MIHOの育児日記 


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2004年2月6日  バイリンガルにするために
やいさの着物姿

 子どもができたら、日本語をマスターしてほしい、っていうのが、妊娠したときからの願いでした。まだまだ5歳だし、この先どう転ぶかはわからないけど、とりあえずバイリンガルにするのは成功したみたい。

 欲張りなので、日本の文化や風習もしっかり覚えてほしいってのも、プラス。
わたしの願いがかなったのかわからないけど、やいさ、なぜか最近、日本の文化満載「サザエさん」にはまって、オープニングの、「タマが果物からでてきて、腰ふりダンスする場面」を真似するほどです・・・

 わたしはひじょうに面倒くさがりやモノグサママなので、手取り足取りはやってませんが、一応やったかなぁ、というバイリンガル教育は、ひらがな・カタカナの50音表を部屋にはったり、ビデオを日本語で見せたりするくらい。

 で、肝心のやいさの現在の日本語レベルはというと、会話は日本に突然放り込んでもやっていけるくらいで、ひらがなカタカナは、4歳のころにすべてマスターしてしまって、今は漢字もちょっと書けるくらい、簡単な作文、手紙も書けます。 小学校1年生のドリルも面白半分でやってしまいました。

 実はやいさは、知能検査で、それなりの結果がでたので、これは本人の才能だとは思います。この親からどうしてこんな子が、といういい見本かも。

 そして、やいさとわたしの会話は、どこにいっても日本語。
  これはもうわたしのくせになっているので、やいさの顔をみたら、自然と日本語になっちゃいます。 おなかにいたときから、日本語で話しかけるのを試みていたので、やいさはわたしがスペイン語を話すと怒って泣き出してしまうくらいです。 これ、冗談でもなく本当のはなし。

 スペイン人がいる前でもやいさとは日本語会話っていうのも、わたしは気にならないので、自然にできるのだけど、一緒にいるスペイン人たちがわたしたちの会話に興味があるようなら訳してあげるという感じにしています。

 最近は、頭の回転が遅くなってきた母親に代わって、やいさにこの場合の通訳をさせています。 こんな風だから、わたしのスペイン語能力はどんどん落ちていく・・・
(ちなみにスペイン人といるときのわたしの対応は、やいさに話しかけるのは日本語、やいさがいても他のスペイン人とはスペイン語ってことです。)

 まぁ、わたしの下手なスペイン語のくせがついても困るから、ちょうどいいかな。 しかも、やいさは、わたしがLの発音ができないこと知ってるし、冠詞の間違いも指摘してくれるくらいスペイン語も堪能になってきたから、そろそろ、うるさいダンナに変わって、やいさにわたしのスペイン語の先生になってもらおう。

 やっぱり、バイリンガル教育ってのは、家族の協力がないと難しいことだと思います。

 ちなみにうちのダンナは日本語ができないけど、やいさと日本語で談笑していても、嫉妬ゼロ。 調子にのって二人で日本語でパパをからかってはしゃいでしまうくらいだけど、全然嫌がる節はない。(多分何を言われているのかわかってはいないってのもある)

 ダンナ一家も協力的というより、「わたしたちが分からないとむかつくから、スペイン語で話しなさいよお。」というジコチューな一家じゃなかったので、ラッキーだったっていうのもあると思います。

 妊娠時代から、とりあえず情報として、いろんな本に目を通したり、ひとからきいたり、ネットで調べたりしていて、実際読んでいてへこむ著書ってのも存在しましたが、それは見なかったことにして、楽天的な意見だけ参考にしました。

 一番大事なのは、日本人の親が、がんばって、いつ何時にも、100%日本語で話さないとだめじゃないかな、と思った。 プラス親の熱い愛情。

 それとやっぱりこれ、「一年に一回は長く日本に行くこと」。
  日本語会話も文化も食生活もまとめて、体も心も100%日本に浸るいい機会。 理想は夏休みと冬休みに日本に連れていく、っていう感じだけど、うちは経済的に無理だし、おまけに長時間の飛行機のことも考えると気が重くなる・・・

