映 画 案 内

●●● 2002年の作品紹介 ●●●

Los lunes al sol (2002年11月) 監督:Fernando Leo'n de Aranoa
出演: Javier Bardem, Luis Tosar, Jose' A'ngel Egido, Nieve de Medina, Celso Bugallo, Joaqui'n Climent, Enrique Ville'n

El viaje de Carol (2002年9月) 監督: Imanol Uribe
出演: Clara Lago, Juan Jose' Ballesta, Alvaro de Luna, Mari'a Barranco, Rosa Mari'a Sarda`

No somos nadie (2002年5月)  監督: Jordi Molla`
出演: Jordi Molla`, Juan Carlos Vellido, Candela Pen~a, Daniel Gime'nez Cacho, A'lex Angulo

Hable con ella (2002年3月) 監督: Pedro Almodo'var
出演: Leonor Watling, Javier Ca'mara, Rosario Flores, Fele Marti'nez, Paz Vega, Dario Grandinetti, Geraldine Chaplin


Los lunes al sol  

Los lunes al sol(ロス・ルネス・アル・ソル)
監督:フェルナンド・レオン・デ・アラノア
上映時間:113分
出演: ハビエル・バルデム、ルイス・トサル、ホセ・アンヘル・エヒード、ニエベ・デ・メディナ、セルソ・ブガジョ、ホアキン・クリメント、エンリケ・ビジェン
カテゴリー:ドラマ


<あらすじ>

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 地方のとある港町。大きな近隣の街への出勤や通学に人々が足として使うのは連絡船。そんな街。その連絡船で手にびっしょり汗をかいているリノは再就職のための面接を受けに行く途中。緊張している彼をいつものようにホセがからかい混じりに励ましていると、やはりいつものようにサンタが無賃乗船して来る。みんな失業中で、毎日仕事を探しながらのその日暮し。街の造船工場の大幅なリストラの犠牲者達だ。工場に最後まで逆らい解雇金をもらえなかったのは、この3人の他に、とうの昔に職探しすらやめてしまったアマドールや、かつてはソ連の宇宙開発に携っていたと語るロシア移民のセルゲイがいる。さっさと工場に見切りを付けて転職先を見つけたレイナや、経営者側と交渉して解雇金を受け取り、バールを開いたリコは、上手く立ち回ったものの、やはりリストラの犠牲者。そんな「仲間たち」が、出口の見つからない一日の最後をリコのバールにやって来て一杯ひっかけて過ごす。束の間の歓談。自分の置かれた境遇をひととき忘れようとするが、失業という名の重りはいつも彼らの中にぶら下がっており、様々なドラマを生み出すのだった。
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<コメント>

Los lunes al sol  失業率が常に二桁以上のスペインには、失業者はごく普通にいる。街なかで働き盛り風の人10人に尋ねたら、少なくとも1人か2人は失業中という計算になってしまう。日本のように終身雇用が一般的でないのも影響しているが、終身雇用契約をしていたって、会社の都合次第で半月後には路頭に迷わされるなんてことも実はよくある話。幸いにも私はスペインに来てこのかた、この作品の登場人物たちのような経済的に厳しい状況に追いやられたことはない。ご近所のどこかで普通に存在しているであろうことは確信できるのに、見過ごしている世界がここにある。

