ちょっと前のわたしたち

【No.292】4月3日 Meche * 【No.293】4月10日 Maki
【No.294】4月17日 Sara * 【No.295】4月24日 Norie

No.295

4月24日 Norie (バリャドリード)

 カンタブリアの海沿いの村、コミージャスというところに行ってきた。 サンタンデールから20キロほど西に行ったところの村で、近くにはアルタミラ洞窟のあるサンティジャナ・デル・マールもある。

 わたしが住むバリャドリードから3時間ほどのところなのだが、内陸と海沿いでは気候がまるで違うので、着るものの準備が大変。 お天気が良ければ水着で日光浴もできるだろうけど、急に寒くなることも考えられるし、半そでのシャツと冬物のコートは少なくとも必要だ。 大人はそれで我慢するとして、ちびの薄手のジャンバー、長袖のシャツ、トレーナーと荷造りしていると、「日本にでも帰るの?」みたいな大荷物になってしまった。

 さて目的地に到着。気持ちよいくらいの青空で、海もきらきら。 風はまだ冷たくてとても気持ちがいい。お散歩も、浜辺で砂遊びも楽しい。

 ところで今回の小旅行中、友人の誕生パーティがあった。 彼は、とある武道の師範で、生徒が100人近く集まってのパーティ。 スペインの風習にしたがって、誕生日の彼が費用を負担し、生徒たちが準備を担当することになっていた。9時半開始ということだったので、わたしたちも何か差し入れしようと、生ハムやおつまみを買い、会場に届けに行ったら、誰もいない。携帯で連絡すると、「みんな海に行ってるよ〜」

 え。 パーティの準備は?

 どうせ準備できてないだろうと、10時くらいに会場に行くと、やっぱり何も準備できてなくて、しかも人も集まってない・・・。 一応、大先生の誕生日パーティなんだけどねぇ。 やっとでてきた料理の中に差し入れした生ハム(←ハモン・イベリコ!)が食パンに挟まれているのを発見し、ちょっとガッカリ。 カナッペにしてもらおうと、念のため、バゲットパンも買っていったんだけどねぇ・・・。 わたしたちは、ちびもいたので、早々とホテルに引き上げた。

 翌朝、誕生日の主役である友人に様子を聞くと、「1時には帰ったんだけどねぇ。 一口も食べなかったよ。 何か食べようと思ったときには、もうテーブルは砂漠になってたのさ。 高い誕生パーティさ。 ははは。」誰彼に話しかけられてテーブルに近づけない先生に、誰かサンドウィッチくらい持って行けばいいのにねぇ・・・。

 そういえば、他の武道大会で出会った日本人が「日本だったら、即、破門になるようなことが毎日起こるんです。」と苦笑いしていたなぁ。

 

 

No.294

4月17日 Sara (グラナダ)

【ネガティブをポシティブに】

 こんにちは。 グラナダから石川です。 今日はフラメンコ舞踊家と私のもうひとつの顔、挙式コーディネーターで実感したお話です。

 挙式コーディネーターの仕事は、無事に済んでなんぼという面もあるし、その場の雰囲気でなんだか、私までとてもハッピーになれる仕事でもある。 もちろん、何かひとつでも小さなミスがあれば、それが尾を引く場合もある。 そう、ミスまでいかなくとも、私が小さなことを説明しそこねれば、遠い日本から来た御家族は現地の言葉がわからないというハンデがあるため、不憫な思いをさせてしまうのである。
100%物事が無事に運ぶことをまず祈る。 それはいろいろだ。

 ロストバゲージになりませんように。 御家族皆様の体調が良いこと。 基本はこのあたりだ。 あとは、もう雨が降りませんようにとか。 もう私が祈ってもどうしようもないことなどいろいろだ。 自分の挙式だったらどんなに気が楽であろうか! おまけに日本から来る御家族は、私に初めて会うわけだ。 どんなに心配か考えるともうそれは気が遠くなる。 というか想像がつかない。。。

 それでも、スペインは、アンダルシアという土地、私も好きなこの土地をチョイスしてくれて、そこの土地で2人の愛を誓おうというのだ! 私は神経が高ぶってぶるぶるしてしまいます。(笑) いや、ほんとうです。 こればっかりは「慣れ」ではないのです。 挙式のプログラムに関しては確かに慣れ、がありますが、主役が毎回違うため、ほんとうに毎回違うストーリーが生まれるのです。