 夏から半年すぎた今は、日本語の伸びが停滞してきている気がするし、日本製で安く質のいい子供服と100円ショップの誘惑にもひかれて、この冬も日本に行きたかったけど、やめました。

 スペインの中で日本人人口の多いマドリードにいてもバルセロナにいても、親ががんばらないと子どもはスペイン語パワーに押されてしまいます。

 いろんなファミリーを見てきて思ったこと、兄弟姉妹の一番上の子は日本語が達者ですが、兄弟が増えるにつれ、あれれ?な傾向がありますね。

やっぱり兄弟同士では、日常会話スペイン語になってしまうことが多いみたいです。 海外にいながらの日本語教育はなかなか難しいです。

 田舎で日本人がいない・・・っていうケースも聞くけど、都会にいる日本人よりがんばっているひとはいるし、いい結果も聞きました。

 わたしの知り合いでスペインの日本人がいないところで子育てしている方を知っているけど、そこのお子さんは3歳にして日本語が達者です。 結構義理のご両親にも預けているくらいなのに、日本人のお母さん、本当がんばっています。わたしも、うれしくなりました。 日本語教育で実践していることは、わたしがしてきたこととほとんど一緒みたいです。

 あとは親の情熱かな。 親が「子供とどうしても日本語で話したい」って思って接していると子どもにも伝わります。 良い悪い別にして、日本大好き、スペインいまいち好かん、っていう親の子の日本語の伸びはいいのですよね・・・(含 わたし)

 これからも無理をせずがんばりたいです。 日本語教育している方々、お互いがんばりましょ。

2003年11月3日  日本語補習校
やいさ

 今年の4月から、やいさは日本語補習校幼児部に通い出したのです。 毎週土曜日の午前、日本人学校の門をくぐって、スペインにいながら日本を体験できる。

 日本語補習校の入学は、日本と同じく4月なのだけど、スペインの学校はヨーロッパだけあって9月に入学。 あとの違いは、学年割り。 スペインの学年割りっていうのは、1月から12月生まれが同じ学年ですが、(例:1998年生まれの場合、1/1〜12/31生まれが同じ学年。 日本はだいたい1998年の4/1〜1999年3/31生まれが一学年) 日本人学校の学年割りは日本と同じです。 やいさは12月末生まれなので、スペインの現地校では、一番小さいのだけど、日本語補習校では、やいさより遅い誕生日の子がいます。

 幼児部の授業はお絵かきや歌など、遊びながら日本語に接していくという感じです。 生徒は、ほとんどがうちと同じく片親が日本人で、片親がスペイン人。 普段現地校に通っているだけあって、生徒間はどうしてもスペイン語で会話になってしまうけど、先生はずっと日本語で話してくれている。

 おかげで私以外の日本語に接する時間もちょっと増えて、単語数も増えてきたし、私が子供のころ歌った歌も覚えてくれるし、日本ならではの行事について教えてもらったりしているので、子どもが日本を身近に感じてくれているようです。 先生は、教材集めやアイディア集め、スペイン語で話す生徒に日本語で話しかけ、すごくがんばってくれていると思います。感謝。

 実は、やいさだけでなくわたしも結構楽しんでいっていたりする。 同じくスペイン人と国際結婚したひとたちが多いから、子供の授業の合間やクラス終了後に情報交換をしたり、子供同士を遊ばせる合間に、親も話に花を咲かせる。 ざっくばらんで気さくなひとが多いのは、スペインならではかも。

 親子とも出会いが増えたこの半年でした。

 

2003年6月8日  突然の熱2
やいさ

 セマナサンタ初めの週末、やいさはいつもの元気がなく、TVを 見るでもなしに、ソファでぐったりしていた。 「わー連休前にちょっとどうしたの?」と頭をちょっとなでるが、熱があるようでもない。