 ホセは毎晩妻が缶詰工場の夜勤に出かけて行くのを複雑な思いで見送っている。妻のアナは缶詰工場の魚の匂いが自分に染み付いているのではないかという強迫観念を抱いている。そして失業の重みがふたりの間を遠ざけていることに気付いていながらも、ふたりともそれを無視しようとしている。独り身のサンタは風来坊な暮らしを楽しんでいるかのように見えるが、それは単に一寸先にある闇を見ないふりをしているだけなのかもしれない。だけど、ホセの不安な気持ちを聞き、バールの閉店時まで管を巻いているアマドールを見たりする度に、彼はその闇を垣間見てしまうのではないだろうか。そしてまたそれを忘れようとするかのように、些細な出来事に笑いを見いだし遊んでしまう。少なくとも私にはそう見えた。彼らの全てが、そういった拠り所のない不安な気持ちと、「明日になったら世界は変わっているかもしれない」というあり得ない期待とを持て余しながら、なんとか一日を終わらせようと努力している。時に言い争ったり毒づいたりはしてみても、やはり相手の痛みが解るからだろうか、同じ仲間としての連帯感からだろうか、彼らは限りなく優しい。ビル工事の警備職にありついたレイナは日曜日になると工事現場屋上からサッカー見物ができるように仲間を招いてやり、リコはツケがたまっていく仲間たちを、苦虫をかみつぶしたような顔で見つめながらも、自分のバールから追い出そうとはしない…。

 こういう世界は、私が見ていないだけで実在するのだろう。そして、これらのごく身近な失業者たちに敬意を表し、毎日がサバイバルで、些細なことに感動したり、笑ったり、落胆したり、腹を立てたりの、彼らのささやかな日常を等身大で描きたいと、フェルナンド・レオン監督は思った……、かどうかは知らないが、彼の言っていることを聞くとやはりそうなのだろう。「すぐそばにあるもの。はっきり見えないから、あるいは見たくないから忘れ去ってしまっているもの。そういうものを映画はもっと扱うべきだ。身近で、日常的で、豊かな物語を」と、彼のマニフェストと思えるようなことまで言っている。自分を含める映画関係者に向けた言葉だが、なんだか私も耳が痛い。私も見たくないから見ようとしていないひとりだから。自分の方から、隣にあるもうひとつの世界との間に境界線を引いてしまっているのだろう。フェルナンド・レオンはクリエイターの立場から、その境界線を越えてもうひとつの現実と対面しようと促しているリアリズムの監督だ。そして彼の作品はいつも、厳しい現実の中に一条の希望の光が見えるような、そんな印象を与える造りになっている。「悲劇的であろうが、ハッピーエンドであろうが、後味が悪かろうが、シンプルであろうが、どんな終わり方でもいい。だけど<物語の終わりが必ず別の物語の始まり>であるように」ということをこの監督は常に心掛けているらしく、それがある種の希望として作品に反映しているように思う。この作品は始まりと終わりが同じ状況なのだが、やはりさりげなく違う物語が始まるかのような終わり方になっている。タイトルの"Los lunes al sol"は「月曜日は日なたで」というような意味だが、月曜日に日光浴ができるような身分の失業者たちという、ちょっと皮肉でしかも羨望も含んだものなのではないかという気がする。あるいは、失業中だからこそ冬の月曜日の太陽の温かさを誰よりも感じることができるのか…。いずれにせよ、タイトルにもどこか肯定的な香りがする。

 この監督についてもう少し触れてみよう。まず長編処女作の"Familia(邦題:カット!)"で、孤独な人々が繰り広げる悲喜こもごもを鋭くユーモラスに描いて、スペイン・アカデミー賞であるゴヤ賞の最優秀新人監督賞をはじめ、内外の映画賞を多数獲得した。そしてサン・セバスティアン国際映画祭の監督部門で銀の貝殻賞を受賞した前作"Barrio(バリオ)"では、スペイン人にとって身近な社会問題を、思春期の少年たちの視線で見た低所得者層の日常生活という形で描いてみせた。痛烈な社会批判であり、見るものに「痛い」思いをさせる、監督の思想というものがバンバン伝わって来る作品だった。本年度のサン・セバスティアン国際映画祭の作品部門でグランプリである金の貝殻賞を受賞した今作も同じ路線にあるのだが、前作と比較して押し付けがましさがなくなっている。悲愴な失業者たちの生活を、大上段に構えずとても自然な語り口で描くことに成功している。まあ、前作が少年という「とんがった」年代を主人公に据えたのに比べ、今回は40代以上の中年層が主人公なので、ゆるりとした語り口になったのかもしれない。あるいは監督自身の年令が30代も中盤に入り、登場人物たちに近い視線で物語作りができた結果かもしれない。まだまだ若いし、今後のスペイン映画界では見過ごすことのできない監督のひとりだ。

