la cara
007 Marzo / 2002

 

石田さんとセレスちゃん

スペイン miniQ&A

セレスさんの目はどのくらい見える(見えない)状況ですか?

:幼い頃から少しずつ視力が落ちて行き今は全くの全盲です。でも子供の頃に見た風景や、色などを覚えています。

町並みや景色を、どうやって感じているの?

:近くにいる人に説明してもらうこともありますが具体的にはわからなくても、音や匂い、風の流れなどでその雰囲気を感じとることができます。それでも十分満たされる時があるのです。

連れがいるときに、してくれたら嬉しいことは何?

:景色の説明をしてくれると嬉しいです。視覚以外の感覚で多くを感じとっていますが、やはり「スペインらしい風景」を心のフィルムに収めたいです。

石田 信子 (ISHIDA NOBUKO)

【石田さんのホームページ】
http://member.nifty.ne.jp/ceres/

【写真】 1996年夏、ブルゴスにて共に歩く盲導犬のセレスと!



 「何度行ってもまた帰りたくなる場所、それがスペイン」
と語るのは、東京在住で福祉施設職員の石田信子さん。
自ら背負う視覚障害のハンディをものともせず、
スペインへと足繁く通い自由旅行を楽しんでいる活動的な彼女。
持ち前の明るさや好奇心旺盛な性格に加え、
「スペインは私に元気をくれる」
と笑う信子さんのニックネームはセレス。
共に生きる盲導犬のセレスからいただいた名前だ。
いまでは多くのスペイン愛好家たちのなかで
セレスさんとセレスの名は有名。
すでに20回以上も通っているスペインフリークの彼女が感じるスペイン。
今回はこれほどまでに魅了されたスペインとの出会いや、
セレスさんの心にいつまでも残っているスペインを感じてください。



 セレスさんこと石田信子さんがスペインと出会ったのは今から約13年前のこと。点字の新聞に掲載されていたスペイン盲人協会・カタルーニャ地方支部の“バルセロナで開催されるインターナショナルホリデイズ”の記事を見つけたのがきっかけだ。しかしその当時、スペインには全く興味を持っていなかった彼女は、スペインより他国で開催される自転車のタンデムツアーに参加しようとそちらを優先的に考えていた。だから、スペインツアーは単なる第二候補であり、むしろどうでもいいと思っていたのが正直な気持ちだったとか。とはいえ第一希望のタンデムツアーは800キロ余りを10日ほどで走るもの。自分にできるかどうか…と考えた末、頭の隅に置いていただけのスペインが急浮上。初のスペイン旅行が決まった。まさか、自分がスペインに魅了されその後も足繁く通うようになるとは思いもしない1989年のことだった。

 言葉や滞在生活への不安はあっても、なんとかなるさという楽観的な考えを持って望んだツアーは下準備も何もせぬままの出発となった。滞在地の、タラゴナ県にあるセグル・デ・カラフェルという小さな村に着くと、そこには世界各国からやってきた視覚障害を持つ参加者たちが総勢70名も集まっていた。そのほとんどはスペイン人とその近隣諸国からきた人々だ。当然のように皆には仲間意識ができあがっていく。そんななかで、なんとかなるだろうと思っていた言葉への楽観的な思考はどこへやら…ただ一人疎外感を覚えて心が閉ざされていく彼女。英語で話しかけられないばかりかコンプレックスさえ抱き始めていく次第。同室になったドイツ人とさえお互いを理解できるような言葉が喋れぬまま誰ともコミュニケーションがとれなかった。それがスペイン初上陸の数日間だった。

 そんな数日目のある夜のこと。食事中に参加者の誰かがふいに自分の母国の歌を歌い始めた。耳を傾け聴いていると、一人だったはずの歌声が次第にその曲を知っている者たちの複数の声に広がっていく。1曲が終われば今度は近くにいた誰かの国の歌。そしてまた別の国の歌…と各国の歌が次々と歌われていった。そして最後には誰もに馴染みのあるサイモンとガーファンクルのメロディーが歌われ始めた。「音楽とは不思議なもので、皆の心が和むんですね」と当時を振り返るセレスさん。このとき、気が付けば彼女も他の参加者と共に声を出し歌っていたとか。それは音楽が言葉や国籍、文化の違いからくる心の壁を超えさせてくれた瞬間でもあり、皆と同じ時間を共有する仲間意識を持たせてくれた瞬間でもあったのだ。この時を境に、周りの参加者たちとも積極的に語り合えるようになり、コンプレックスになっていた英語も自分の気持ちが変わることで堂々と話せるようになっていった。

