こんにちは。 スペインはグラナダより、サラ(踊りの芸名)石川亜哉子です。 日本は猛暑が続いていると聞いています。 地球が疲れているのでしょう、世界中どこでも異常気象のようですが、日本のように湿気のある土地で、摂氏40度はどんなにきついことかと思います。 皆様に残暑お見舞い申し上げます。
【親知らず】
さて。 この歳で、私は親知らずです。 この歳だから、新しく生えてきてるとは思
えません。 既に生えてる親知らずが他の歯を押してるとか、何かの原因で歯ぐきがやられてるとか、なのでしょう。 ここ10日くらい非常に苦しんでいる私です。 左側の頬はムーミンのように腫れて、医者に強い抗生物質をもらうまでは睡眠不足が続き、救急病院にも駆け込み、お尻に注射されたりと、もう大変でした。 歯医者に駆け込んだところで、腫れすぎてて治療ができず10日間くらい腫れが引くまで辛抱です。
さて、さて、今日は待望の診察日。 薬のおかげで顔はしぼんだムーミンになり、痛さは麻痺しています。 でも、左側の顔はコントロールが上手く利かずに、人と喋っていると、右側の口から、涎が出てきたりして恥ずかしい思いもしています。 痛みはおさまっても、強い薬のおかげで、頭はなんだかぼーーっとしてますしね。 えっ? この歳って、いったい何歳かって? 貴方、女性に歳は聞かないもんです。 ハイ、失礼。
その後の経過
原稿提出後、石川さんから連絡があり、
歯医者での診察でレントゲンを撮った結果、痛みのあった左側に新しい歯が生えてきていたということです。 また、まだ痛みは出ていないが右側にも新しい歯が生えてきているそうで「若いのねぇ」という歯医者の感想だったそうです。
【舞踊試験、合格と不合格】
前回のこの「最近の私たち」では、私の通う舞踊学校で学期末試験があります、と書きましたので、結果をお知らせします。 というより、嬉しい結果が一つあるので、書きたい、です。(笑) 踊る人間国宝マリキージャの前で私の課題曲タラント(スペインのムルシア地方の炭鉱歌の踊り)を踊りました。 クラスメートは外に閉めだされ、つまり、踊る者だけが中で踊ります。
ドアを開けた瞬間、スタジオの前方に机と椅子を置いてペンを片手にマリキージャが座ってじーっと見据えています。 どうもここから試験は始まっているらしいのです。 ステージと同じく、登場の瞬間から踊り手としての身のこなしや、歩き方をしなくてはいけない、ということです。
私はギターの音がするのをじーっと待ちました。 そして一言、頭の中でおまじないを唱えました。 『師匠が12年間私に教えてきてくれた事、見せてきてくれたことを私は栄養として育ちました。 どんな風に育ったか確認してください。 私が尊敬するフラメンコな人間の一人である貴方の好みでありますように、それがたった一つの動きでもかまいません』 そう。 初めての体験でした。 ステージでは見ず知らずの人が沢山見ていて私の踊りを人それぞれに解釈するのでしょう。 でも、今日の客席には踊る人間国宝が一人、私がどんな表現をするのか見届けようとしている。 照明も何も無い普通のスタジオで。それは恐ろしくもあり、非常に興奮する出来事でもあり、なんだか経験したことのない感情を感じながら踊りに集中していきました。
激しく盛り上がる振り付けの部分で、私は珍しくあまりに興奮して一瞬ギターの音が聞こえなくなり、自分の感情で振り付けを踊ったのでタイミングがギターとちょっとずれた場面もありました。 でも、私は本番のステージと同じく、間違えましたという顔は見せずに、間違えた部分も計算でそうやったかのように続けました。(間違えたことは彼女の振り付けなので、当然先生はわかっている)
練習不足だったことを除けば私は満足する踊りが出来たのであとは結果を待つばかりでした。 さて、クラスメート全員が踊り終わってしばらくしてから、もう一度全員がスタジオに呼ばれて成績発表です。 一人一人名前が呼ばれ、評価を受けて、合格だったら、その曲に関してのお免状を渡されます。 姿勢は良い、でも手の動きが疎かだから注意すること、とか、それぞれの良い所、悪い所を鋭く批評していきます。 ほとんどがテクニックに関することだったので、私はきっと足が弱いからもっと足の練習をすること、とか、そんなことを言われるんじゃないかとどきどきしながら待っていました。
こういう結果発表を待つ時間というのは長く感じるものです。 私は実は、最後の最後だったので、もう実は不合格なんじゃないだろうか、とか、心配になってきました。 合格の人が多かったからです。 もう本当に冗談抜きで限界に近づいたとき、最後に私の名前が呼ばれました。 実は、さっと机の上を見たらお免状がもう1枚残ってたので、『きっとあれが私のお免状だ』とは思っても、顔はもう涙目でした。(笑)
実のところ、このマリキージャ先生は厳しくて私はいつもかなり絞られています。 彼女の踊りはスピードもあるし、私はついていけないときがありますし、普段のクラスではやはり、正確に振り付けを踊ることも要求されますので、私なりにちょーっと踊りやすくしてしまう私はよく怒られています。 そう、この10年で褒められたことって、少ないです。 『まあ
いいでしょう』程度です。 さて、私の評価が始まりました。 私は自分の耳を疑いました。 褒め言葉しか聞こえてこないのです。 え? 何事?