 俳優陣のさり気ない演技も今作のゆるりとした語り口に大いに貢献している。看板俳優となったハビエル・バルデムは、久しぶりのスペイン映画出演が、でっぷり太り、無精髭を生やし、額の少し禿げ上がった失業中の中年男の役で見るものを驚かせるが、図々しくも心優しいサンタの役を好演している。ホセ役のルイス・トサルは知名度こそ高くないものの、映画やテレビドラマの脇役として活躍しており、今作では光った演技を披露しているのではないだろうか。ニエベ・デ・メディナは、生活に疲れ、しかもその疲れが女としての彼女を更に魅力的にしてしまっているという、難しいアナ役を適役と言えるほどにこなしている。その他の役者たちも全体的にとても良い。誰が主人公というのでもなく、登場する全ての人物が主人公であることは、この作品を見ていただければ一目瞭然だろう。

 鑑賞中、波間に揺れる連絡船上の登場人物たちと同じ振動、同じ太陽を感じながらストーリーを追っている気がした私だが、さて皆さんはいかがだろうか…。

reiko  

 

 

El viaje de Carol  

El viaje de Carol (エル・ビアヘ・デ・カロル/邦訳仮題:キャロルの旅)
監督:イマノル・ウリベ
上映時間:104分
出演: クララ・ラゴ、フアン・ホセ・バジェスタ、ロサ・マリア・サルダ、マリア・バランコ
カテゴリー:ドラマ


<あらすじ>

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  1938年春、アメリカで生まれ育った11歳のキャロルは、母親と共に母親の故郷であるスペイン北部の小さな村を初めて訪れる。スペイン内戦の真っ只中、アメリカ人の父親は国際旅団に参加し、パイロットとして戦地に赴いていた。村に到着するとキャロルはガキ大将トミチェとその仲間たちに手荒い歓迎を受けるけれど、やがてキャロルとトミチェはお互いに恋心を抱くようになり、強い絆で結ばれる。母親が病気で急死し、キャロルは叔母の家に預けられる。しかしそこでの生活になじむことができず、祖父のもとに身をよせて、母親の友人マルハやトミチェに支えられながら父親の帰りを待ちわびる。
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<コメント>

El viaje de Carol スペインでは内戦に関わる映画が無数にある。内戦が人々に及ぼした影響は計り知れず、それぞれの監督にはそれぞれ描きたい内戦があるようだ。そしてこの作品がイマノル・ウリベ(「時間切れの愛」)が描きたかった内戦ということになる。

 「内戦」と「子供」というと日本でも大ヒットした「蝶の舌」を思い出す。スペインの田舎を舞台に、子供の目を通して、戦争が与えた心の傷と、子供の成長、そして将来への希望が描かれている、という点では非常によく似ていると言えるかもしれない。「蝶の舌」が衝撃的な結末で終わったのに対し、この作品は衝撃的な悲劇の後に、新な生活への希望が明確に描かれていて、すっきりとした後味が残る。

 子供と言っても、11歳という微妙なお年ごろのキャロルは、妙にしっかりしていて、頑固な性格。母親の死は案外あっさりと描かれているけれど、その後で、キャロルは父親を思いやり、母親の死を知られないようにとマルハの協力を得て、母親になりすました嘘の手紙を父親に送る。そういうところは子供っぽくてけなげでかわいらしい。
 ただ純粋に父親の帰りを待ちわびているキャロルだけれど、国際旅団に参加していた父親が帰ってきたら、治安警察やフランコ主義者に追われることになるのを彼女は知らない。ごく身近に敵がいることも・・・。納得はできないだろうけれど、大人には大人の事情があることを身をもって知ることになる。
 キャロルの経験したスペインでの生活は、戦争に関わった多くの人たちと同じように心に傷を与え、一生忘れることのないつらく苦い思い出となる。

