何ヶ月かこのコーナーへの参加もお休みさせて頂き、@スペインのスタッフの皆様には御迷惑をかけたと共に、優しい配慮に感謝しております。
実は、ほんの5ヶ月前、1ヶ月の予定で日本の横浜の実家に帰省していて、1週間目(11月19日早朝)に母の寝たばこが出火原因となり、家は半焼し、母の部屋は火の回りが早く、母と実家を失う、というショックングな出来事を体験しました。 私は家の階段はもう使えなかったけれど、2階から飛び降り、そこに運よく車が駐車していたこともあり、そのボンネットがクッション代わりになったので、怪我もなく、今、続きの人生を送れることに感謝しています。
わざわざ自分の悲劇を文章にするのもなにかと思いましたが、今、パソコンを開けて、自分の中にあるものは、やはりこの事件のことでいっぱいなことに気がつきます。 現実を認め、見つめて、無理をしないでちょっとずつ回復していくしかないのかなと感じ、やはり自分の中にあるものを書くことにします。
一番辛かったのは、やはり、同じ家に寝ていたのに母を助けられなかったことです。 これは、もう一生切ない思いが残ると思います。 同時に、父が亡くなってから9年一人暮らしだった母が、この夜は一人で火事を体験しなかった、私が同じ家に寝ていた。 これが良かったことだと思えるのは、ほんとうにもっと先のことなんだと思います。
きっと、母は私にもっと生きて欲しかったのかなとか、それも、まだ答えが出きったわけではないけれど。。。
私は家(日本で実家と呼ばれるもの)を失いました。
これも切ない。
でも。 今回のこの事件で感じていているものは、それでも人生は続くです。 そう、泣こうが、わめこうが、いつも笑顔でいようが、人生は続くです。
じゃあ、笑顔ですごそうじゃないか、です。(笑)
人生ってときには、複雑です。 そんな中で、楽しく生きていこうとかっていうフレーズはなんかカッコつけに聞こえます。 でも、今の私にはその声がよく聞こえてくるような気がします。 そして、“あなたを愛してくれている人を大事に"です。 友達の愛、先生の愛、夫婦の愛、そして、父の愛、母の愛。。。。
それぞれ、とても深いものと思います。 両親の愛は、母の愛はまた格別深いと思います。 私は母を失った今も深い母の愛を感じます。 ただ、今、母の手を握れない、声が聞けない、といった現実的な願いは切なくともかなわないものとなりました。
さて、こう書いていると、私だけが悲劇のヒロインですが、それは今はまだそうしていて許される時期かもしれないけど、そうではありません。 皆が皆、大きくても、小さくても、悩みを抱えて毎日を過ごしています。 それは、病気とか、終わりのない悩みかもしれません。
だから、私は今までもそうするように心がけてはきましたが、これからも人々の悩みも忘れないように、人の痛みを感じられるように生きていきたいです。 毎日寝るところがあって、食べ物があればいいかな、と思います。 一度失って、シンプルなものだけが残っていく、脱皮をしている時期なのかもしれません。 それだけ
私はあれも、これも、と欲張りに生きてきたのかもしれません。
今回の日本滞在中には、追い討ちをかけるように、私をかわいがってくれていた叔父さんも失いました。 叔母とは、たいへんなときにお互い助け合い、いままで以上に特別な関係が結ばれました。 叔父の事も、もうがっかりとしかいいようがありません。 今回のいろいろなショックで私の胃には一気に穴があき、一時期は食事を戻す状態の日もありました。
私に残ったもの、そして大事なものは。
一人の兄弟、兄と甥っ子。私の肉体、私の心、感性。
私がどうにもならなかったパニックの時に思ってくれた友達たち(旦那を含む)そして、フラメンコ。
私の中にこんなにフラメンコがあるんだ、ということをいつも自分でびっくりさせられる。 私は、フラメンコに対していつも私にとっては異国の文化なので自分のものになってないのだろうとどこかでいつも境界線をひく。
でも、私の中にフラメンコはある。
母の事故があって、5日目だったか、11月23日の勤労感謝の日は、昔のクラスの先生や仲間と練習をしていて、その日がライブの予定日だった。
たまたまその日は、事故処理が休日のため何もなくて。
私は、なんと、朝、ふらふらっとフラメンコシューズをもって、ライブの会場に向かった。
昔の仲間達は何も言わずに私の踊る部分を譲ってくれた。
衣装は火事の時に燃えてしまったので、皆が貸してくれた。
それからも、週末だけは汗をかきに練習しにいったり、教える機会も皆が持たせてくれた。 踊っているときは、なにもかも忘れると同時に、私の肉体が今、存在していることや、フラメンコをすることを許してくれて、スペインに行くことを認めてくれた両親、、そして私の踊りを好きだといってくれた母が同時に私の中に認められた。心地よい時間だった。
両親が私を存在させた。 そして、火事の中から私だけは、と助けた?母の分も精一杯、生きていきたいと思う。
うーん。 やっぱり、文章にしてみると、まだまだ文章を書ける状態ではないのですねー。 読み辛いし、重い文章でごめんなさい。
そう。 いいたかったことは。“がんばっていこう!"です。
私はこんなことが起こりました。 でも、がんばってます。
あなたは?