 さて、私の人生。 自分ではポシティブにやってきたつもりでした。 ところが、今年に入って“これが本当のポシティブ”という精神を見せてくださった御家族がおりました。 この御家族、スタートからついてない。 アンダルシアの入り口、マラガ空港からが私の担当になってます。 丸1日の旅の後、やっと深夜の12時に1時間遅れで飛行機が到着。

 しかし。。。到着2時間前に電話確認して空港に居たはずの迎えの運転手が居ない。。。 しかも、御家族全員分のスーツケースはロストバゲージ、行方不明。。。 今回、王子様なはずの、新郎様から、夜の1時半に“運転手がいません"という電話はもう、ほんとうに寝耳に水である。 私は空港から100キロ離れたところで夢であってほしいこの電話の対処を考える。。。

 そして、翌日。 私は2-3時間おきにスーツケースの行方を電話で捜索。 その間にご家族はマラガあたりを観光しながら挙式の行われるホテルに夕方到着される。 もう顔に斜線の入っている私がご挨拶すると「日用品もちょっと途中でそろえてきましたし、着たきりにも慣れました。物は無かったら無いでどうにかなるんですね〜」
私は顔はちょっと笑ったが、そんなわけはない、と思う。 そう、今夜中、には、荷物が出てくるだろう。 きっと、 皆さんそう思ってるに違いない。 私も!

 その夜の中間報告はむなしかった。 相変わらず、行方不明と報告しなくてはならなかった。 しかし、お部屋に誰もいらっしゃらないのである。 新郎、新婦様は、なんと、バギーカーを借りて、ホテルの敷地内を散策中とのこと。私はぶったまげた。 私だったら、半泣きかなと。 挙式の当日は少し状況はましになった。 荷物が朝、マラガ空港から配達屋さんの手にわたって配達されるらしいのだった。

 喜びもつかの間。 挙式2時間前になっても配達屋はやってこなかった。 再び血の気が引いたが引いてる暇はない。 新郎、新婦様の衣装は手荷物だったでなんとかなったが、御家族は日本から出たきりの着たきりすずめ、である。

 ほとんどパニックの私を、なんと、スペイン人のホテルのスタッフが助け出したのだ。 ホテルのディレクターの服がロッカーにあるとか。 女性のフロントのスタッフも次から次へと、私も私もと、いろいろな服をいろいろ集めて持ってきてくれ始めたのだ! ぐずぐずしてはいられない。 とりあえず、御家族の部屋にお断りされる覚悟で持っていった。 ホテルのお客様までも「どうしたんだ、私たちに貸せるものはないか」と声をかけてくれた方々、同国の日本人の方もいらっしゃった。 御家族は、なんとも気持ちよくいろいろな服のなかから、自分のサイズにあったものを選び始めた。

 そして、そんなこんなで、挙式の一日は過ぎていった。 信じられない話だが、笑いの絶えない1日だった。 そんな精神力にスペイン人まで驚いた! 「きっと海外で不便なことはあるだろうって話てたんです。 でも、どんなことがあっても楽しく過ごそうねって皆で話たんです」うーん、聞けば納得である。 でも皆さん実際できますか?私は自信がない。 5人いたら、誰かめげませんか?それが普通ではないですか? いやー私ってついてない、とかってくさりませんか?

 とどめもある。 無事に挙式の終わった夕方に、御家族が休憩されているだろう時間に、とぼけたころに荷物が届いた。 そして、そのスーツケースは全部鍵がこじ開けられていたのだ。 再び ホテル中のスタッフが真っ青になった。 でも、電話をするのは私の役目である。 中身を確認するまで待って、ふたたびたずねたら「特に無くなったものはありません! 問題なし!です」きつねにつままれるように、でも胸をなでおろして私はホテルを後にした。