  気分転換に外に散歩にいったりしたが、案の定夜になって熱が出る。

  いつものように熱さましを飲ませたら、朝になってなんとか下がったし、毎年セマナサンタはダンナ実家のレオンにいくことになっているので、かわいそうだけど、3時間のドライブをすることにした。

 レオンに着いた直後は、久しぶりのおばあちゃんやおじさんおばさんとの再会に目もきらきらさせて、元気だったけど、夕方近くになってまた高熱が。  レオンでは気候の変化のためか、結構熱を出すので、一応かかりつけのお医者さんがいるくらいなのだけど、この時期はやはりお休みである。数ヶ月ぶりにいっても子どもの名前もわたしの名前も覚えてくれているお医者さんだけど。

  仕方なしに、あまり好きではない救急(私立保険用病院)に連れていく。 なぜかというと、やる気のない、ぶっきらぼうなお医者にあたったことがあるから。 やはり、「ただの熱でしょう」ってことで、ちょろっと診察したのみ。 まぁお医者もそう言うんだし、熱さましで様子をみよう、ってことになったけど、その後3日間40度近い熱で食欲もなく一日中ベッドに寝たっきり。 こりゃ普通じゃないでしょ。

 また同じ病院で診てもらうけど、この前と同じ対応。  これにはダンナもぶちきれ、精密検査を訴え、やっとのことで、血液検査とレントゲンを やってもらう。

 スペインでは医者のいいなりになってはいけないかも。 これはおかしいとおもったら、強気に医者に訴えないとあとあと大変なことになりかねない。 いつも頼る信用できるお医者さんだと真剣な面もあるけど、突然行く救急では医者も「こんな日に働くなんて」と思っている場合もあって、かなりいい加減なのもいる。

 検査の結果、「溶連菌感染症」だった。 これには医者もあわてて、レオンで一番大きい病院に紹介状を送られた。 救急で行った私立の大病院には、なんと小児科医がいないとのこと。

 やいさに感染した溶連菌は、肺炎をひきおこしていた。 SARSの時期に重なり、病院側も驚いたことだろう。セグリダソシアルの大病院(国立社会保険用病院)なのに待ち時間なしで診察台にまわされた。

 外で寝ることのないやいさがぐったり目をつむったまま・・・

 検査時間も長引き、わたしたちの動揺も大きくなるが、気のいい女医さんが、「ペニシリンを飲ませたら熱は下がるでしょう、このまま2日熱が続くようなら入院になるけど、峠は越したとおもいますよ」やいさの手を握って言ってくれた。

 ペニシリンの力は大きく、数時間で微熱になった。 おかげで熱は下がり、入院も免れた。 セマナサンタもおわり、マドリードに戻りかかりつけのお医者さんに診てもらったところ、もう問題ないよ、と安心の一言をいただいた。

 もしダンナがあのとき、お医者に強気にでていなかったらやいさはいなくなっていたかもしれない、と思うと涙が今でもでてくる。 今回で学びましたね、医者を100%信用してはいけない、子どもの異変は親が一番わかると思う、と。

 

2003年2月12日  突然の熱

ベッドにクマのぬいぐるみと寝ころぶ スペインでは、1歳前から子供は別の部屋で独り寝させる習慣があるので、やいさも自分の部屋で一人で寝ている。お気に入りのぬいぐるみと一緒だから、寂しさ半減かな?

最近は一晩中ぐっすり寝てくれるようになったやいさ。しかし、夜中に泣き出すこともたまにある。たいてい悪い夢のためで、放っておけば、すぐに深い眠りについてくれる。

 だが、この月曜の夜は違った。午前3時くらいに、ピーピーぐずり出す。ちょっと放っておけばいつものように寝るだろうと、この寒いのに起きるのも面倒、という私たちものぐさ夫婦はベッドに転がったまま。でも・・・泣き止まない。ダンナは次の日仕事で朝はやいから、起きようとしない・・・ 「う〜ん、ちょっとおかしいかも」と、ぬくぬくおふとんからのろり抜け出し、やいさの様子を見に行くと、「おなか痛い〜」と言う。トイレを勧めても行きたくないらしい。

