今回取り上げるのはエル・グレコが1596年から1600年の間にドニャ・マリア・デ・アラゴン学院のために制作した祭壇衝立である。 これは制作こそトレドで行われたが、マドリードに設置されたエル・グレコ唯一の作品である。
この学院はアウグスチノ修道会の施設で、フェリペ二世の4番目の妃アナ・デ・アウストゥリアの侍女も務めたドニャ・マリア・デ・コルドバ・イ・アラゴンの寄進をもとに設立された。 現在、この建物は上院議事堂として利用されている。
今年はこの祭壇衝立の完成400周年記念であり、これを記念してプラド美術館がこの祭壇衝立を再現した展覧会を開いている。
この祭壇衝立は対ナポレオン独立戦争の間に、ナポレオン軍によって解体され、当時の姿のままでは現存しない。 祭壇衝立を構成していた作品は、《受胎告知》、《キリストの洗礼》のように独立した絵画作品としてプラド美術館のエル・グレコの展示室に展示されている。
この祭壇衝立を構成していた絵画に言及する資料はほとんど残されていない。 このため、この祭壇衝立を構成していた絵画がどれだったのか、それは一体何点なのか、研究者の間で意見が分かれていたのである。
これまでカモン・アスナールやラフエンテ・フェラーリが提唱した三点説、リチャード・マンやフェルナンド・マリアスが提唱する四点説、そしてペレス・サンチェスやアルバレス・ロペラの六点説が提出されていた。 三点説は《受胎告知》を中心にしてその両脇に《キリストの洗礼》とブカレスト国立美術館の《羊飼たちの礼拝》の二点を並べたものである。 この上部に《キリストの磔刑》を加えたものが四点説となる。 そして六点説は四点説の《キリストの磔刑》の両側に《キリストの復活》と《聖霊降臨》を配したものだ。
こうした論争に新たな説を提示したのが昨年、マドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館を皮切りにローマ、アテナと巡回した「エル・グレコ−アイデンティティーと変容」展であった。 そのカタログの中で七点説が提示されたのである。
ホセ・マヌエル・ピタ・アンドラーデという研究者がビルフレッド・リンコンによって1985年に発見されたマドリードの33の修道院の「財産目録」を根拠に祭壇衝立を構成していた絵画の数が七点であったことを主張した。 その財産目録の中に、エル・グレコの絵画が七点あったことがはっきりと書かれているのである。 最後の一点がどの作品であったのかは断定できないが、ピタ・アンドラーデは単なる憶測の域を出ないと断りながらも《聖母の帯冠》を挙げている。
で、現在開かれている展覧会では、こうした論争に対してプラド美術館が再構成した祭壇衝立によってどのような立場を表明するのかが注目されるのである。 財産目録に明記されているのだから七点説が最も説得力がありそうなものだが、それにも関わらずプラド美術館は六点の作品によって祭壇衝立を再構成した。 ここが面白いところである。
プラド美術館はそこのところをどう考えているのか。 プラドのホームページをのぞいてみると、ちゃんと七点説にも言及している。
今日では失われてしまった第七の作品によって祭壇衝立は完全なものとなっただろう。 それはもっと小さいサイズの絵画で、「キリストの顔」あるいは「天使によって礼拝される子羊」、「聖母子」に対応するテーマであっただろう。
つまり、七点目の作品は「失われてしまった」ために、祭壇衝立の再現から除外されているというのだ。
その2へ続く...
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