 "El bola"(日本未公開)でゴヤ賞最優秀新人男優賞を受賞したフアン・ホセ・バジェスタが好きな女の子をいじめちゃういじらしい男の子トミチェを演じ、ポスターを見て、最初は「男の子か?」と思ったキャロル役のクララ・ラゴは見た目の印象通り気が強いけれど優しい女の子を好演している。その一方で、キャロルの母親役マリア・バランコは監督イマノル・ウリベの妻だからという理由で起用されたのか、死を目前にした母親というシリアスな役柄なのには違和感をおぼえた。

ナオミ  

 

 

 

No somos nadie  

No somos nadie (ノ・ソモス・ナディエ/邦訳仮題:我々は、何者でもない)
監督:ジョルディ・モジャ
上映時間:90分
出演: ジョルディ・モジャ、カンデラ・ペニャ、フアン・カルロス・ベジード、
ダニエル・ヒメネス・カチョ、フロリンダ・チコ、アレックス・アングロ
カテゴリー:コメディ

<あらすじ>

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 極貧に生きる主人公サルバ(Salvador)は親友のアンヘリージョ(A'ngel)と地下鉄内で物乞いをしながらのその日暮し。 しかし「物を乞うのは哀しいことですが、物を盗むよりはマシなのです。」という常套文句では、もはや誰も施しをしてくれない。何かもっと効率的なやり方はないのか。 そんなことを考えていたある日、彼と同じような極貧生活者が集う行き付けのバルで仲間と歓談しながらテレビを見ていると、カリスマ的布教師が暗殺されてパニックに陥る人々、アメリカの霊媒師が病気治癒の効果があると言い出したため、今売れに売れている食肉のニュース、そんなものばかりが流されている。 そこでサルバは、キリストのような格好で "Vermut Celestial (天国のベルモット酒)" なるものを売るインチキ商売を思い付く。 だがその準備を進めていた矢先、あるアクシデントから親友ともども刑務所行きとなってしまう。

 同じ頃、実際の犯罪者を一般市民の投票により無罪か死刑かを決める(が、過去一度も無罪になった者はいない…)視聴者参加型テレビ番組「Mano Dura (厳しき手)」の司会者ビガルドは番組視聴率の低下に悩んでいた。 死体解剖を中継するライバル番組に人気が集中しているためだ。 次の回の出演犯罪者候補の写真の中から救世主のような格好をしたサルバを見たビガルドは、彼を出演させ、なんとか利用しようと考える。 その思惑通り、出演したサルバは番組史上初の無罪を言い渡され、番組のレギュラー出演者へと化す。 人々は彼を本物の救世主として扱い始めるのだが…。
.........

 

<コメント>

 「コメディとは風刺であったのだ」という至極当然のことを強く思い出させてくれる、あまり笑えないコメディがこの作品。

Jordi Molla` 時代設定もはっきりしていないが、限り無く現在に近い近未来、と言ったところか。 テレビ画面に映っているのは、ただただショッキングな映像やヤラセ番組、ニセ霊媒師や占い師、あるいはそれらの周辺産業のオンパレードだ。そして人々はそれに釘付けになっている。 熱狂すら感じられる。 現実に当たり前になりつつあるこれらの現象を、この作品はかなりオーバーに映像化し表現している。 ブラックだ。しかし笑えない。 なぜならこれは、スペイン・テレビ界、ひいては多少の差はあるものの、いわゆる先進国全体のマスメディアの現状とそれに振り回されている私たち現代人への鋭い批判であるし(作中登場するオーナーがイタリア人のテレビ局は、やはりイタリア系のスペイン某民放局のパロディか?)、今オーバーに見えるこれらの映像も、数年後には極普通に捉えられている可能性もあるからだ。