  何気に額に手を当てたら、あ、熱い〜、こりゃ熱あるわ。「頭は痛くないの?」「あ、間違えた、おなかじゃなくて頭が痛い〜」と、まぁ、痛いには変わりないけど、こんなときに小さい間違い・・・

 私は1秒で測れる耳体温計を、がさごそ取り出して、ピ、と、やいさの耳にあてて測ってみると、な、なんと40度近く・・・小さい子供はすぐに40度近くまであがるし、母歴4年の私は、あせるほどでもなくなってはいるけど、子供が苦しそうでかわいそうになって、つい涙目になってしまう。

 ここで泣いても仕方ないか、ってことで、薬箱からいつもの「Apiretal」っていう魔法に近いような熱さましを出す。が、今回はそれに似た「Dalsy」にしてみる。お医者さん曰く、「どっちも同じような薬」、とのことだが、「Apiretal」は赤い液体で、イチゴ味(だと思う)。「Dalsy」はオレンジ色の液体で、オレンジ味。(だと思う)なぜ今回は「Dalsy」かというと、ただ賞味期限が切れそうだから、という親の勝手な判断・・・

 なぜ「魔法のような薬」かというと1時間以内で(目安としてね)平熱になり、子供が元気になるから。でもやっぱりひどい時は、薬がきれると、また熱があがるけどね。

 日本は最近では、熱さましをお医者さんが処方せず、自然に額に冷たいタオルなんかおいて冷ますようだけど、スペインでは、ばんばん熱さましを与えます。(といっても最低6時間おき)でも魔法すぎてやっぱり危険かな、と母は思うのだが。

 やいさの熱に話を戻すと・・・ どうやらインフルエンザではなさそうだし、結局医者にも行かず、2日学校を休ませた。

 1日目はさすがに1日中ソファーでぐったりしていた。やいさにとってめったに見られない昼間のTVマンガを見せてあげたり、時差で週末しか話せない日本のじいじとばあばに電話したりして安静に過ごし、そのかいあって2日目は微熱くらいで家の中で起き上がって遊べるくらいになった。

 健康なときは、「もう世話大変だよ〜」と愚痴りたくなるけど、熱でぐったり動けないわが子を見ると代わってあげたくなるものだと実感します。どのママさんに聞いても同じ返事が返ってくる。そうそう、健康第一です〜、この時期、とは言わず、いつも熱、風邪にはホント注意、注意!

2002年11月14日  教育指導
公園の遊戯施設

 教育指導っていうか、父兄会があるという通知を学校から受け取り、ちょうどその日休みのダンナと2人そろって、昼休みの学校に行った。

 「4、5歳クラスのご父兄のかたはどうぞー!」という先生の先導で、数十人の父兄グループが、一教室に入り、数人の先生たちが、子供の接し方などを指導してくれた。

 日本の知識は雑誌やインターネットでなんとなく知っていただけに、スペインの子供たちの基本、っていうことを知ることができるいい機会。ということで、今回の先生のおはなしで興味のあった事柄は、

・日本ではきかんぼうになる年頃って3歳くらいらしいけど、こっちは4、5歳がピーク。
・真似をよくする時期なのだが、真似を認めてあげる。
・約束の大事さを教える。
・「なにこれ?」、「どうして?」と知りたがりの時期なので、質問には面倒くさがらず、答えてあげる。
・自分でわけの解らない言葉を作る時期だけど、それも遊びの一環として認める。
・おもちゃの片付けはさせる。
・服や靴はもう1人で着脱できるように。
・トイレも1人で。
・食べたり飲んだりするとき、1人でやらせる。

 基本的な事柄は日本と変わらないかな?
でもきかんぼうの時期って、日本は幼稚園前に多い気がするし、食事が1人でできるようになるのも日本の方がはやい。

 食事に関しては離乳食でも、いつまでも流動食みたいのを食べさせているし、周りが汚れるのを気にして、いつまでも親が子供の口までスプーンをもっていくっていうのがあるから、この時期になっても甘えてしまうのはわかる。