『彼女の曲への集中の仕方が素晴らしかった。 曲を伝えようとするその踊り。 皆と同じ振付けでも彼女の踊りは全く違ったものに見えました。 間違えた場所もあったけど、本番のステージがごとく堂々としていたのは正しいです。 彼女の強い意志、強い性格まで伺える、とてもフラメンコ的な踊りでした。
皆もまずは上手く踊ること、そして、上手く踊れた後には曲を伝えることをクラスメートである彼女を見て勉強していってください。』
今日踊った中で外国人は私一人。 あとは全員スペイン人。 今年の学期を締めくくるような言葉をスペイン人を差し置いて、外国人の私を使ってできるのか、この人は。 そんなにも懐が大きいのか、と思ったと同時に、今日の踊りを踊った充実感が沸いてきました。
私の踊りは先生の踊りのスタイルを尊重しつつも、異なった部分があります。 それを認められない先生は沢山います。 でも、彼女は堂々と自分の学校の生徒の前でもそれも良し、としたのです。 そして、確かに私は今日、私の全てを見てもらいたかった。 その意味が踊りを通じてわかる、ということも流石としかいいようがありません。 でも、私はその部分(つまり彼女の舞踊スタイルと違う部分)は注意される、とわかっていてみてもらったつもりなので、それを褒められるのは実際予想外でした。
さて。 いつかもこの「最近の私達」で書いた覚えがありますが、人生ってたまにご褒美が貰えると思います。 私の場合、外国人である私がフラメンコの本場であるスペインで実際にステージで踊る、という行為は、何度も私を止まって考えさせます。 今の私は心からフラメンコを求めて止みません。 大きなステップアップが見られない場合、自分が停滞してるんじゃないかって思うときがあります。 たまに心に聞きます。 『もっと進んでいいのだろうか? いったいこの先何があるっていうの?』 そいうことが、私には1年に1回くらいの間隔で来ます。 つまり、サンタクロースが北極からやってくるくらいの間隔です。 そんな期間をあけて、目に見える、耳に聞こえる、あるいは『確かに感じる』、つまり『貴方の道は間違ってないですよ。 進んでいいですよ』っていう何かプレゼントやメッセージが私に届くんです。 それは、私を勇気を与えてくれて、先に進む力をくれます。
この日はそのプレゼントの到着日だったようです。 今日のプレゼントはわかりやすく先生のハンコ入りお免状、ですね。(笑)
さて。 ここからが、お調子者の私の話の『おち』の部分です。 尊敬する人間国宝に褒められ、するすると木に登り、お免状を片手にクラスメートと祝い酒!ということにしました。途中で何人もの友人を誘い、皆にも一杯奢り、飲めや、歌えで大はしゃぎの私でした。友人達も私の試験のことを気にしてくれていたので、一緒に喜んでくれました。
そして、その日は深酒をし、次の日にももう1曲の課題曲の試験があることを忘れていた訳ではないけれど、心は有頂天になってしまっていたのです。 しかも、私の心には実は悪い考えがあったのです。
次の日の曲はセビリアの民謡でセビジャーナス、といってお祭りの時に踊る踊りで、複雑なものではないのです。 まあしかし、私の先生、人間国宝のことですから、長いスカート(バタ)を使い、アバニコ(扇子)も使い、マントンも使う、という舞踊性を出した踊りに変化はさせていますが、私はまあ、どうにかなるだろう、と考えていました。 そう、心構えからして、軽い気持ちだったのです。
さて。 次の日。 二日酔いでさっぱりしない体と頭で、その曲のことを深く考えることもなく試験の時間がやってきました。 ペアで踊る曲なので、スペイン人の女の子と試験に臨みました。 昨日とはうってかわって、曲が進むたびにいろいろ自分のミスが気になったりしてました。
そして、余裕もなく踊りを進めていると、どこで扇を出すのか、どこでマントンをひるがえすのか、とか、順番までが危うくなってきました。 そして、とうとう扇を出すべきとことではないところで扇をばしゃっ!と出すと、ペアのスペイン人の子も、つられて扇をばしゃっとやってしまいました。 その後、2人とも、あ、これは違う。。と思ったが、もう後の祭り。 そのときマリキージャ先生の声が響きました。『はい、退場』
もちろん、落第。 で、追試は9月だといわれました。 落ちたのは、大人では私と、私の巻き添えをくったスペイン人の女の子だけで、あとは、小学生の子供2人だけ、です。 私は、スペイン人の女の子に平謝りに謝りました。 彼女は快く許してくれましたが私はああ、昨日のサルは木から落ちた、と思いました。 先生からは『順番を間違えてパートナーを混同させるなんて話になりません』と厳しいお言葉。 ごもっともです。。。
しかし、その後、ウインクしながら、いたずらっぽい目で『昨日はあんなに難しい曲ができていながらねー。 どうしたのかしらねー、夏休みによく考えるように。 そして、子供達と9月に追試を受けること』 ああ。 この人は、私がこの曲は簡単って考えてたこともお見通しだし、あとは、子供達のための見せしめ、というのも考えてるのだな、と思いました。 そう、人を育てる、ということを本気でやっている人なのだなと感じました。
さて。 夏休みもラストスパート。
9月からは新たに新学期を迎え、私は彼女にもらった言葉の勲章を大事に胸にしまい、また新たに彼女の踊り、そして、人間性を学んでいきたいと張り切っているのでございます。
私も生徒を持つ人間として。
生徒に『よくできました』と褒めることは簡単です。 駄目だしをするほうが難しいと思います。 私は先生に駄目だしを10年間されて、初めて『よくできました』のハンコをもらいました。 私は、そう思うと、たまに、ま、いいか、と思って『よくできました』のハンコをあげてしまっているような気がします。 それで満足するなら、あげてしまおうかと思うことがあるからです。 でも、先生のように自分の芸術を大切にし、ハンコの安売りをしない姿勢にまた尊敬の意が強くなる今日この頃です。