JOANのカタコト

 

 

9.プラサ・カタルーニャの住人

  バルセロナのプラサ・カタルーニャはデパートや銀行の大きな建物に取り囲まれ、繁華街ランブラス通りの入り口でもあり、観光客も一度は通過する有名な場所です。それほど広い面積があるわけではないのですが、休日には様々な催しが行われたり、テロ反対のデモの集結地点だったり、ちょっとした昼休みの憩いの場だったり、待ち合わせ場所として使ったり、バルセロナっ子にとって色んな意味でシンボリックな場所でもあります。いってみれば、バルセロナの「顔」なのです。

  そんな広場に2000年の夏にちょっと変わった住人が現れました。それは30人ほどの黒人で、昼間はその辺のベンチでボーッとしていたり、ただブラブラしていて、夜はそこで寝る、つまりホームレスなのです。

  なぜそこに黒人ホームレスが登場したか、最初は謎だったのですが、調べてみるとそれは、シエラレオネ、ナイジェリア、セネガルなどからの不法移民だったのです。ではどうやって彼らがプラサ・カタルーニャに来たのかというと、それはそれはひどい話なのです。

  いわゆるブラックアフリカ出身の彼らはヨーロッパに行って出稼ぎをするために、仲介の人にお金を払ってスペインの隣国モロッコまでたどり着きます。そこで不法を承知でスペインに忍び込むのですが、通常はジブラルタル海峡を小船で渡って、アンダルシアの海岸に夜間に上陸する方法が一番多いのです。ところが失敗例も増え警備も厳しくなるにつれ、新しいルートが開発?されました。それはカナリア諸島へのルートで、船員になりすまし漁船に乗り込んで上陸したり、観光を装って飛行機で入り込むのです。到着するとその場で身分を証明するものを一切捨ててしまうのです。もちろん不法滞在なので警察に捕まりますが、彼らがどこから来た誰なのかは判らないのです。そこで一時収容センターに身元等を調べている間は留め置かれるのですが、あまりの人数にいくつかのセンターはパンクしてしまいました。困ったカナリアス自治政府はスペイン中央政府に助けを求め、軍用機などを使い捕まえた不法入国者達をスペイン各地の警察署に送り、そこで「一時的」に分散して収容することにしたのです。

  身分が判らない、あるいは身分は判っても、スペインとその人の出身国との間に引き渡しに関する条約が結ばれていないケースには、不法入国しても強制送還ができないのです。また彼らが来たのはモロッコ経由だとはっきりしていても、それは単なる通過国にしかすぎないのでモロッコに送り返すわけにもいかないのです。そしてどんどん増える人数に対応しきれなくなって、警察のとった措置は彼らに国外退去命令を与えることでした。それは「貴殿はこの国に滞在する資格がないので、すみやかに国外に退去するように」と書いた紙を渡し、警察署のドアから出ていってもらうのです。つまりこれは、国外退去命令という名の釈放なのです。彼らはカナリア諸島に不法入国したのに、イベリア半島まで運んでもらったわけで、ヨーロッパで仕事したいという希望に一歩近づいたありがたい釈放だともいえます。

  さて釈放された黒人たちは、もちろんお金もなければ仕事もない。ことばもできなければ、知合いもいない。そういう状態でカタルーニャの警察署で釈放されたグループは、バルセロナの真ん中プラサ・カタルーニャのホームレスになったのです。スペインの警察は不法移民を取り締まったのではなく、国中にばら撒いただけだったのです。

  広場の住人をどうするべきかには様々な意見がありましたが、市を管轄する警察はホームレスは犯罪ではないとして手を出さなかったようです。現実には一方で釈放した人を他方で捕まえるということが行われたとなると、体裁が悪い以上に警察の不祥事にもなりかねないので、見て見ぬふりをしているのかもしれません。その一方でキリスト教系の慈善団体は未成年の浮浪者ならば積極的に保護するのに、未成年とは思われない彼らに対しては何もしませんでした。

  彼らが出現して1ヶ月以上が経過した後に、州政府と赤十字の斡旋でこのホームレス達を果樹収穫の季節労働者として受け入れることが決まりました。州政府もプラサ・カタルーニャという「顔」に彼らがいることの体面の悪さと、様々な圧力によってこの超法規的措置を採らざるを得なかったようです。季節労働者だとはいえペーパーがないわけにはいかないので、中央政府との交渉の末に急遽労働許可を特別に出すことになったのです。

  これで一旦解決したはずなのに、しばらくするとまたプラサ・カタルーニャに黒人ホームレスが増えて、もとの通りになってしまったのです。どうやら同じルートで別グループが到着したらしいのですが、数ももっと増えて60人ほどでした。今回は交渉がうまく行かないまま月日は流れました。夏場には外で寝ても問題なかったものの、11月ともなると雨も降るし夜はかなり冷え込みます。見るに見かねたNGO団体が広場にテントを持ち込み、彼らを雨風から守ろうとしました。それは同時に政府の無策を批判する意味もあり、「恥のテント」とも呼ばれました。ともかくバルセロナの中心部に浮浪者のテントがあることの見栄えの悪さは、通り掛かりの人のみならず政治家でも誰でも感じたようで、そのままにしておくとホームレスと共に強制的に撤去するぞという市役所の脅しによって、テントは数日を待たずに組み立てた同じ団体によって自主的に解体されました。

  その後バルセロナ市役所等が屋根のある宿泊施設を用意して彼らを収容することになり、最長で4ヶ月間にわたり広場の住人だったという人までいた黒人ホームレス問題は、一応「暫定的収容」という解決を迎えました。彼らも前のグループ同様に超法規的労働許可をもらえ、州政府が適当な仕事を探して与えるといった約束は、現在までのところ果たされていないようです。いくつかある宿泊施設には、何故かブルガリア人のホームレス達も一緒に収容され、余計に事をややこしくしています。彼らの生活は毎日食事が与えられる以外にはこれといった進展もなく、希望のない日々を過ごしているのです。もっとも中央政府も自治政府も市役所も警察もNGOも、誰も何も根本的には解決できなかったわけで、とりあえず見苦しいものが目の前になければそれで良いといった、税金を使いながらも場当たり的移民政策しかとれない現状こそが、私の思う「ひどい話」なのです。

  それとは直接には関係ないのですが12月の末には、スペインに滞在合法化・労働許可を申請していた移民達のうち却下された28000人に国外退去が命じられると決まりました。この人達はすでに非合法ながらスペインに住んでいるわけなので、すぐにホームレスになるわけではないのですが、結局「国外退去命令」に従う人は少数で、大多数は非合法のまま在留を続けるのではないかともいわれています。その人達がホームレスになってプラサ・カタルーニャに住めば労働許可が下りると考え始めたら、一体どうなるのでしょうか?

  そしてこれを書いている2001年1月28日現在、バルセロナで一部の収容されている移民達が外国人法の改正に反対してハンガーストライキにはいっています。彼らは滞在合法化されないのなら、この場で死んでも同じだと主張しています。今後この問題がどうなっていくのかは未知数ですが、ペーパー一枚に命懸けとはすごいことです。日本人でスペイン留学している人など、自分では貧乏学生といっていても、実際には百万単位のお金を使っているわけで、同じスペインに住む外国人なのにこの差は何だろうって、思わず考えさせられてしまいます。

 

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