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世 界 遺 産 * スペイン北部 *

 ブルゴスのカテドラル, 1984
Catedral de Burgos
ブルゴスのカテドラル

 ブルゴスのカテドラルはスペイン・ゴシック建築の最高傑作といわれる。ここにはエル・シッドという 名前で知られるレコンキスタの英雄ロドリゴ・ディアス・デ・ビバールとその妻の墓がある。
 1221年にフェルナンド3世によって起工式が行われ、14世紀には建物の基本的な部分は完成していた。建築の中心になったのは司教マウリシオで、多くの建築家が工事に携わった。フランスの大聖堂を参考にし、また設計もフランス人によって行われたといわれている。15世紀にはドイツの建築家フアン・デ・コロニアが繊細な装飾をほどこした2本の塔などを手がけ、ゲルマン・ゴシックの要素を加えた。フアン・デ・コロニアの息子、シモンも建築に携わっていた。身廊にある聖歌隊席はフェリペ・ビガルニとアンドレス・デ・ナヘラの共同制作で、すべてクルミ材でつくられており、緻密な彫刻が美しい。身廊中央の祭壇衝立はルネサンス様式の美しい彫刻が施されているが、聖母マリア像はフランドル・ゴシック様式である。

 アルタミラ洞窟(カンタブリア), 1984
Cuevas de Altamira
マドリードの考古学博物館のレプリカ

 アルタミラの洞窟の壁画は1879年に弁護士であり古美術収集家であるマルセリノ・サンス・デ・サウトゥオラとその娘によって発見された。しかし、その発見の重要性は当初、学会では認められず、20年ほど経って南フランスなどで同様の洞窟壁画が発見されるようになってようやく、認められるようになった。
 洞窟内部の天井や壁面には、野牛、シカ、ウマ、オオカミなどが生き生きと描かれている。入り口から30メートルのところにある長さ18メートル、幅9メートル、高さ12メートルの支洞部分は「大広間」と呼ばれ、彩色の施された野牛の絵が多く見られる。この大広間の壁画はマドレーヌ期(紀元前2万−紀元前8000年)初めのものとされている。描かれている動物はどれも様々な姿勢をしていて、絵に動きがあるのがアルタミラの特徴である。

 オビエドとアストゥリアス王国のモニュメント, 1985
Monumentos de Oviedo y del reino de Asturias

 8世紀、イスラム教徒の勢いをとどまらせ、レコンキスタが始まったのはこのアストゥリアスの地からであった。最後までイスラムに占拠されることがなかったアストゥリアス地方は聖堂建築において多大な貢献をし、世界遺産には6つの聖堂などが登録されている。聖堂の建築様式はラミロ芸術とよばれ、第2期ラミロ1世統治下(842−850)とオルドーニョ1世統治下(850−866)に円熟期を迎えた。サン・ミゲル・デ・リージョ聖堂はラミロ1世の命によって建てられた。翼廊は失われてしまっているが、典型的なプレ・ロマネスク様式の石の格子窓や、繊細な彫刻などの装飾は今も美しいまま残っている。サンタ・マリア・デル・ナランコ聖堂はアストゥリアスの最も代表的な建築物である。905年から1065年まで聖堂として使われたが、それ以前はラミロ1世が住んでいた。サンタ・クリスティナ・デ・レナ聖堂は人里離れた場所にある。プレ・ロマネスク様式の特徴をもち、内部はビザンチン様式に共通する三連のアーチがある。オビエド市内のカテドラル内にあるカマラ・サンタは西ゴート王国の没落の際にアルフォンソ2世がトレドにあった聖遺物を保管するためにつくった聖堂である。サン・フリアン・デ・ロス・プラドス聖堂はプレ・ロマネスク様式で後陣に三連アーケードのついた窓と特有の回廊がある。ラ・フォンカラダは9世紀につくられた噴水で、水圧を利用した構造になっている。

 サンティアゴ・デ・コンポステラ旧市街, 1985
Ciudad vieja de Santiago de Compostela
旧市街

 9世紀初頭、聖ヤコブの墓がサンティアゴ・デ・コンポステラで発見された後、アストゥリアス王国のアルフォンソ2世の命によってその地に礼拝堂が建てられた。その後、872年にアルフォンソ3世によって改築。現在のオブラドイロ広場に面して立つカテドラルは1078年から1128年ごろにかけてつくられたものであるが、度々、改築が行われた。ロマネスク彫刻の傑作といわれる「栄光の門」は工匠マテオが20年もの歳月をかけて1188年に完成させた。中央にキリストを、そして周囲には十二使徒や天使、聖書に登場する人物などで飾られている。「ラス・プラテリアスの門」は12世紀初頭のものでロマネスク彫刻が美しい。
カテドラル 付属博物館に飾られているボタフメイロとよばれる香炉は7月25日のヤコブの日など重要な儀式のあるときに身廊と翼廊の交差部分の天井に吊り下げられ、翼廊の両端へと振り動かされる。「ボタフメイロの儀式」は12世紀に始まったとされ、カテドラル内の空気を浄化するために行われた。
 カテドラルの建造以降、周辺には住居や宮殿、修道院などが建てられ、町は徐々に発展していった。オブラドイロ広場に面してたつ現在のパラドールは、15世紀にカトリック両王の命によって王立救護院として建てられた。

 サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼の道, 1993
El Camino de Santiago de Compostela
栄光の門の聖ヤコブ

 聖ヤコブの墓の発見以降、サンティアゴ・デ・コンポステラにはスペイン各地、さらにはヨーロッパ各地から巡礼者が訪れるようになった。巡礼者が増えるにつれ巡礼路沿いには宿泊施設や救護院が整備されていった。巡礼者たちは聖ヤコブの象徴であるホタテ貝を身に付け、杖を手にサンティアゴ・デ・コンポステラを目指した。
 巡礼の道は様々なルートがあるが、世界遺産に登録されているのはフランスからのルートである。 フランスからは主にソンポルト峠を越えてハカへ入る道と、イバニェタ峠を越えてパンプロナへと入る道の2つのルートがある。双方の道が交わるのが11世紀にナバラ王妃によって作られた橋(王妃の橋)があるプエンテ・ラ・レイナである。その先にあるエステジャの街は小さいが聖堂と修道院が多く存在し、宿場町としても栄えていた。そしてログローニョ->サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ->ブルゴス->レオン->アストルガと続く。標高1500メートルのフォンセバトンには巡礼者たちが積み上げた石の山がある。ビジャフランカ・デル・ビエルソのサンティアゴ教会までたどり着けば神から免償を受けることができるとされていた。かつてのケルト人居住区であったセブレイロを抜け、さらに進むとモンテ・ド・ゴソという小高い丘へ。ここで初めてサンティアゴ・デ・コンポステラのカテドラルを目にすることができる。そして、サンティアゴ・デ・コンポステラのカテドラルにたどり着いた巡礼者たちは栄光の門で聖ヤコブの出迎えを受ける。

 ラス・メドゥラス(レオン), 1997
Las Me'dulas
ラス・メドゥラス

 ラス・メドゥラスはローマ時代の金鉱山の跡で、現在は栗林の間に赤茶けた鉱山の残土の山が見渡す限りに広がっている。
 金の採掘は紀元1年に始まり、3世紀まで続いたとされる。その間に掘り出された金は、諸説はあるがおよそ750トンにも及んだと見られている。最盛期はトラヤヌス帝(在位98−117)の時代で、150年以降は徐々に衰退の一途をたどった。金鉱山の採掘には水路を引き、貯水槽に貯めた水を山の上方から一気に流し、山を削り取るという、水を有効に活用した方法が採られた。

 サン・ミジャン・デ・ラ・コゴジャのユソ修道院とスソ修道院(リオハ), 1997
Monasterios de San Milla'n de Yuso y de Suso

 6世紀、サン・ミジャン・デ・コゴジャの山あいの洞窟でサン・ミジャンとその弟子たちが隠遁生活を送った。574年にサン・ミジャンが100歳で死亡し、多くの巡礼者が訪れるようになったこの地に、10世紀、モサラベ様式のスソ修道院と教会が建てられ、ナバラ王によって保護された。後に拡張された教会部分にはロマネスク様式もみられる。そして1053年に別の場所にロマネスク様式のユソ修道院が作られたが、現存する建物は16世紀から18世紀にかけて改築されたためルネサンス様式となっている。教会は後期ゴシック様式で、ルネサンス様式の要素も併せもつ。
 この修道院ではカスティージャ語で書かれた最古の文章が見つかっている。これは11世紀中頃、修道士によって書かれたとみられ、カスティージャ語の成り立ち、変化を知る上の貴重な資料である。

 ルゴのローマ城壁, 2000
La muralla romana de Lugo
ルゴのローマ城壁

 ルゴはローマ時代、ガラエキア(現在のガリシア)地方の中心都市であった。紀元2世紀ごろに築かれた城壁は、ルゴの旧市街の周囲を約2キロにわたって取り囲んでいる。城壁は72の半円状の塔と、10の門を持ち、高さ10メートル、幅3〜4メートルで、花崗岩の石板を積み重ねて造られている。町を守るために造られたローマ時代の城壁の中で、これだけ保存状態がよく、完全な形で残っているものは大変珍しい。城壁の上は現在、遊歩道となっており、旧市街や周囲を展望することができる。

 アタプエルカの考古遺跡(ブルゴス), 2000
Yacimientos arqueolo'gicos de Atapuerca

 ブルゴスの東15キロのところにあるアタプエルカ山脈の洞窟でアフリカから初めてヨーロッパへやってきたと思われる人類の骨が発見された。洞窟内数ヶ所で発掘調査が行われ、グラン・ドリナと呼ばれる場所からは約80万年前の原人の化石が発見され、ホモ・アンテセソールと名づけられた。このアンテセソール人は現代人とネアンデルタール人との共通の祖先であると考えられており、これらの化石の発見は人類進化の過程を知るうえで大変重要なものである。グラン・ドリナから1キロほど離れたシマ・デ・ロス・ウエソス(骨の深穴)と呼ばれる場所では、約30万年前のものと思われる化石約2500個が発見され、少なくとも33体の原人のものであるとみられる。この時代の原人はハイデルベルグ人と呼ばれ、アンテセソール人からネアンデルタールへの移行期の原人であると考えられている。一ヶ所からこれだけ多くの化石が発見されたことにより、その時代の原人の特徴をより正確に抽出することが可能となった。


 

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