映 画 案 内

●●● 2002年の作品紹介 ●●●

No somos nadie (2002年5月)  監督: Jordi Molla`
出演: Jordi Molla`, Juan Carlos Vellido, Candela Pen~a, Daniel Gime'nez Cacho, A'lex Angulo

Hable con ella (2002年3月) 監督: Pedro Almodo'var
出演: Leonor Watling, Javier Ca'mara, Rosario Flores, Fele Marti'nez, Paz Vega, Dario Grandinetti, Geraldine Chaplin

 

No somos nadie  

No somos nadie (ノ・ソモス・ナディエ/邦訳仮題:我々は、何者でもない)
監督:ジョルディ・モジャ
上映時間:90分
出演: ジョルディ・モジャ、カンデラ・ペニャ、フアン・カルロス・ベジード、
ダニエル・ヒメネス・カチョ、フロリンダ・チコ、アレックス・アングロ
カテゴリー:コメディ

<あらすじ>

.........
 極貧に生きる主人公サルバ(Salvador)は親友のアンヘリージョ(A'ngel)と地下鉄内で物乞いをしながらのその日暮し。 しかし「物を乞うのは哀しいことですが、物を盗むよりはマシなのです。」という常套文句では、もはや誰も施しをしてくれない。何かもっと効率的なやり方はないのか。 そんなことを考えていたある日、彼と同じような極貧生活者が集う行き付けのバルで仲間と歓談しながらテレビを見ていると、カリスマ的布教師が暗殺されてパニックに陥る人々、アメリカの霊媒師が病気治癒の効果があると言い出したため、今売れに売れている食肉のニュース、そんなものばかりが流されている。 そこでサルバは、キリストのような格好で "Vermut Celestial (天国のベルモット酒)" なるものを売るインチキ商売を思い付く。 だがその準備を進めていた矢先、あるアクシデントから親友ともども刑務所行きとなってしまう。

 同じ頃、実際の犯罪者を一般市民の投票により無罪か死刑かを決める(が、過去一度も無罪になった者はいない…)視聴者参加型テレビ番組「Mano Dura (厳しき手)」の司会者ビガルドは番組視聴率の低下に悩んでいた。 死体解剖を中継するライバル番組に人気が集中しているためだ。 次の回の出演犯罪者候補の写真の中から救世主のような格好をしたサルバを見たビガルドは、彼を出演させ、なんとか利用しようと考える。 その思惑通り、出演したサルバは番組史上初の無罪を言い渡され、番組のレギュラー出演者へと化す。 人々は彼を本物の救世主として扱い始めるのだが…。
.........

 

<コメント>

 「コメディとは風刺であったのだ」という至極当然のことを強く思い出させてくれる、あまり笑えないコメディがこの作品。

Jordi Molla` 時代設定もはっきりしていないが、限り無く現在に近い近未来、と言ったところか。 テレビ画面に映っているのは、ただただショッキングな映像やヤラセ番組、ニセ霊媒師や占い師、あるいはそれらの周辺産業のオンパレードだ。そして人々はそれに釘付けになっている。 熱狂すら感じられる。 現実に当たり前になりつつあるこれらの現象を、この作品はかなりオーバーに映像化し表現している。 ブラックだ。しかし笑えない。 なぜならこれは、スペイン・テレビ界、ひいては多少の差はあるものの、いわゆる先進国全体のマスメディアの現状とそれに振り回されている私たち現代人への鋭い批判であるし(作中登場するオーナーがイタリア人のテレビ局は、やはりイタリア系のスペイン某民放局のパロディか?)、今オーバーに見えるこれらの映像も、数年後には極普通に捉えられている可能性もあるからだ。

 それでは、社会から忘れられ、底辺で生きている誰かが、もしこういった現象の中心人物となってしまったら果してどうなるのか? 物乞いの犯罪者が一夜明ければ救世主だ。メディアは? 一般人は? そして本人は?? 何者でもなかった者が富と名声を手に入れ、一種のアイコン(聖像)と化した後に求める物は? 下手をするとベタになりかねないテーマだが、作品はこの辺の流れをうまく説明している。 しかもとても速いテンポの、なかなかアグレッシブなやり方で。

 監督は「我等のジョルディ・モジャ」と言ってしまいたい異色ハンサム俳優だ。 絵を描いたり、本を出したり、最近はその多才ぶりを発揮している。 過去に短編映画2作を監督しているそうだが、長編は今作が初めて。 脚本にも参加しているし、主人公サルバを演じているのも彼自身だ。 常日頃自分の目に映るものに意識的であろうと努力しているが、テレビから流れてくる映像を見ていると、ひどく空虚で、落ち込んだりゾッとするような感覚を受け取ることが多いと言う。巨大な塔が2つ崩壊した映像を見た後に、歯磨き粉のCMを見てしまったら…、もう自分の目が見ているものを信じられないのだ、とも。 テレビがこういう媒体なら、それを見て参加している私たちって何者なのだ? 作品のタイトル "No somos nadie" もこの問いへの答えかも知れない。 そう、何者でもないのだ。 たいしたもんじゃないのだ、私たちは。
 
