ちょっと前のわたしたち

【No.29】4月2日(かおる) * 【No.30】4月9日(Taka)
【No.31】4月16日(Sara) * 【No.32】4月30日(Norie)


No.32
4月30日 Norie(バリャドリード)

 昔は映画好きだったので、キアロスタミの新作はチェックを怠らなかったし、当時の友人にも似たような趣味の人が多かったので、カサベテス特集をあそこでやるらしいよ、なーんて話をよくしていたものだった。スペインに来たばかりのときも、日本に比べると映画代はずっと安いし、歩いて3分のところに映画館があったので、バールで軽くつまんだ後、10時からのセッションを見て帰る、という生活を楽しんでいた。

 その頃のわたしは、ほとんどスペイン語ができなかったから、今思えば10分の1も理解できていなかったと思うけれど、それでも毎日映画館に行く贅沢は楽しかった。最近は、仕事もあって、留学生時代のような気ままな生活はできないし、映画館まで車で30分以上かかるので、もっぱらテレビで映画鑑賞。

 衛星放送の中には、オリジナル音声で聞ける番組があるのだけど、日本製の知らないマンガを日本語で見るのが、なかなか面白い。ある日、悪者グループと正義の味方それぞれがロボットを繰り出して戦うギャグマンガをぼけっと見た。どうやら土地の名物がキーワードになるらしく、「大阪の守護神だー!!」と阪神タイガースのユニフォームを着たバース型ロボットが出てきたのには笑った。あのぉ〜、スペイン人にはわかりっこないんですけどぉ。今の日本の子どもにもわからないと思う・・・。

 つい先日は、夜中に「もののけ姫」をやる、というので楽しみにしていて、そそくさとオリジナル音声を設定すると、何故か英語。英語版から翻訳しているせいなんだろうけど、ガッカリ。日本製のマンガで、オリジナル音声を選択しても、ポルトガル語だったり、英語だったりすることはしょっちゅうだけど、ガッカリ。

 特に邦画が好き、とか日本語が恋しい、ということはないのだけど、スペインで日本の映画を見つけると、わたしの場合、やっぱりウレシクなってしまう。例え、日本好きな友人のレンタルDVD店に「愛のコリーダ」が、ポルノコーナーにこっそり置いてあったとしても。(笑)

 

No.31
4月16日 Sara(マドリード)

 “今年のSemana Santa”(セマナ・サンタ 聖週間)

 “今年は何をする人ぞ”
やっとコートを脱いで、街にはテラス(机・椅子)が並び、 外でのビールが美味しい季節になると、毎年やってくる、 ちょっとした連休、セマナ・サンタ。連休だし、わいわい過ごしたい。 家族の居るグラナダにも行きたい。バリャドリード(トゥデラ・デ・ドゥエロ) の友人宅を訪ねて、羊とワインとプロセシオン(各教会から出される山車の行進) に興じたい。パラグライダーの仲間と飛びに行くのもいい。 皆の日程を聞きあったりして大騒ぎの末、今年は、北西、バリャドリードに進路を とった。

 “週末の3本立て。羊とワインとプロセシオン”
先ずは、メイン目的の羊料理。以前から、友人がお薦めのレストラン。 普段なら2時間ちょっとの距離が、渋滞のため、倍の時間が掛かった。 休日なのに、朝、7時半には起きた。辛かった。 羊への道は、私にとっては険しかったぁ。 体調は抜群。朝、適度に物を食べて、胃を起こし、昨夜も一滴の お酒も飲んでない。顔見知りの友人も何人か集まり、もう食べる前から 楽しい。美味しい物は、皆で美味しい、美味しいって食べると、3倍くらい 美味しくなる。 メニューがあるのか無いのか知らないけれど、必要もなかった。 羊・Vino(ワイン)・野菜。の3つ。 さて、羊の肉は、勿論、子羊。ちいさ〜い、やわらか〜い。 肉は一口サイズに切られ、それが、鉄の串に刺さっていて、一本、一本 小枝の薪であぶるように焼かれて出てくる。ナイフもフォークも要らない。 パクッ、コリコリっ、ジューシ〜〜〜!(コリコリは軟骨) ワインはその肉の味を更に引き立てる。 一見、普通のサラダは、食べてから唸ってしまった。 気が利いてるサラダなのだ。味付け、切り方、鮮度。う〜ん。 そして、普通は、一人一本食べるのはきついかなという串を、 私達7人で、8本食べ、お店の人も渋めに喜んでいた。 グラナダのシエラ・ネバダでも、羊、羊とよく食べた私は、 また違う羊の味を味わってしまった。ここが優勢な理由は、 ここのVinoが、肉によく合うことと、サラダが勝敗の鍵を握った。

