JOANのカタコト

 

6.エル・ネグロ

  カタルーニャ州の北部バニョレスという町のダルデル博物館に、70年の長きにわたって一体のミイラが展示されていました。そのミイラはブッシュマンの戦士の像として、博物館のガラスケースの中で、腰蓑と羽飾りをつけて槍を持った姿で、多くの人の視線を浴び続けてきたのです。

  1830年に死去し一旦は埋葬されていた彼は、フランス人の探検家ヴェロー兄弟によってカラハリ砂漠で「発見」されヨーロッパ大陸に運ばれ、その後の足取りは全て判っているわけではありませんが、最終的にカタルーニャの収集家フランセスク・ダルデル氏に売られ、後に氏の収集品を展示する博物館の重要な「一品」になったといわれています。

  さて、1991年になって近くに住むアルフォンス・アルセランというハイチ出身の医者が、こういうかたちで黒人のミイラ像を展示するのは人種偏見を助長するとして、博物館を管理するバニョレスの役所を相手に撤去を要求する訴訟を私財を注ぎ込んで起こしました。そこから長い長いマスコミ・住人を巻き込んだ議論が始まったのです。もともとこのバニョレスのあたりは観光地ではあっても外国人の多く住んでいる場所ではなかったのですが、90年代になってからは低賃金の労働力としてモロッコやブラックアフリカ諸国からの移民の人達が増えてきました。周りに黒人住人のいない時代には問題にならなかった黒人のミイラ像も、存在そのものが植民地主義の残滓と思われ、そんなものを展示すること自体レイシストのすることだという考えがしだいに浸透してきているようです。

  92年ごろには近所のお土産物屋さんで、まだ意識も低かったのかその黒人ブッシュマン像のミニチュアが売られていましたが、6年後の98年のカーニバルでは近所の住民が大勢でこのブッシュマン像の仮装をして、レイシズムと展示反対を訴えたこともあったそうです。物理的移民の増加とこの裁判による啓発の相乗効果で、しだいに住人の意識が変わっていったのです。

  結局市民をも巻き込んだ長い裁判の結果アルセラン氏の訴えが受け入れられ、ブッシュマンは98年になって展示からはずされ、マドリードの考古学博物館に送られました。

  そして今回突然スペイン中央政府の決断で、ブッシュマン氏は彼の生きていた時代には存在しなかった「祖国」ボツワナに「埋葬」されることに決まりました。ところがボツワナに到着し一般に公開された彼の姿は展示されていた時とは似ても似つかない、頭がい骨と手足の骨のみというミイラにあるまじき姿だったのです。同行した考古学博物館職員の話によれば、マドリードで分析した結果「本物」と認められるのはこれらの骨だけだという説明でした。展示されていた像の正体は、背骨は木製で金属を使ってそこに頭がい骨や手足の骨を繋ぎ、その上に粘土細工の体が作られ黒く色が塗られたものだったのです。一説によれば、もともとそのミイラの肌は黒色ではなく黄色だったともいわれます。埋葬するにあたっては、展示のための仮の肉体よりも本来の姿に戻すのが望ましいとのことで、骨だけが故郷に帰ったというわけなのです。

  しかしながら本物とされ祖国の地に帰ったその骨すらも、人骨であること以外にはアフリカ南部で発見されたブッシュマンのそれであるという証拠は何もないのです。もしかしたらヨーロッパで行き倒れた黄色肌を持っていた低身長の東アジア人の骨が、いつの間にかブッシュマンの偽ミイラになっていたかもしれないという想像だってできます。

  ともかくも祖国にもどったヨーロッパ帰りの英雄は、エル・ネグロ(カスティージャ語で黒人を意味する)と名付けられボツワナの首都の中心部にある公園の一角に埋葬され、横には石碑に「エル・ネグロ。アフリカの子。1830年に死去。ヨーロッパに行き、アフリカの地に帰る。」と刻まれました。埋葬式には当国の大統領まで出席する盛り上がりで、カタルーニャと現地のマスコミのそれぞれで大きく伝えられました。

  さて最後に、このことがカタルーニャ人達にとってどういう意味があるのかを考えてみます。

  自分達はスペイン人ではなく独自の民族カタルーニャ人だという主張を展開するためには、すべての民族には平等に自決権があることを前提としなければなりません。いいかえれば、他民族に対するいわれのない偏見を持たず、もちろん内部に人種差別などあってはならず、色んな民族が平和的に共存していくという理想を追求していかなければならないということです。カタルーニャ人がスペイン人に従属するカテゴリーではなく、対等のそれだとするのなら、かのブッシュマン氏だって黒人とかアフリカ人とか大雑把に捉えていてはだめなわけで、本来その所属する民族名で把握されるべきものなはずです。けれども由来自体が疑わしく植民地主義的存在だったエル・ネグロは、もはやカタルーニャにはその居るべき場所がないことを、今回あらためて認識したというわけなのです。カタルーニャ民族の自治自決にとってエル・ネグロは、この地に居てはいけない、居ないほうが良い存在になったのです。このブッシュマンの戦士による本人の意思とたぶん無関係の長い長い戦いの結果として、彼の民族が自決権を勝ち取ったわけではありませんが、カタルーニャ人にレイシズムの強い警鐘を鳴らしたのだとすれば、彼の異国での170年が空しい年月とばかりも言いきれないかもしれません。

 

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