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世 界 遺 産 * スペイン東部 *

 バルセロナのグエル公園、グエル邸、カサ・ミラ, 1984
Parque y Palacio Gu"ell y Casa Mila' en Barcelona
グエル公園のオブジェ

 主にバルセロナで活躍した建築家アントニ・ガウディの作品のうち、グエル公園、グエル邸、カサ・ミラの 三つが世界遺産指定されている。
 グエル公園はバルセロナ市内の小高い丘にある。当初は庭園住宅の開発が予定されていたが、その構想は失敗に 終わった。現在はバルセロナ市の所有となり、公園として市民の憩いの場となっている。
 公園を彩る破砕タイルを使った装飾の多くはジョセップ・ジュジョルによるもの。公園内には ガウディの独創性がいたるところに表現されており、自然を愛したガウディは随所に自然の造詣をモチーフとして 取り入れている。
 グエル邸は、実業家グエルがガウディに依頼してつくらせたグエルの個人邸宅である。グエルはガウディの良き 理解者であり、スポンサーとなった人物であった。グエルは資金を惜しむことなく、グエル邸の建築の一切をガウディに まかせたため、贅沢なつくりとなっている。グエルが完成した邸宅を大変気に入り、人々に自慢したことによって ガウディの名は一躍有名になったという。
 カサ・ミラはその姿からラ・ペドレラ(石切り場)と呼ばれている。依頼主ペドロ・ミラ氏の邸宅、そして 上階はアパートとなっている。屋上の煙突や出入り口にも独創的な装飾が施されている。

 ポブレー修道院(タラゴナ), 1991
Monasterio de Poblet
ポブレー修道院

 バルセロナ伯ラモン・ベレンゲル4世が、イスラムとの戦いに勝利した際、聖母マリアへの感謝の印として 修道院を作ることを決め、1149年、カタルーニャにおける最初のシトー派の修道院としてポブレー修道院が設立された。 絶頂期の14世紀には200人もの修道士がここで生活を送ったが、その後、ナポレオン戦争や、スペイン政府による 財産の没収、修道士の亡命、修道院の略奪などによって19世紀には修道院は廃墟と化した。1921年に国の文化財に指定 されると、修復が施され、1940年には再び修道院としての機能が復活した。
 修道院は三重の外壁に囲まれている。一番外側の城壁は修道院のために働く農民や職人を守るため。二番目の 壁は黄金色の扉、黄金の門(プエルタ・ドラダ)と同じ高さで修道院の付属施設を取り囲んでいる。そして、一番 内側の壁が修道院を取り囲んでいる。
 回廊は12世紀に作られ、15世紀に改築されたもので、ロマネスク様式の柱頭と、ゴシック様式の アーチが組み合わされている。回廊の周囲を修道院の施設が取り囲み、回廊が生活の中心になっていること をうかがい知ることができる。またこの修道院は1340年にペドロ2世が王室の墓所の建造を命じ、王や伯爵が眠る 場所でもある。

 バレンシアのラ・ロンハ, 1996
La Lonja de la Seda de Valencia
ラ・ロンハの大ホール

 地中海に面しているバレンシアは地中海貿易の中心として発展していった。1482年に、活発になっていた絹製品の商取引のための新たな交易所としてこのラ・ロンハは着工された。この地方で活躍していた建築家ペレ・コムプテは、マヨルカ島に既に存在していた交易所ラ・ロンハを手本にして設計したという。商取引の場となった大ホールと塔は1498年に完成したが、取引におけるトラブルの裁定を行った法廷や中庭などをふくむ建物全体が完成したのは1533年であった。
 ゴシック様式の建物の外壁には独特な装飾が施されている。大ホールは床にイタリア産の大理石が敷きつめられ、8本の螺旋状にねじれた柱がそびえ、柱の装飾と天井の装飾が一体化している。法廷として利用されていた部屋にはルネサンス様式の装飾がほどこされた華やかな格天井がある。

 バルセロナのカタルーニャ国立音楽堂とサン・パウ病院, 1997
Palau de la mu'sica catalana y hospital de Sant Pau, Barcelona
サン・パウ病院

 カタルーニャ音楽堂、サン・パウ病院ともに建築家ドメネク・イ・モンタネールの作品。ドメネクはガウディとほぼ同じ時代に生きた。モデルニスモの時代、バルセロナではガウディよりもドメネクの方が建築家として先に注目をあびた。 そのきっかけになったのはモンタネール・イ・シモン出版社の社屋(現在はアントニ・タピエス美術館)の設計であった。 先に成功をおさめたドメネクが建築学校の教授をしているとき、ガウディはその学校の学生であったという。
 ドメネクの最高傑作と言われるのが1908年に完成したカタルーニャ音楽堂である。建物には、タイルや彫刻など様々な飾が施されており、贅を尽くしたコンサートホールとなっている。ホールの天井の雫状のステンドグラスは実に見事である。
 サン・パウ病院はドメネクが手がけた作品の中では最大の規模の建築物である。14万5千平方メートルの敷地には大小あわせて48の建物がたっている。この病院は銀行家パウ・ジルの遺言に従って1902年に着工したが、建築に28年の年月を要したため、完成はドメネクの死後となった。病院とは思えないほど豪華な装飾が施されていて、特にムデハル風の病棟はユニークである。

