JOANのカタコト

 

3. そごう

 そごうの経営がついに破綻しました。 以前バルセロナにそごうが出店していたし、現在でも同地に立つホテルの共同出資者でもあるので、このことは重要なニュースとしてカタルーニャ語圏でも報じられました。 しかし同時に、単なる極東の経済ニュースではない反応も見られます。

 1992年のオリンピックをめざし、そごうグループとアメリカの不動産会社との共同出資で、バルセロナ港湾地域開発の目玉として高層ホテルartsが建てられました。 バルセロナそごうはそのビルの地階部分に出店したのですが、オリンピック時には部分的にしか間に合わず、正式にオープンしたのは翌1993年の6月のことでした。

 バルセロナそごうは開店当初から、高級品だけを扱うブティックだけが入っていて天文学的といわれた値段のためか、庶民の客層をつかむことができず、赤字経営が続いていたのだそうです。 当時いわれていた悪口に「博物館そごう」というのがあって、これは見るだけで買えないことを意味していたのです。 私も当時一度だけ行ったことがありますが、あまりに非日常的商品ばかりで、2〜3分で素通りしてしまいました。

 本社の経営悪化と海外戦略の見直しの結果、バルセロナそごうは1996年には撤退が決まり、同年9月14日に3年ちょっとの短い生涯を終えました。こ れもバブル期に無理な投資をしたつけがまわった、日本企業の典型的な例だったのでしょうか。

 さて経営失敗の原因は別にして、当時の AVUI紙ではこんなことが話題になりました。ひとつは、そごうが夜逃げをしなかったことです。 それは閉店の日までちゃんと営業を続け、給料の他に違約金も従業員に払い、きれいなかたちで立ち去ったからです。 経営者がスペイン人だったら、きっと給料未払いで夜逃げして、旧従業員は訴訟を起こすというような事態になったのではという憶測までありました。 巨額の投資をして出店し、もうからなければ払うべきものを払って出て行く、金持ちニッポンの企業は不思議だという率直な感想なのでしょう。

 そしてもうひとつは、そごうに対してかなり批判的なのですが、言語使用についての問題です。 開店当時の内部資料が見つかり、その内容に対する告発でした。 そごうのスペイン責任者(日本人)のサイン入り文書によれば、「すべての従業員は、会社の中では共通言語としてカタルーニャ語ではなく、カスティージャ語を使わなくてはならない。 私達多国籍企業の日本人スタッフは、ただでさえカスティージャ語習得にも難があるので、カタルーニャ語使用によってより混乱させないようにしてもらいたい。」というようなことで、言語使用のルールを決めていたのです。

 問題は現実に何語を使用していたかということではありません。 日本企業がカタルーニャ語圏において、現地の人とのコミュニケーションに使っているのは、カスティージャ語か英語であるのはごく普通のことで、それだけでは非難されるほどではありません。 そごうの場合それをカタルーニャ語禁止という形で成文化し実践したことに、大きな問題があります。 それは仮に企業の論理としては通ったとしても、そこで生活する人々の理解を得ることができないからです。 フランコ時代を知らない若い世代でも、カタルーニャ語禁止に抵抗感を感じる人は多いでしょう。

 企業がある土地に進出するときに、その地方で起こっている問題に無関心で良いわけはないのです。 スペインのカタルーニャ語圏は、カタルーニャ語だけを使っているのではなくもちろんカスティージャ語も併用しています。 スペイン国籍の人であれば、皆カスティージャ語を不自由なく使います。 しかし、それを快く何のこだわりもなくしているのかは、人によるし、シチュエーションにもよります。 そういった土地の心理的に敏感な部分を理解しない、もしくは理解しようとしなかったそごうの経営者達の態度が批判されていたのです。

 今、そごう破綻の報を聞いて、「やっぱりねえ」といって頬笑んでいるカタルーニャ人が結構いるかもしれません。

 

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