 この話にはおまけがある。
実はこの御家族と翌日、食べ歩きとフラメンコツアーというのを私がご一緒することになっていた。 夜にお迎えに行くと、流石に疲れた様子の御家族の顔、顔だった。 私は「この家族は楽しまなくちゃいけない」という呪文を胸に、まずは食べ歩きに誘った。 いつも私が行く 小さな、小さな 外国人には見つけられないタイプのバール(居酒屋)を3軒回った。 そこで、スペインで、グラナダで非常に一般的であり、そして、非常に気の利いた、と私が思う料理をいろいろ食べていただいた。 それは、日本で言えば 風呂吹き大根の美味しい小料理屋、とか。 味噌焼き鳥が美味しい立ち飲み屋とか、そういう感じの店をそろえてみた。 疲れた顔に色が戻ってきた。

 3軒目のしめは、やはり、スペイン代表選手、イベリコ豚さんに登場ねがった。 イベリコ産であり、黒豚であり、どんぐりを食べて成長したという条件を満たす生ハムである。 他のテーブルの生ハムとは色が違う、のである。 お酒が弱いはずの一家の大黒柱のお父さんもついついシェリー酒を飲んでしまったくらい美味しい!のである。(嘘でないです。 スペインに食べにきてね) 昨日の挙式の苦労話も皆でした。

 さあ。 そして、クライマックスは、グラナダ名物、ジプシーの丘、サクロモンテのフラメンコである。

 さて、ここで、舞踊家の石川は当然踊るのであろう、と期待されているかな、と思ったのでこの御家族にお断りしておいた。 サクロモンテのフラメンコは名門ジプシーの家族が経営しているタブラオである。 いちおう、グラナダの舞踊家として、顔がちょーっと知れてる石川は、出演者によっては歓迎される立場でもあり、敬遠される立場でもあるのである。 無理矢理踊ろうとすれば、こわいジプシーにいじめられる、のである。(いろいろな方法で、意地悪をするのである) 私は、御家族のために踊りたい。 でも、出演者に招待されないときに無理矢理踊るのはフラメンコではルール違反である。 それをいちおう、説明した。 実際、昔、グラナダで踊り始めたこと、道の角々で、女のジプシーに待ち伏せされたものだ。 彼女らの明日の食いぶちを外国人に取られてはならないのである。

 遠くから来たお客様をとれ、という意見もあるだろう。 でも、私は残される立場、ここに住むものである。

 さてさて。 もう私たち、御家族も含めて、風向きは変わっていた。 全てをハッピーにすごすこのファミリーにはマイナスイオンも逃げていく。 いきなり、ジプシー家族に謎の大歓迎を受けて、ビールはどんどん出てくるし、クライマックスの踊りのシーンでは、なんと、私も一緒におどったことのない、一家の長の女のおばあちゃんジプシーが私を踊りに招待したのである!

 私はいつも、このおばあちゃんはすごいなあ、と思っていた。 いくら、血を混ざるのをいやがるジプシーでも、21世紀のこの世の中、昔どおり生きていくにはいろいろ無理が生じてくるのである。 こんなふうに純粋なおばあちゃんはだんだん姿を消していくのだろうと、いつも見れる機会があれば、脳に焼きつける思いで見ていた、そのおばあちゃんである。

 私は心から光栄であり、そして、そこにそれを心から楽しんでいる御家族がいる。 会場の温度はきっと1度くらい上昇しただろう! そう、その魔法の瞬間があるから、私はそれに捉えられてフラメンコを追うのである。 その瞬間をこの御家族は目撃してくれたのだろうと思う。

 どんなフラメンコが良いかはもう好みの問題。 でもその家族のもとにフラメンコの底力をみせられたと思う。 迎えのタクシーを1時間以上待たせて私たちはフラメンコを見る、見る、見る。

 何か自分にふりかかったことを、くよくよ考えるなとか、前向きにいきましょうよ。って私もやってきたつもりだ。 でも、目の前でこの御家族のハプニングを一緒に体験して、本当の意味での、前向き。を見せてもらった。

 私は前向きと口からでても、顔が泣いてるときがおおい。
ほんとうに、ネガティブから、ポシティブにひっくりかえしてしまった人々を見た。 そして、それは、“家族"というチームワークだったように思う。 そこに、新しい家族である、新婦様が居たことも大変興味深い。
こんなことって"可能"なんです!
ありがとうございました!