 「人はたとえ言葉が通じなくても、通い合える会話ができる。
   心と心のコミュニケーションがとれる、そういうことを学んだツアーでもありました」

 セレスさんがこうしてスペインと出会ったのはまだ盲導犬のセレスとも出会う前のことだ。初めての大きな冒険でもあったこの旅から帰国するときの切なさは13年経ったいまでも昨日のことのようによく覚えているとか。また、この旅で忘れられないことの一つには、”参加者をサポートしてくれたスペイン人スタッフたちの姿勢”というものもあった。障害を持つ彼女らが困っていたり出来ないことがあるときに彼らはとてもスムーズで、決して過剰ではない手助けをしてくれたという。しかし、初めはそんな彼らの姿勢の意味さえわからず、逆に不信感をもつのらせていた。例えばホテルのレストランに入るとき彼らはまず、「どこに座りたいの?」「誰と座りたいの?」と聞いてくる。しかし、どこが良いかと聞かれても、私たちには見えないのだからわかるわけがないじゃない…と思うばかりだった彼女。それも仕方ない。日本でどこかに行くときには、手を貸してサポートしてくれる人がその人の善かれと思う場所に連れていってくれることがごく自然な流れだった。しかし、スペイン人の彼らの呼びかけはそうではなかった。それが決して不親切なことではない…と気がついたのは参加から数日経ってからのこと。彼らがしているのは個人の意思に任せるということ、つまり私たちの意思を尊重してくれているのだ…と気がついたのだ。それは今までにはなかった大きな喜びとなり同時に感動を与えてくれるものでもあった。

 スペインは二度とは行けない異国の地―そんな切ない思いを抱きながら帰途についたセレスさんだが、帰国すると日増しに、また行きたい、絶対に行こう! と、強く考えるようになった。そうしてスペイン語の勉強を始めた彼女。たとえ言葉が通じなくても通じ合えるものがある。しかし、言葉が話せたらもっと多くの人ともっともっとコミュニケーションがとれただろう! そういう思いが募ってのことだった。そして数年後には、スペインでの語学留学を果たしているというからその行動力は並大抵のものではない。

 その語学留学を実現させたのは1993年のこと。盲導犬のセレスと共同生活を始めたのは1991年からだ。その間の1992年にはセレスを初めてスペインに連れていっている。当時、すっかりスペインに魅了されていたセレスさんには、セレスにもスペインに慣れてもらおうという目的があった。もちろん、セレスを連れて行くことにセレスさん自身が慣れること、長時間の飛行機や検疫、その他の交通での移動や食事の与え方など、日本と違う気候や環境のなかでセレスと共にいかに慣れていくかということがテーマだった。
 語学留学を決意してからはバルセロナやグラナダ、サラマンカなどの語学学校7校宛てに現在日本で勉強していることや、視覚障害があり盲導犬のセレスと一緒に留学して授業を受けたい旨を綴った手紙を出した。国によっては、障害者が語学学校に通うことに対する目に見えぬ壁があるそうだが、スペインという世界ではその壁が一切感じられなかったという。なんと、送った手紙の7校中の6校からすぐに受け入れを承諾する返事が戻ってきた。最後の1校からは翌年になってOKの返事が届いたという。また、彼女自身、難しいと思っていたホームステイの受け入れ先がすぐに決まったのも印象的だ。そのホストファミリーから、一つだけ質問させてほしい…と尋ねられ、何を聞かれるのかとドキドキしていたセレスさんだったが、「盲導犬のセレスも一緒にお風呂に入るんですか?」という和やかな内容だったという。