親がわが子を赤ちゃん扱いするのはスペインの方が長いかな?だから自我が形成されるのも日本よりちょっと遅いのかな、と勝手に私の憶測。

 あと、基本的な学校生活については、
・遅刻厳禁!やばやば、うちはあんまり守ってないかも・・・
・出席日数、3分の2以上。これは守っている、ホッ。

 親の中で教養があまりない人の多くは面倒と思うとこどもを学校に送り出さないらしい。うちの地区にはそういう大人が多かったりする。スペインの教育の問題点だ。私としては子供がうちにいるほうが面倒だと思うんだけど、家業の手伝いとかやらせるのか?

まだまだ日本のように、「お受験」には程遠いかな、スペイン。


2002年9月29日  日本での夏休み
帰国中のやいさ

 今年もまた1ヶ月ほど、日本に帰りました。

 日本語教育って理由もあるし、母親の私も日本が恋しくなるってわけで。
ホントは春とか秋とか過ごしやすいシーズン及び、航空券が安くなるシーズンが理想なんだけど、やいさが学校に行きだしたからには、長くマドリッドを離れるには夏しかないんだよね。湿度が高くて、蒸し暑くて避けたい日本の夏・・・

 ところが、子供ってあんまり蒸し暑さって気にならないのかな? この日本の気候に文句一つ言わない。 たまにおじいちゃん、おばあちゃんに甘えられるからそれでいいらしい。

 今年はやいさと2人で日帰り旅行を何度かしました。 新幹線や在来線で遠方の友達を訪ねに行ったり、夕方の海の家に行ったりした。 私は公共の乗り物でうるさくしている子供の親が許せないので、自分も同じようにならないようにかなり気を使いましたね。静かにさせるための、お絵かきセットが手放せません。まぁ夏休みってことでたくさん親子連れがいたのでちょっと気は楽でしたが。

 日本は大人が静かすぎるのか、子供が公共の場でうるさい感じがします。スペインは大人がおしゃべりで、地下鉄の騒音にも負けないくらいですからねぇ。あと、日本では、親も親で自分の子供がうるさいのは気にならないのかしら?子供を注意せず、読書に没頭していて、ほっておいたりしてますよね。
しかし何回かは、立派な親御さんも見かけましたが。スペインだと、親が公共の場で子供を暴れさせない気がします。
周りの大人も注意したり、気を使ったりもするけれど。社会が子供に優しい感じ、何度もここでかいていますが。

 うちと同じ境遇のハーフな子供を持つちえさんとお子さん2人と半日過ごしました。

 半年以上、ネットでコンタクトをとっていたちえさんは、普段はイタリアで、イタリア人のダンナさまと住んでいるのですが、私たちと同じように彼女も2人の子供を抱えて、この夏休み、日本に帰国していたのです。イタリア人の血の入ったお子ちゃんたちだけあって元気でパワフルでフレンドリー。

 上のまりちゃんは6歳、下のあきらくんは4歳。日本語もふつうに上手。試しにイタリア語でやいさに話し掛けてもらったんだけど、イタリア語ってスペイン語に似てるようで似てないため、イタリア語とスペイン語でのコミュニケーションはお子ちゃまには無理でした・・・残念。ってことで、子供たちは日本語でコミュニケーションをとっていたのでした。こうハーフの子供たちが日本語を理解して、日本語を話しているのを見るとうれしくなります。そう、イタリアもスペインと同じく、子供にやさしい環境らしいです。

 ちえさんのとこのお子ちゃんたちと会ってから、ちょっとイタリア語にやいさは興味を持ち始めたみたいです。ちょうどNHKの子供番組でイタリアが舞台の場面があって、「Bouno(おいしい)」って覚えました。もっと大きくなって本気でイタリア語をやったら、すぐに覚えてしまうんだろうな。




2002年6月4日  学校の様子
学校の友だちと

 日本で育児関係のジャーナリストをしているSさんから、「ぜひスペインの幼稚園を見学してみたい」というメールをいただき、やいさの学校のDirectora(女の校長先生) にたずねたところ、意外にも簡単にお許しがでた!