 イベリア半島地中海沿いの岩壁画, 1996
Arte rupestre del Arco Mediterra'neo de la Peni'nsula Ibe'rica

 イベリア半島には地中海沿いを中心に先史時代に描かれた岩壁画が多く存在する。世界遺産として登録されている岩壁画はアンダルシア、アラゴン、カスティージャ・ラ・マンチャ、カタルーニャ、バレンシア、ムルシア地方に分布していて、全部で700以上に及んでいる。最も数の多いバレンシア地方では301もの岩壁画が確認されている。
 ヨーロッパ最大の壁画群であり、当時の生活の様子を生き生きと描いているため、人類進化の未発達段階における人々の生活を知る手がかりとして貴重な資料である。

 イビサ、生物多様性と文化, 1998
Ibiza, biodiversidad y cultura
イビサの民族衣装

 イビサの生物多様性と文化は海洋と海岸の生態系の相互関係の模範となっている。イビサ近海では貴重な海洋植物の固有種が発見されている。
 イビサは紀元前7世紀ごろから海の民であったフェニキア人の拠点となっていた。プッチュ・デ・モリンスには、フェニキア人の地下墓地が発見されている。その後もカルタゴ、ローマ、アラブと様々な民族によって支配されてきたため、多様性に富んだ独自の文化と遺跡を持つ。ダル・ビラと呼ばれる旧市街は国の指定文化財になっていて、周囲はルネサンス様式の城壁に囲まれている。

 ボイ渓谷のロマネスク教会群, 2000
Las iglesias roma'nicas del valle de Boi'

 カタルーニャ地方には約1900のロマネスク教会が存在するという。中でもピレネー山麓のボイ渓谷には高くそびえる鐘楼を持つロマネスク教会群があり、大自然の風景に溶け込んで格別の美しさを誇る。世界遺産には以下の8つの教会が登録されている。

サン・クリメン教会/Sant Climent(Taull)---Taull村のはずれに1123年に建てられた教会。内陣にはカタルーニャロマネスクの傑作と言われるフレスコ画「栄光のキリスト」の複製がある。(実物はカタルーニャ美術館に収蔵されている)
サン・フェリウ教会/San Feliu(Barruera)---一廊式で、後陣の装飾はロンバルディア様式。ポーチと鐘楼がある。
サン・ジョアン教会/San Joan(Boi')---ボイ渓谷の名前の由来になっているボイ村の教会。本来、建物は三廊式であったが、現在は後陣一つと、ロンバルディア風の鐘楼が残るのみとなっている。内部には聖エステバンの石責めの図と、旅役者を描いたフレスコ画の複製があるが、実物はカタルーニャ美術館に保存されている。
サンタ・マリア教会/Santa Mari'a(Cardet)
サンタ・マリア・デ・ラスンプシオ教会/Santa Mari'a de I'Assumpcio'(Coll)
サンタ・エウラリア教会/Santa Eulalia(Erill-la-Vall)---12世紀に建てられた教会。6層の鐘楼を持つ。この教会にあった有名な彫刻「キリストの降架」は現在はカタルーニャ美術館とビックの司教区考古学美術館に分割されて収蔵されている。
サン・キルク教会/Sant Quirc(Durro)
サンタ・マリア・デ・ラ・ナティビダー教会/Santa Mari'a de la Natividad(Durro)

 タラコのローマ遺跡群(タラゴナ), 2000
Conjunto arqueolo'gico de Tarraco
水道橋(悪魔の橋)

 タラゴナはローマ時代、タラコネンセ地方の首都タラコとしてイベリア半島における経済、文化の中心であった。 その当時の繁栄ぶりをうかがわせる遺跡がタラゴナとその郊外に多く残っている。
 海辺に建造された円形競技場(Amfiteatre Roma`)は2世紀初頭のもの。中央部分には6世紀後半の西ゴートの聖堂と、12世紀のロマネスク様式の教会の遺構がある。公共広場(Fo`rum Provincial)はタラコネンセ地方の 行政機関があった場所。ローマ時代の法務官の官邸が残っている。 郊外にある水道橋(Aqu¨educte Roma`)は通称「悪魔の橋」と呼ばれ、トラヤヌス帝時代のもの。二層のアーチからなり、最上部で全長217メートル。エスシピオネスの塔(Torre dels Escipions)は1世紀に建てられた墓標で、高さ約9メートルのところまで現存する。セントセジェス霊廟(Mausoleu de Centcelles)は4世紀に建てられたもの。バラ凱旋門(Arc de Bara`)は紀元前1世紀に建てられたもので、保存状態が非常に良い。高さ10.5メートル、一重のアーチから成る。

 エルチェの椰子園, 2000
El palmeral de Elche

 アリカンテの南西にある町、エルチェには200万平方メートルもの広さが椰子園がある。この椰子園は約2000年前に北アフリカからフェニキア人によって移植されたものであると考えられ、他地域の特徴的な景観が転移し、定着した代表的な例とされる。8世紀にはアラブの農業技術が導入され、当時の灌漑システムが現在も稼動している。ヨーロッパに持ち込まれたアラブの技術が現在にいたるまで活用されている例は非常に珍しい。


 

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