 モジャ曰く、フィクションと現実の境界線が希薄なテレビというメディアが、歪められた現実をストーリー化するヒントとなったらしいが、まず最初に浮かんだイメージは「観客でいっぱいのサッカー・スタジアムで十字架に架けられる男のテレビ中継」だったと言う。 この男は映画の中では殉教者でなければならない。 こうして作品の3本柱「宗教・テレビ・名声」が決まったそうだ。あとは作品を観てもらえばわかると思うが、この3本柱が実にうまく噛み合って、そして良く生かされている。前述したストーリー展開のスピードとアグレッシブな映像処理もこのストーリーに良く合っている。 初の長編作としては「ブラボー」を送りたい。

No somos nadie 少し残念だったのが、せっかくの味のある渋い俳優陣を巧く使いこなせていないところだ。 指導不足と言うか、新米監督であり俳優でもあるモジャが先輩俳優陣に気を遣った結果だろうか? カンデラ・ペニャ(彼女はモジャの先輩ではないと思うが)扮するエスペ役は無くてもよかったのでは?と思えるほどだ。逆に不思議な魅力を発揮していたのが作中のテレビ番組「Mano Dura」の司会者ビガルドを務めるダニエル・ヒメネス・カチョ。司会中のメイクは一見の価値あり。ベテランのフロリンダ・チコやアレックス・アングロは、流石にそつなく脇をかためていて安心出来る。

 さて、我等がジョルディ・モジャはと言うと、台本に書かれていないシーンも想像してその人物の気持ちで日記をつけながら役作りをするほどの勉強家でもあるそうで、そのおかげか、役者としても認められているが、今作は自ら作り上げた人物だけあって、のびのびと演技しているように見受けられた。あの碧い眼の威力も再認識させていただいた。 メシア姿が妙に似合っているのも、なんだかおかしい。 そして今回もありますぞ、一瞬だけ、全裸シーンが!

 全編90分は映画としては決して長くはないのだが、濃厚な映像が、特に前半は、かなりのスピードで次々と現れるため、すごい量の情報を得たような気分になる。うっかりしているとおいてけぼりを喰いそうで少々緊張するかも知れない。 内容も人によっては嫌悪感を与える類いの物かも知れない。 1シーンが映っている時間は極めて短いが、かなりグロな映像も出てくる。 が、その分訴えてくるものが多いのも事実だ。 私たちが生きている世界は現実なのか、それともマスメディアによって造られた虚構の世界なのか? ちょっとテレビを消して、映画館で Salvador(=救世主)&A'ngel(=天使)コンビと一緒に考えてみるのも悪くないのでは?

reiko  

 

 

 

Hable con ella  

Hable con ella(アブレ・コン・エジャ)
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
上映時間:112分
出演: レオノール・ワトリング、ハビエル・カマラ、ダリオ・グランデイネッティ、ロサリオ・フロレス、
カテゴリー:ドラマ

<あらすじ>

.........
劇場で偶然隣り合わせに座ったマルコとベニグノ。
数ヶ月後、二人は「森」という名の私立クリニックで再会する。
その「森」で眠り続ける二人の美女。
女闘牛士のリディアは闘牛の角にかけられ、
バレリーナのアリシアは交通事故で植物人間となった。

「人」ではなく「物」となってしまった恋人リディアに戸惑うマルコ。
そんな彼にアリシアの専属看護士であるベニグノは言う。
"Hable con ella, cue'nteselo."(彼女と話して、語りかけて。)
相反する性格を持つ二人が同じ境遇を持つことにより友情を深めていく。
.........

 

<コメント>

 「オール・アバウト・マイ・マザー」がオスカーを受賞しhable con ella
ラ・マンチャの鬼才が世界の偉才となってから早二年、
待ちに待ったアルモドバル監督の新作である。

 アルモドバルと言えば見終わった後に強烈に残る「赤」の印象。  巷では北野ブルーに対抗してアルモドバルレッドと呼ぶらしい。(嘘だけど)

 病室でのシーンが多い今作、
監督は病院の持つ「痛み」「悲しみ」などの寒色イメージを払拭するために壁や廊下の色などを塗り替えさせるなどして結構大変だったみたいです。

 大変だったと言えば、
アランフェスの闘牛場で撮影されたリディアの闘牛シーン。
映画の撮影の為だけに四頭の闘牛を実際に殺してしまった残虐性を問われ 動物愛護協会から訴えられてしまいました。

 女性を中心に置き、いかにもアルモドバル的な役者さん達を贅沢に使う、
そんないつものアルモドバル作品とは全く趣を異にするのが今回の新作です。

 アリシア役は“Son de Mar”(邦題:マルティナは海)で注目を浴び、 “A mi madre le gustan las mujeres”(ア・ミ・マドレ・レ・グスタン・ラス・ムヘレス)で演技派と呼ばれるまでになったレオノール・ワトリング。

 リディア役のロサリオは問答無用の大御所歌手。
えっ、知りませんか?
美空ひばりの娘でジャクソン・ファイブの一員、とでもイメージしてみて下さい。

 マルコ役はアルゼンチン出身のダリオ・グランディネッティ。
ベニグノ役のハビエル・カマラは主にTV界で活躍しています。

 愛する人が突然植物人間となってしまったらどうするか?
マルコは反応の無い彼女に虚しさと絶望をおぼえ、
ベニグノは声が届いていると確信し、日々彼女に話しかけ続けます。
コミュニケーションの大切さを伝えたかったのでしょうか。
通じ合っていたベニグノとアリシアには奇跡が起こり、
マルコの愛する人は死んでしまう。

 なんてロマンティックなお話なんでしょう、
とは一概に言えないのがアルモドバルのアルモドバルたる理由。
その訳は・・・内緒です。

 

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