 学校案内はやいさの担任の先生がしてくれました。私も興味深々、通訳としてついて行ったのですが、結構な教育水準に2人で感嘆しまくり。

 一番びっくりしたこと、それは西洋の名画を見せて、その画家の名前を教えて、 その何枚かのうち、それぞれの子供が気にいった絵を模写させる、ということ。 レオナルド・ダヴィンチ、ミロ、エル・グレコ、ドガと大物揃いですぞ。3歳児といえど、模写はかなりいい線いっていて、感性の豊かさに目を見張るものあり・・・

 スペイン人って、すらすらってイラストくらいなら余裕で描けてしまう人が多いとは思ったけど、幼児のころから、感性を磨く教育されてるんだ、とつくづく思いましたよ。

 やいさの学校はスペインでは悪評高い「公立」の学校。プライドのある中流階級以上のスペイン人たちは、移民やヒタノ(ジプシー)や労働者階級の人と交わりたくがないために、その子息を金を積んでも私立の学校に入れさせたがる。私の住んでいる地域はそんな移民なんかの人たちが多い。

 今私たちが住み始めた新興住宅アパート6棟1000世帯は、まぁ中級といったところ。あんまりよくない地域にぽつんと建っている。同じアパート群の子供たちは、バスに乗って5分くらいのカトリックの私立学校、しかし、国から援助が出ていて、本格私立より安く行ける学校に通っている子が多い。

 ダンナ+私は、「カトリックで毎日ミサをするような学校」に、やいさを入れるつもりは、全くなかったので、(やいさは洗礼もしてないし)もう1校、近所のインターナショナルを名乗る学校に入れようと思ったが、英語の授業がネーティブの先生じゃないというとことが、一番気にいらず、420ユーロの月謝に目が点・・・となり、やはりこの公立しかないなぁ、と1年前に見学だけでも、と行った。

 この近所の公立学校、予想外の展開!なんといってもこの女校長のやる気。「うちの学校は公立といっても、いい教育してます」は、今思うと嘘ではなかった。1年前のダンナとの学校見学のときも、裏のない説明、「この学校には移民、ジプシーもいるけど、問題はない」と言葉を濁さず、自信を持った校長先生を信じて、やいさの入学申請を提出した。

 しかし、スペイン中流階級はやっぱり不安があるのか、私立を選ぶみたい。上の階に住む「双子ちゃん、今年の9月から学校!」の若いご両親にも、「やいさの学校はなかなかよん!」って薦めたにも関わらず、彼らは入学申請をこの公立学校に出さなかったようだ。このご夫婦も見学には行ったらしく「いい感じの学校だったよ」とも言われたのだけど、やっぱり言い方悪いけど、下級層の人たちのことが不安だったに違いない・・・

 校長先生も「あなたの住んでる新興住宅地の方々が見学に来るけど、入学したい、とはなかなか言われないわ。」と視線を下に落としていた・・・

 私もやいさは東洋人の血をひいているから、いじめられるんじゃないかと不安だったけど、日本語を私と話すやいさに上級生も感嘆の目を向ける。私が校門までやいさの送迎をしても「チーナ!(中国人)」っていう子供に会ったことがない!移民が多いだけあって、先生たちも配慮ある教育、世界は一つ!とやってるんじゃないかと私は思うんだけどね。

2002年4月8日  ワーナーブロスパーク
キャラクターと一緒に写真。

 プレオープンのワーナーブロスパークに先日行ってきました。 場所は、マドリード南のSan Marti'n de la Vega(サン・マルティン・デ・ラ・ベガ)。

 お弁当を持ってはりきってでかけました。 プレオープンだから空いてるだろうと、ナメきって行ったら、かなりの招待客がいて、まるで休日のディズニーランド状態。

 おまけに食べ物の園内持込は禁止だし、乗り物も1時間待ちはざら・・・ (しかし一回入場したら、外に出ること可能で、車で弁当を平らげました) オープン前だから半分の乗り物はまだ未完成で、完璧に堪能したわけではないけど雰囲気はなかなかで、子連れで楽しめる場所です。

