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世 界 遺 産 * スペイン西部 *

 カセレスの旧市街, 1986
Ciudad vieja de Ca'ceres
サン・フランシスコ・ハビエル聖堂

 カセレスの旧市街はローマ人によって開墾され、8世紀以降、レコンキスタによって領土奪回を目指す キリスト教徒に対抗するためにイスラム教徒が要塞都市へと変化させた。しかし、旧市街を取り囲む城壁以外 はイスラム時代の建造物はほとんど残っていない。1229年にレオン王国のアルフォンソ9世がカセレスの街を 奪回。後に新大陸征服によって財を成した地方貴族たちが定住するようになり、街には次々と要塞化した貴族の館 がつくられていった。 しかし、カトリック両王は軍事的設備を備えることを許さなかったため、銃眼つきの塔はコウノトリの館に しか残っていない。
 15世紀に建てられたゴルフィネス・デ・アバホ邸はカセレスにおける民間建築の典型的かつ最も美しい例とされる。16世紀につくられたファサードはプラテレスコ様式で、建物には2基の塔が備えられている。
 他にも城壁内の狭い範囲にベレタス家の館、カルバハス家の館、オバンド家の館、猿の館、大司教の館、サン・マテオ教会、サンタ・マリア大聖堂など中世に建てられた建物が多く存在し、旧市街全体が当時の状態を保っている貴重な文化財となっている。

 サラマンカの旧市街, 1988
Ciudad vieja de Salamanca
旧市街

 スペインで最も美しいと言われるマヨール広場、そして、スペイン最古の大学であるサラマンカ大学があることで有名な街であるが、旧市街には、ほかにもその美しさを誇る歴史的建造物が数多く存在する。
 マヨール広場は18世紀前半、フェリペ5世の命によって、建造された。その設計にはアルベルト・チュリゲラが携わり、調和のとれた美しいバロック様式の広場を作り上げた。サラマンカはチュリゲラ様式と呼ばれる建築様式を確立したカタルーニャ出身のチュリゲラ一族が活躍した場であった。
新カテドラル サラマンカ大学は1218年に創設された。1534年に作られたファサードはプラテレスコ様式の傑作といわれ、緻密なレリーフが施されている。
 無数のホタテ貝の装飾が外壁に施されている建物は「貝の家」と呼ばれ、2階にはイサベル女王時代の美しい窓がある。建物自体は15世紀に建てられたゴシック様式。この建物はサンティアゴ騎士団の騎士の邸宅であったため、サンティアゴのシンボルであるホタテ貝の装飾が施されている。
貝の館 サラマンカには新・旧二つのカテドラルがある。新カテドラルは1513年に建築が始まったが、たびたび増築がされ、完成したのは18世紀になってからであった。そのため、ゴシック、ルネサンス、バロックなど様々な建築様式が混在している。旧カテドラルは12世紀のゴシック移行時期のロマネスク様式の建物。
 ドミニコ会派のサン・エステバン修道院の聖堂は16世紀から17世紀に建てられた。1610年に作られたファサードはプラテレスコ様式で荘厳な装飾が施されている。1692年作のホセ・チュリゲラ作の祭壇衝立が美しい。

 メリダのローマ遺跡群, 1993
Conjunto arqueolo'gico de Me'rida
ローマ劇場のアーチ

 ローマ時代ルシタニア地方の首都として栄えていたメリダには数多くのローマ遺跡が存在する。グアディアナ川にかかる全長792メートルもあるローマ橋はローマ帝国時代につくられた最も長い橋の一つにあげられる。橋の最も古い部分はアウグストゥス時代に建造された。円形劇場は紀元前8年に完成し、その後拡張されたという。1万5千人もの観客を収容でき、剣闘士や、猛獣との戦いが行われた。そのすぐ隣にあるローマ劇場はローマ時代の典型的な劇場で、半円形をしている。6千人を収容できるという客席は大部分が崩れ落ちてしまい大幅な修復が施されているが、舞台部分は比較的保存状態が良い。
 紀元前1世紀ごろに建てられたというメディナ神殿は16世紀には個人の家に組み込まれていたという。そのすぐ近くからはローマ時代の住居跡が発掘され、精巧な幾何学模様や、ブドウ搾りのような日常を描いたモザイクが良好な状態で残っている。
 また当時の水道橋や貯水池、地下の水路跡も残っている。ロス・ミラグロス水道橋は全長827メートル高さは最高部で25メートルあり、3層のアーチからなっているが、保存状態が悪く今にも崩れ落ちそうな状態である。

 グアダルペのサンタ・マリア王立修道院(カセレス), 1993
El Monasterio Real de Santa Maria de Guadalupe

グアダルペの修道院 1320年、一人の羊飼いがグアダルペ川のほとりで、木彫りの聖母像を発見した。この聖母像には「聖ルカの手によって彫られ、714年にイスラム軍の侵攻から逃れてきたキリスト教徒によって埋められた」という伝説があった。そして、聖母像の発見はまたたく間に広がり、巡礼者が訪れるようになる。巡礼のために建立された礼拝堂が11世紀にアルフォンソ11世によって聖堂に建て替えられ、後にこの王立修道院となった。
 修道院には医学校、図書館、病院、宿泊施設なども完備されていた。修道院のもっとも古い部分である回廊は1389年から1405年にかけてつくられた。ヘロニモス会派によって運営管理され中世には「スペインのバチカン」と呼ばれるほど繁栄を誇っていたが、19世紀はじめのナポレオン軍の侵攻により略奪が行われ、修道院は一時は廃墟と化してしまったが、1908年からはフランシスコ会派によって管理されている。
 15世紀から18世紀にかけて増改築が繰り返されたため、修道院にはさまざまな建築様式が見られる。


 

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