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第2回 スペイン美術ってなに?

その1    その2

  美術が国ごとに性格が異なっていることは、当然のことと思われるかもしれない。 フランス美術、イタリア美術、スペイン美術、日本美術・・・。 こうした呼び方も、国ごとに美術の性格が違っているからこそ有効なものとなる。

 では、スペイン美術ってなんだろう? 「そりゃ、スペインの美術に決まってるさ。」 果たして問題はそう簡単に片づくのだろうか。

 ヨーロッパでナショナル・ステート、つまり近代国家の概念が成立してくるのはフランス革命以降。 「国民」という意識が成立してくるのは18世紀末から19世紀にかけてである。 スペイン美術が成立してくるのも、その前提条件となる「近代国家スペイン」が成立して以降、つまり19世紀になってからである。 それまでの美術は「宗教美術」や「宮廷美術」だったり、「カタルーニャ美術」、「マドリード美術」だったりはしたが、「スペイン美術」ではなかったのである。 「国立」のルーブル美術館やプラド美術館が開館し、コレクションを一般公開するのもまさにこの頃だった。

 面白い例を出してみよう。 最も古いスペイン絵画っていうものを考えて、最初に頭に浮かぶ画家は誰だろう? フアン・デ・フアネスとかフェルナンド・ジャネス・デ・ラ・アルメディーナを思い浮かべる人はまずいないとして、ふつう、エル・グレコじゃないかな。 神吉敬三氏のスペイン美術論集『プラドで見た夢 スペインの魂』(小沢書店、1986年)でも、まず論じられる画家はエル・グレコなのである。

 しかし、エル・グレコはスペイン人ではない。 クレタ島生まれのギリシア人なのである。 画家としての修行を積んだのはイタリアだし、スペインには職を求めて流れてきた異邦人でしかない。 エル・グレコという渾名も定冠詞こそスペイン語であるが、ギリシア人を意味するイタリア語の単語「グレコ」が未だに使われているところに流浪の画家たる所以がある。

 確かに彼の代表作とされているものの多くはスペインにやって来てから描かれたものだ。 スペインに来なければ、エル・グレコは「エル・グレコ」には成り得なかっただろう。 スペインで制作された美術という意味でスペイン美術を考えるならばエル・グレコの作品をスペイン美術と見なすことに矛盾は生じない。

 では、リベーラの場合はどうだろう? ホセ・リベーラ(1591-1652年)はその生涯のほとんどをイタリア南部ナポリで過ごしている。 最近ではバレンシア近郊のハティバで生まれたのではなく、実はナポリ出身、つまりイタリア人だという説まであるのだそうだ。 ただし、17世紀のナポリはスペインの副王領であった。 ここは当時スペインの貴族が統治していたため、スペインの一部としての性格をもっていたのである。 これに、リベーラの作品の多くがスペインへ送られていたことを加味して、彼をスペイン美術に加えることができるのかもしれない。

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バックナンバー
◆第1回 絵画は「もの」である
◆第2回 スペイン美術ってなに?
◆第3回 ボデゴン
◆第4回 再現の難しさ
◆第5回 美術品の裏の世界
◆第6回 それ僕の!
◆第7回 星へと続く道
◆第8回 典型的なスペイン女性
◆第9回 バルセロナ > ガウディ
◆第10回 ピカソは何美術?

 

 

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