11月も下旬に入り、東京の都木『イチョウ』の紅葉も一気に進み始めた。
「なんか変な臭いがするな?」と思いつつ歩いていくと、足元に転がっている銀杏の実を見て「なんだ、銀杏か!」と、思う。 なんだ、銀杏かと思いつつ、帰るときにまだ転がっていたら拾って帰ろう、なんてワクワクもし。 でも、帰る頃にはすーっかり忘れているのだけど、でも、こうやっていちいち季節を感じられる、そういう風情、そういう風景があるのはいいですね、日本。
ちょっと前までは金木犀の香りがどこからともなくして、ワクワクした。 瞬時に、子供の頃の通学路を思い出し、どこか懐かしい気持ちになる。 季節の移ろいをちょっとしたワクワク感で知り、日が短くなった夕方の住宅街からは、秋や冬を感じる。「あ、この家の晩御飯はシチューだ」とか、「ここはカレーだな」「ここはおそらく鍋ではないか?」など。 嗅覚は勝手にアンテナを張り巡らし、遠い昔の記憶と摺り合わせては懐かしい記憶を呼び寄せてくれる。
いま東京での日没は4時半過ぎだろうか。5時ともなるともう真っ暗になる。
先日、久しぶりに休みが丸1日あったので東京・広尾にある有栖川記念公園に行った。 そこで、バトミントンやらフリスビーでさんざん体を動かし、そして、遅めのお昼ご飯に、すぐ近くのアメリカ系スーパーマーケットの駐車場で、毎日曜だけ出店している、某老舗スペインレストランのPollo
asado(ポジョ・アサード/鶏の丸焼き)を1羽分買って、仲間と2人でビールを飲みながら食べた。 私にとっては何にも代えがたい至福の時である。
いつもは2人でも1/2羽分しか買わず、そしていつもいつも、「一度でいいから1羽分、丸かじりしたい!」というのが私のささやかな夢でもある。 まぁ、そのときだって、結局は2人でいただいたので1羽というわけではなかったけれど、でも、美味しかった。 何かを食べながら、美味しい美味しいと感激できるものが、歳を重ねてくると減ってくるように思うこのごろ。 これを食べるときにはいつだって、「美味しい」と「旨い」を連呼する。
東京で食べるポジョ・アサードは、私のなかではここが一番だと思っている。 移動販売用の車で売られているので、テーブルも何もなく、全てがテイクアウト用となるわけだが、いつか、一人で1羽。いや、一人で食べると淋しいので、仲間を集めて、全員が1羽ずつというパーティでもしてみたい。
前に、バルセロナの友達が、「スペインでは土曜日の昼ご飯はどの家も毎週、ポジョ・アサードを食べるんだよ」と言っていた。 そして、かの有名なパエリアについては、日曜の昼ご飯なのだと。 でも、私は、そんな話をアンダルシアで聞いたこともない。 でも、羨ましかった。
そうそう。遅い昼食を済ませ、再び体を動かした後で、帰途につくと、あたりがすっかりと暗くなっていた。 でも、西の空を見上げると、夕陽こそ見えなかったが、その余韻が残る空に、昼の名残が残っていた。 そして、すっかり、もう7時か8時が近いものだろうと思い、休みが終わるという思いになっていたときに思わぬ勘違いのプレゼント。
「え? まだ5時過ぎじゃん!」
「まじー? 嘘だね!?」
そう。 体感的にというか、「暗い=夜」という感覚的にはすっかり夜になっていたのに、時計の針はまだ夕方の5時を回ったところで、2-3時間は感覚的に徳をしたことになった。 嬉しさ余って、当初の予定ではなかったが、銭湯に行き、たっぷり2時間ほど、湯やサウナに入った。
でも、このことがあって、私がいかに、普段インドアな生活をし、太陽の落ちていく姿にも関心を示していないかということがわかった。 自分では、いつも、朝日を拝むのも夕陽を拝むのも大好きなんだと言いつつ。
日本も、スペインも(おそらく)、寒くなってきました。
皆さん、体には気をつけて、ね。そして無理をせずに。
そして、温かく、温かく、過ごしてください。