘が殺されてるかもっ!」ビックリしたお隣のおばあちゃんは、庭の垣根を越え居間を覗く。 そこには・・・お風呂上りにごきげんで歩いてるパンツ一丁の私。 お母さん・・・お隣のおばあちゃんに居間のガラス戸越しにあいさつされたとき、私即死しそうになったよ。

 そんなこともあり、みんなの平和のため(お隣のおばあちゃん、両親&私)去年家を建て替えるときホームセキュリティーを付けました。
そして、そのセキュリティーが初感知。

 「きっと犯人はにゃんこだね。 警備のお兄さんが家に入るときにゃんこ外に出たりしてないかなぁ・・・心配だなぁ」と警備会社から連絡を受けて電話してきた両親とそんなことを話し、車で家に向かっていてふと気が付いた。 入室点検ってことは、部屋だけじゃなくもちろん押入れもトイレもお風呂場も脱衣場もぜ~んぶ見るんじゃん!!!!! きゃーっ!!!!!!!

 キッチンには洗ってない食器がっ、部屋には散乱したマンガがっ、そして脱衣場には脱ぎ散らかした下着がぁっっっ!!!!!!!!
即死・・・。

 おかげさまで、それ以来訪問者がいなくても(ほどほど)きれいな我が家になりました・・・。

 ちなみに、警備に引っかかった犯人はやっぱりにゃんこでした。 おばかっ!

 

 

 

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