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第10回 ピカソは何美術? |
あのさ、ピカソって何人か知ってる? ま、知らなくても@Spainっていうサイトにスペイン以外のテーマを書くわけないから、すぐピンとくるんだろうけどさ。 個人的な感想かもしれないけど、ピカソがスペイン人だってこと知らない人って意外と多いんだよね。 うちの父親がそうだったときは驚愕したね。(^^; ピカソが生まれたのはもちろんアンダルシア地方のマラガだけど、じゃぁ、ピカソのお墓ってどこにあるか知ってる? 知らない人は悩み続けてください。(←いぢわる) で、ここからが本題。 以前、このコーナーの第2回でスペイン美術って枠が曖昧なもので、
っていう問題を提起したことがある。 この問題って何も俺だけが考えてるわけじゃなくて、20世紀の前半からいろんな人が論じてきた・・・っていうか好き放題言ってきたもの。 アントニオ・ボネット・コレアの「ピカソとスペイン」っていう論文にその詳細が載ってるんだよね。 読みながら爆笑しちゃったよ。これほど面白い論文も珍しい。
手元に原文があるときはそこから引用するけど、それ以外はこの論文から引用してみるね。 引用したページの記載がない場合はアントニオ・ボネットからの孫引き。 アントニオの論文はまず、アポリネールが1913年にピカソとスペイン17世紀を結びつけたところから始まる。 で、サバルテスやホセ・ベルガミンがそうした考えを引き継いでゴンゴラやケベードと比較するんだって。 アメリカ人の文学者でピカソの友人だったガートルード・スタインも比較的早くピカソのスペイン的性質を見抜いたひとり。 アントニオ・ボネットが引用してるのは特にキュビスムに関する記述。それによると、ガートルード・スタインはキュビスムが純粋にスペイン的な現象だって主張してる。 そして
なぁんて言ってるし。じゃぁ、ブラックはどうなっちゃうの? これにフェルナンド・オリビエの『ピカソとその友人たち』っていう本を加えれば、取りあえず、ピカソのスペイン人としての性格を強調する文章の一覧ができあがる。 ただ、ここまでは「ピカソはどこの美術なのか」が問題になってるわけじゃない。 第一次大戦が終わると、「伝統への回帰」って言って美術の世界でも右寄りの傾向が顕著になってくる。 ドイツではナチスが台頭してきて前衛芸術を「退廃芸術」と定義して徹底的に否定したのは有名な話。 で、ピカソが住んでたフランスでも「フランス美術の伝統」を称揚する動きが出てくるんだよね。 それまでフランス人にとって、ピカソはパリ在住のスペイン人画家でしかなかった。 でも、ジャン・コクトーなんかがそうした流れに沿ってピカソをフランス美術に取り込んでしまおうとした。 こうしてピカソを フランス美術 と捉える考え方が現れてきて、ピカソの作品がどこの美術に属するのか、その根っこが揺らぎ始める。 そして、スペイン国内でも「ピカソはどこの美術なのか?」って問題提起する人が出てくる。 フアン・デ・ラ・エンシーナがその筆頭で、結論として彼は、ピカソが
を持ってるんだって主張した。アントニオ・ボネットによると「ピカソ=ユダヤ」っていう誤解はここから生まれたらしい。 で、ピカソを スペイン美術 として初めて定義したのはラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナなんだそうな。 ピカソを「絵画の闘牛士」って定義したのは有名な話。 ただ、スペイン人だからって「ピカソ=スペイン美術」って主張する人ばかりじゃない。 エウヘニオ・ドールスなんて、ピカソはスペイン美術じゃなくてイタリア美術 、しかも
なんて主張してるし。 このドールスの主張に反対の声を上げたのがヴァルデマール・ジョルジュ。
おいおい、 アフリカ美術 にされちゃったよ。 問題をもっとややこしくしたのがヴィルヘルム・ウーデで、ピカソの作品には「スペインの陰鬱で神秘的な精神」が脈打っているとしながらも、ピカソが体現しているのは
だって言う。本のタイトルが『ピカソとフランスの伝統』っていう割に、もうほとんど ドイツ美術 扱い。 もうなんでもあり状態。 ウナムノの思想と日本の伝統を比較してる論文も見たことあるし、この調子だと
なぁんて主張することも可能かもしれないな。 むふふ♪
2002年6月15日 |
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