 “プロセシオン”
木曜の夜と、金曜の夜、両日プロセシオンを見に出かけた。 木曜はメディナ・デ・リオセコという村に。金曜は、バリャドリードに。 2日とも大いに楽しんだ。木曜は、友人達の友達とも合流し、 15人とか17人とかっていう人数で出かけた。 結果。その村のプロセシオンの進みは、とても遅いことや、 スペイン人がそれだけ揃って、じっと行進を待つわけもない。 行進を追っては行くのだが、すーっとバールに入ってしまう。 次へ…。何軒はしごしたんだろう。次の日は二日酔いで目が覚める。

 金曜は、昼間体調を整えなおし、バリャドリードの中心、テレビ中継もやってる 市庁舎前広場、マヨール広場に出陣。 夜7時半から、11時過ぎまで、31の山車が私達の前を行進していった。 先頭は、騎馬隊。 金曜は、キリストが、十字架に張付けになり、死んでゆく行く日。 ここのは、山車を上手く並べて、順番にそれを見せてくれた。 十字架を背負う役の人には、裸足の人も多かった。バンドもよく練習している らしく、揃っている。子供達も沢山参加している。 しかし、ここは寒い。ほんとに寒い。真冬の格好と同じにしなくてはだめだった。 ふと見ると、行進の中の子供が泣きながら行進している。 5〜6歳か。寒いんだろう、眠いんだろう、この歳で、3時間の行進はきつい。 でも、逃げ出す様子も無く、泣きながら歩き続けていった。 一つ、一つの、山車の彫刻もなかなか素晴らしい。 グラナダ、セビージャ、マドリード、そして、今回、更に2個所のプロセシオンを見た。 全地方、全教会、違うものを見せてくれた。 張付けの場面の山車の一つには印象に残るタイトルが。 “Dios mi'o,Dios mi'o,Por que' me has abandonado,” (神よ、神よ、どうして私を見放したのですか) 見ごたえのあるプロセシオンだった。

 “ビックなおまけ”
今年は更におまけ付きだった。おまけと言うにはビックすぎる。 レアル・マドリード対 ビジャレアル戦を土曜日に観戦。 サッカーの報道関係の仕事に関わる友人のちょっとした通訳を兼ねて 行けることになった。住んで6年、でも、なぜか憧れのサンティアゴ・ベルナベウに 行く機会を逃していた。サッカー観戦は2回目。 いちおう、マドリードのチームびいきだけれど、サッカーには異様に疎い。 プレス席なので、静かに見ていた。 しかし、ド素人の私でも、レアル・マドリードの選手の動きの速さには驚いた。 そして、実際、テレビで見るより、スピード感が全然違うのだ。 ロベルト・カルロスなんて、もう、人間の限界超えてる動きだ。 試合はご機嫌な結果だった。4−0で、レアルの勝ち。 そのうちの、グティのボレー(って言うと、友人が教えてくれた)で決めたゴールと ロベカルのフリーキックでのゴールは、美しかった〜。 これが生で見れたのは、一生の思い出というくらい綺麗なゴールだった。
更なるおまけは、友人が仲良くしているラジオの実況中継のマリアノおじさんと、 ホセおじさんが、後半の時にラジオ中継している所に通してくれた。 そう、あの巻き舌の“ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ルルルルル〜〜ッ!!!” も生で何回も聞いてしまった。凄かったぁ。 そして、3回くらい生放送中に話題をふってきて、私達はラジオも初出演となった。 私がサッカー事情に疎いのは言ってあったので、漫才みたいなものだった。
マリアノ「いや〜、ビジャレアルのユニフォームは、黄色い、黄色い!君達の関係者じゃないの〜?応援しなくていいの〜?」
関係、ない、ないって。
マリアノ「おっと〜。選手交代。今出て行った選手は誰だったか見えた?」(おじさん、目が悪いらしい)
う〜〜〜ん。見ていなかった。……こんな放送がありなんだぁ。

 今年のセマナ・サンタ。北西に進路をとった事は吉と出た。 一緒に過ごした友人達全てに、ありがとうっ!