 ワーナーブラザーズパーク・マドリード、テーマパークっていうより遊園地か? ジェットコースターや、100mくらい上から垂直にどかーんといすに座って おちる激しいものも多数。 しかし、ちゃんと「Cartoon Village」っていう小さい子供用の一角もあります。 が、3歳のやいさは、割と身長制限にひっかかりました。120cmあれば大抵の乗り物は問題なく乗れると思います。 やっぱりこういう場は5歳くらいから楽しめるところかな?

 まぁテーマパークだけあって、デコレーションは夢の世界です。 だから散歩だけでも子供は喜びますね。 カナリアのトゥイーティーやウサギのボニーの家があったり、 キャラクターもディズニーランドのように出てきて、子供たちと接したりしてくれます。私を含む親ばかたちが、一斉にわが子を撮影する瞬間ですね。ごったがえしました・・・

 ゲームコーナーも結構ありました。輪投げみたいのや、ボールを蹴って穴に入ったら景品もらえるみたいな。ここでゲームに成功して、ダンナがぬいぐるみをゲットしました!

 スペインでは珍しく、トイレも充実してます。日本と違うところは、おみやげ屋さんが混雑しないところか?ここぞとばかりにグッズをスペイン人は買いませんね。こういうところに倹約?

 4月6日土曜に本格オープンです。人気のスポットになるでしょうかな?



2002年1月31日  三者面談
お人形と遊ぶ

 先日、やいさを迎えに行くと、先生(セニョリータと女の先生は呼ばれる)から、「セニョーラ、今お時間ありますか?」と、三者面談のお誘いがかかった。突然で心構えもなかった。

 スペインには日本のような母親参観日なんてものはない。やいさが入学してから、教室内を見たことがなかったので、それにはわくわくした。教室は、まあ!小人さんの住処のように、こじんまりした机、いす、水道の蛇口もトイレの高さも子どもサイズにしてある。

 先生も数人いるらしい。子供たちを自発的に何でもやらせる方針のようだ。だから子供の目線でトイレや水道がある。ぜひ自宅にもほしい施設だ。この日やった課題の青く塗られた「1」と黄色く塗られた小鳥の絵が壁に洗濯もののように干されていた。

 一通り先生から、やいさの家での状況を聞かれ、今度は私が学校での状況を聞く。なかなかいい子にしているらしく、覚えもよいらしいとのことで私も安心。

 授業内容にも興味があったので、それもきいてみた。「今日は視聴覚室でBlanca Nieve(白雪姫)をみたし、他の日は音楽室で歌を歌ったり、1時のお昼ご飯後は、30分のリラックスタイムで、お昼寝、その間寝たくない子はおもちゃで遊んだりしているの。英語のクラスは週に3回、そう、やいさは10までもう英語で数えられるけど、知ってます?」もちろん!やいさは日本語でも数は数えられますよん、と先生に言うと、目を丸くした。

 そのあと、先生に子供たちの作品なんかを見せて、のんびり語りを入れていると、やいさがとうとう飽きだして帰る!と言い出す。先生は「なにかあったらいつでも言ってくださいね」とやさしく見送ってくれた。



2001年11月13日  スペイン男は子供好き
やいさと白いトラ

 やいさにとって学校はなかなか楽しいものらしい。朝、不機嫌でなかなか起きてくれない時も「学校行く?」の一言でパッとお目覚め。ここ最近朝晩と冷え込むマドリードの寒さにも負けず、鼻を赤く染めながら小走りで学校にむかう私たち親子なのである。