 こうした地道な努力と準備の末、サラマンカの語学学校へセレスと共に留学することを実現させたセレスさん。その学校生活の中で盲導犬を連れているのは彼女ただ1人だけ。しかし学校側はあくまでも自然体で迎えてくれたとか。先生は黒板に字を書きながらさりげなく内容を声に出してくれたり、また、宿題のプリントをテープに録音してくれたりもした。それは決して、一人の先生だけがそうしてくれるわけではなく、授業の度に変わる先生の誰もが、また、生徒の皆が全般的によくしてくれたことだった。

 「受け入れる―という行為が日常に溶け込んでいる
   そんな温かみを感じさせてくれる国、それが私の感じるスペインです」

 現在までにもう20回以上もスペインを旅行してきたセレスさんだが、旅をするなかでは決して嫌なことがないわけではなかった。しかし振り返れば全て心に残る素敵な思い出ばかりと語る彼女にとって、嫌なことよりも喜びや感動の方が断然多くて大きいことがわかる。その中のほんの一例にすぎないが、ある冬のバルセロナを巡ったときのこと。サンツ駅に到着したその日はちょうどクリスマスだった。カルドナのパラドールに行こうと、近くに居た子供連れの女性にホームを尋ねたのがきっかけで立ち話になった。すると間もなくその女性は、「パラドールで誰かが待っているの?」と聞いてきた。それに対して、一人で旅行している旨を伝えると女性は、「今日はクリスマスよ。私の家でパーティがあるから貴方もぜひ一緒に過しましょう」と、見ず知らずのセレスさんを温かく迎え入れようと何度も何度も誘ってきてくれたとか。その心に、偉大な優しさを感じて胸を打たれたという。

 また、アンダルシアのウベダのパラドールに宿泊していたときのこと。冬の雨が降り注いでいたその日、たまたま廊下を掃除していたスタッフの女性に、「雨が降って外出もできないなんて淋しいわ」と、話しかけた。すると彼女は、「私が貴方と一緒にお買い物に行けたら淋しくなくなるかしら?」と微笑んだ。そして本当に、彼女は仕事が終わった後の夕方、セレスさんと買い物に付き合ってくれたという。このときもまた心に深くジ〜ンとくるものを感じ、ますますスペインが好きになったとか。

 いろんな意味で、特別なことではない、日常の中に受けとめてくれるというスペインの器の大きさを感じているというセレスさん。点字に訳したガイドブックや点字でプリントアウトしたデータを持って足繁く通うようになったスペインに、これほどまで魅了された最大の理由を一言で言うのは難しい。しかしあえて言うなら”日常の雰囲気”だと話す彼女は、スペインのいろいろな町の特に旧市街が好きだとか。風の流れや空気を感じ、靴底から伝わってくる足元に敷き詰められた石の並びや道幅、賑やかな子供たちの声を感じとる。人も音楽も文化も大きく異なる驚きを感じながら歩くスペイン。そこに転がっている日常のなんでもないことを全身で感じながら旅を続ける彼女にとってのスペインは、いつまでも永遠に関わり続けたい故郷のようなものだろう。


○ あとがき

 1989年にスペインに出合ってから早くも13年が経とうとしている。 その間には盲導犬・セレスとの出会いがあり、またパソコンの普及によって出会った仲間たちとの人間関係も蓄積されて、より活動的になり今を生きている彼女。「何度行っても、あの空気のなかに帰りたくなっちゃうんです」と、快活に語るセレスさんにはスペインの青空がピッタリだ。セレスにとって大きく変わる環境の変化に少しでも対応できるようにと、毎回日本から手荷物として運んでいるセレス用のドッグフードは1日分で300グラム。10日の旅程ならば3キロにもなるその重量を苦にもせず、セレスと歩いてきたスペイン。そこには素敵な出会いと人生の宝物がいっぱい。少しずつ年老いてきたセレスを想い、あと何回彼女と共にスペインを周れるだろう…と日増しに切なさを募らせるセレスさんだが、セレスを含めた皆の思いは一つ。これから先、1回でも多く、セレスさんがセレスとともにスペインを満喫できるように! と願っている。

インタビュー担当 Taka

 

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