(私事ですが。 フラメンコ月刊雑誌「パセオ・フラメンコ」の5月20日発売の6月号に私の13年間についての在西インタビューが2ページほど掲載の予定です。 もし書店で見かけたら、みてください。)

 

 

No.293

4月10日 Maki (横浜)

 実は今月から無職になった。
○度目(市販の履歴書だと職歴欄が足りなくなる回数)かの転職活動中・・・。

 この2年間は、同じ会社で派遣社員として働いていた。
今後ずっと更新も可能だったし、それを求められもした。
でも、担当業務の内容とか職場の体制とか上司のモノの考え方とか、色々なことが到底納得できない状況だったこと、そして「自分のやりたい仕事」「自分自身の将来のビジョン」「自分の年齢」その他もろもろを考えて、3月末の契約期間満了に合わせて辞めることを決心、更新を断ったのだった。花束

 最後の1ヶ月、引継ぎをしながら一応次の仕事を探してはいたのだけど、働きながらの転職活動はやっぱりなかなか難しくて、結局次がきまらないまま3月30日の最終日を迎えてしまった。

 この日、びっくりしたことがひとつ。 私が最終日という連絡を受けた取引先の営業さんたちが、朝から夕方まで何社も何社も続々と挨拶に来てくれた。 持参と郵送含めて、なんと13束の花束をもらってしまった。 社員でも前代未聞だという「花束13束」伝説を、職場にも派遣会社にも作ってしまったらしい。 まぁ、結局辞めてるわけだからなんともいえないけど、自分の仕事ぶりが得た信頼と思うとやっぱり嬉しかったし、次への自信になった。

 今月は一応転職活動に専念してるんだけど、なかなか思うようにはいかない。 急ぎすぎて納得しない会社に入ってまた転職するのはもう避けたいけど、かといって貯金もしてなかったし、年齢も年齢なので無職のままのんびり構えてもいられない。

 でも、一度しかない人生だから、自分が納得できる生き方をしていきたい。

 まだまだ当分先が見えない生活が続きそうだけど、たまには息抜きをしながら、頑張って前に進んでいきたいな。 そして、また休暇には笑顔でスペインを訪ねたい、そう心から願っているところ。

 

No.292

4月3日 Meche (京都)

 想い出がいっぱい。

 私は両親が建てた家、つまり実家に1人で住んでるのだけど、ひょんなことから突然“リハウス(建て替え)”する事になりました。

 「あそこが気に入らない」とか「古くて不便」とか色々文句をたれ、“いっそリハウスしちゃえばいいのに〜”なんて思ってた家だけど、お別れが決まったら、なんだかさみしい気持ちになってきて、どこを見ても“まだ使えるんじゃないかな”って胸がきゅんとしてます。
そんなふうに、きゅんきゅんしっぱなしで、一向に引越し準備の進まない私だけど住宅会社と引越し屋さんにせっつかれ、とうとう明後日、家を明け渡す事になりました。

Mudanza

 大変だぁ!

 この家には、私のモノだけでなく両親と妹のモノもつまってます。 それもたっぷりと・・・。 タンスから押入れから物置から、そこら中から次々と現れる“想い出の品々”。

 時間がないのに思わず手を止めてしまう“お約束の懐かしい写真”や“スペインで集めた他人にとってはごみのようなモノ”(←実際に、母にいくつか捨てられちゃいました)の登場は予想してたけど、“母が私を妊娠したときの腹帯”、“父が買いだめしたなぜか大量の蛍光灯”、“妹が何かを作る予定だったこれまた大量の布”、“私が高校生のときに使っていたおっさん仕様のお弁当箱”なんて、もうあふれかえる想い出で窒息しそうです。

 後ろ髪を引かれながらも、心を鬼にして処分した結果、少し呼吸は楽になりましたが、まだまだ 想い出がいっぱい、足の踏み場もありません。

 “新しい家ができたら、もうモノはため込んだりしない! 想い出は心にためればいいんだから”なんて、家族とともに誓ってみたりしてるけど、でもその前に、果たして引越しの準備は間に合うのか?

 あはは。 そんなこと心配してる暇があるなら、がんばろっと。
では。

 

 

 

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