 学校から、戻ってうちで一人で積み木で、怪しげなオブジェを作りながらも、学校で教わった歌をハミング。なんと初めての「彼氏」っていうものも、もういるらしい。

 学校への送り迎え、ここんところ寒くなってきて、日が昇るのも遅いし、親にとっても朝はつらいし、夕方は4時とちょいと中途半端な時間で、私にとっては億劫なことなのだが、10歳くらいの子供たちも校門まで親が付き添いをしている。やっぱりスペインも子供を狙った犯罪とか、変質者のこともかなり問題になっているだけあって、親も一人で徒歩3分とはいえ、学校にやる勇気がなかなかもてないのだろう。日本のような集団登下校なんて、習慣もここにはないし。

 そしてもう一つ、やいさの送り迎えで気が付いたことは、父親、おじいちゃんの校門送り迎え組もかなりおられるということ。毎日会うパパたちもいるし、パワー全開のぴーちくぱーちくママ集団たちに負けじと、大きなジェスチャーで会話のパパや、ハッスルじいさんもいる。うちのダンナも、家事は一切しないつかえないダンナだけど、送り迎えは必要最小限、嫌がらずにやってくれる。

 確かに道を歩いていても、犬の散歩の男の人以上に、ベビーカーをひいたパパたちと遭遇しますね。公園で子供と戯れるパパも、どの公園にもある風景だし、ってことはママより、パパになついている子供も多いってことなんでしょう。

 うちのやいさは、逆ナンパが得意とママ以上なテクニックを持っているのだが、やいさがその気?がなくても、電車なんかで若い夜遊び前のめかしきった若い男の子たちに、声をかけてもらったり、定年退職して、暇そうにバスに揺られているおじいちゃんから、飴をもらったり、小銭をもらったり、子供ってうらやましい!とママをうならせるここスペイン。老若男女、子供が好き!って人はたくさんいる国だと思います。

 子供にとってもここは天国、子供の表情も「子供らしい」ですね。


2001年9月18日  初登校
砂遊びをするやいさ 12月で3歳になるやいさ、この9月中旬に初めての学校を体験。
スペイン語では、primero de educacio'n infantil。まあ日本でいう幼稚園の年少みたいなものだ。ただ、学年割りが日本は4月から翌3月だけど、スペインは同じ年の1月から12月、よってやいさは日本でいう3月生まれみたいなもので、クラスで一番小さそう。

 やいさのクラスは、98年生まれの子たちで、今年満3歳になる子供たちが集まっている。私がずっと働いていなかったため、保育園(Guarderi'a)に行ったことはなく、そのため一人遊びが得意なため、みんなと慣れてくれるかしら、とダンナと二人で不安がっていた。

 初登校日、仕事中のダンナも、そのために戻ってきて、校門へ二人でやいさを見送った。やいさは、ずっと「学校、行く!」と数ヶ月前から、ちなみに、はりきっていたのだが、学校ってものが分かっているのかしら?その実態がわかって、近い未来、泣き出したりしないかしら?私は、学校嫌いだったし。

 ところがやいさは、先生に手を引かれ、十人ちょっといる同じクラスの子供たちと一緒に、私たちの方を振り返りもせず、校舎に入っていった。ああ、あっけない・・・

 9月中は、お昼ごはんなしなので、たった2時間だけど、ちょっとやいさのいない家の中の空間が慣れない。その間、やいさは楽しんでいるのかな?泣いてないかな?と私もはらはら、ママの顔。

 下校時間が近づき、仕事をさぼっている、ダンナと2人で校門に向かう。もう、入り口で先生と仲間たちと待っている。私たちを見つけて、手を振っている。ちなみに、こっちの学校の校門が、呼び鈴を鳴らさないと、開けてくれない。不審者は入れないようになっているので、安全といえば安全。

 やいさに、「学校、どうだった?」と質問。「おもしろかった。」「お砂で遊んだ。」と教えてくれた。(日本語で答えたよ)「でも、泣いちゃった。」とやいさが、けろっとした顔で、私にほほえんだ。

 思わず、ぎゅっとやいさを抱きしめて、チュっとbeso(キス)しちゃった。



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