 

No.30
4月9日 Taka(日本)

 桜の花も散った東京。ふと気がつけば太陽の陽射しが日に日に強くなり、寒くも暑くもなくそして乾燥も湿気も感じない日光浴にはもってこいの季節。思い出すのはスペインの、歩道にまでせり出したBARのテラス席。陽光を目一杯浴びてビールを飲んでいるだけで幸せな日々。

 もしかしたらもうスペインの陽射しは、日光浴を心地いいとは言ってられないほど熱くて痛いものかもしれない。その熱さから逃れるために日陰を好んで席を選ぶ人も多いと思うけれど、日焼けしたくないという理由で日陰を選ぶスペイン人を私は知らない。もしかしたら多くの日本人のように白い肌を美の基準にしている人もいるかもしれないけどね。でも、スペイン人の多くの人が夏は小麦色に! と考えているように思えるし、その副産物でもあるシミやソバカスを恐れていない。実際には恐れているだろうけれど小麦色の美を得られる方がよりいいのだろう。

 前に、スペインの友人のオバアチャンから、「モレナ(小麦色)になりにビーチに行くわよ!」と誘われたことがあった。また、結婚式を間近に控えた花嫁が、「速くモレナにならなければ式に間に合わない」と焦ってビーチに通っていたこともあった。美白に夢中になる多くの日本人とスペイン人とは日焼けに対する価値観が根本的に違う、と驚いた。

 私は日に焼けようが焼けまいが気にしないタイプ。オゾン層の崩壊が年々深刻化している現実や、それによって紫外線が及ぼす悪影響も知っていたけれど、2年前の長期滞在時もたま〜にしか紫外線対策クリームを塗らなかった。肌は強いと思っていたし何よりクリーム代もバカにならない。また、スペインに居て細かいことを気にするのはバカバカしい! とも考えていた。しかし甘かった。当時日にさらし過ぎた肌の代償は今ごろ、いくつものホクロやソバカスと化して現れている。歳のせいもあるが怖いものだ。スペインに降り注ぐ紫外線は日本と比にならないほど強いので紫外線防止対策は十分に! と思う今日この頃である。

 

No.29
4月2日 かおる

 最近、ちょっと緊張している。

 実は、日本へ行くことになった。

 たった1週間ほど、仕事、しかも気が重くなりそうな会議の入った出張。 2年とちょっとぶりの日本。  (ここで初耳の親愛なる友のみなさん、ごめんなさい。 ほとんど誰にも言っていないのです。 プライベートで誰かに会えるかどうか判らない予定だから。)

インターネットのおかげで、私も日常でこうやって日本語が使えるようになった。 こちらに在住の日本人のお友達もたくさん出来た。 ここ数年で、それまでに薄れていた私の日本度は確実に上昇している。 でも、日本には「帰る」ではなくって「行く」のだ。

 知り合いに指摘された。 
  「ああ、日本へは帰ってくるって言わないのね。 帰るのはそっち(スペイン)なのね。」と。 久しぶりに会えるであろう人の顔や、せめて1日は顔を出す実家を想うとうれしいのだが、いざ、となるとしり込みしそうになる。 しかもずいぶん緊張する。 なにがそうさせるのか。 一つは仕事のプレッシャーであることは間違いないのだが、もう一つは、行くたびに「私はもしかすると、日本に「住む」ためには帰って来られなくなるのではないか」という不安を感じることだ。 私の町、電車、地下鉄、熟知していたはずの通りやお店の並びなどが、私を拒絶しているようにも感じてしまう。

 日本は情報や、モノの流れが速い。 それはとっても魅力的であるのだが、スペインで日本の情報をほとんど持たない私は浦島太郎と化す。 言葉は話せるが「異邦人」であるように感じる。

 根無し草のようにふらりと日本を出てきた。 日本人としてのアイデンティティを保ちながらも、ユニバーサルなキャラクターを持ちたい、と思ってきた。

 ある程度はそれを達し得たのかもしれない。 でも、日本から拒絶を感じるのは、私の日本に対する嫉妬からだろうか。 生まれ故郷として、いつでも、いつまでも無条件に私を受け入れてくれる、そんな暖かさを日本に求め、スネているのかもしれない。

 「行く」と無意識に言っているのは、そんな突っ張った心の現われなのかもしれない。

 多分、今回も短く慌しい滞在のなかで、私はまた日本に受け入れられたいと望み、それが拒否されたり、受け入れられたりで一喜一憂するだろう。

 今回は私の日本、ふるさと日本がどんなふうに私を迎えてくれるのか、楽しみでもあり、不安でもある。

 

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