 それでは、社会から忘れられ、底辺で生きている誰かが、もしこういった現象の中心人物となってしまったら果してどうなるのか? 物乞いの犯罪者が一夜明ければ救世主だ。メディアは? 一般人は? そして本人は?? 何者でもなかった者が富と名声を手に入れ、一種のアイコン(聖像)と化した後に求める物は? 下手をするとベタになりかねないテーマだが、作品はこの辺の流れをうまく説明している。 しかもとても速いテンポの、なかなかアグレッシブなやり方で。

 監督は「我等のジョルディ・モジャ」と言ってしまいたい異色ハンサム俳優だ。 絵を描いたり、本を出したり、最近はその多才ぶりを発揮している。 過去に短編映画2作を監督しているそうだが、長編は今作が初めて。 脚本にも参加しているし、主人公サルバを演じているのも彼自身だ。 常日頃自分の目に映るものに意識的であろうと努力しているが、テレビから流れてくる映像を見ていると、ひどく空虚で、落ち込んだりゾッとするような感覚を受け取ることが多いと言う。巨大な塔が2つ崩壊した映像を見た後に、歯磨き粉のCMを見てしまったら…、もう自分の目が見ているものを信じられないのだ、とも。 テレビがこういう媒体なら、それを見て参加している私たちって何者なのだ? 作品のタイトル "No somos nadie" もこの問いへの答えかも知れない。 そう、何者でもないのだ。 たいしたもんじゃないのだ、私たちは。
 
 モジャ曰く、フィクションと現実の境界線が希薄なテレビというメディアが、歪められた現実をストーリー化するヒントとなったらしいが、まず最初に浮かんだイメージは「観客でいっぱいのサッカー・スタジアムで十字架に架けられる男のテレビ中継」だったと言う。 この男は映画の中では殉教者でなければならない。 こうして作品の3本柱「宗教・テレビ・名声」が決まったそうだ。あとは作品を観てもらえばわかると思うが、この3本柱が実にうまく噛み合って、そして良く生かされている。前述したストーリー展開のスピードとアグレッシブな映像処理もこのストーリーに良く合っている。 初の長編作としては「ブラボー」を送りたい。

No somos nadie 少し残念だったのが、せっかくの味のある渋い俳優陣を巧く使いこなせていないところだ。 指導不足と言うか、新米監督であり俳優でもあるモジャが先輩俳優陣に気を遣った結果だろうか? カンデラ・ペニャ(彼女はモジャの先輩ではないと思うが)扮するエスペ役は無くてもよかったのでは?と思えるほどだ。逆に不思議な魅力を発揮していたのが作中のテレビ番組「Mano Dura」の司会者ビガルドを務めるダニエル・ヒメネス・カチョ。司会中のメイクは一見の価値あり。ベテランのフロリンダ・チコやアレックス・アングロは、流石にそつなく脇をかためていて安心出来る。

 さて、我等がジョルディ・モジャはと言うと、台本に書かれていないシーンも想像してその人物の気持ちで日記をつけながら役作りをするほどの勉強家でもあるそうで、そのおかげか、役者としても認められているが、今作は自ら作り上げた人物だけあって、のびのびと演技しているように見受けられた。あの碧い眼の威力も再認識させていただいた。 メシア姿が妙に似合っているのも、なんだかおかしい。 そして今回もありますぞ、一瞬だけ、全裸シーンが!

 全編90分は映画としては決して長くはないのだが、濃厚な映像が、特に前半は、かなりのスピードで次々と現れるため、すごい量の情報を得たような気分になる。うっかりしているとおいてけぼりを喰いそうで少々緊張するかも知れない。 内容も人によっては嫌悪感を与える類いの物かも知れない。 1シーンが映っている時間は極めて短いが、かなりグロな映像も出てくる。 が、その分訴えてくるものが多いのも事実だ。 私たちが生きている世界は現実なのか、それともマスメディアによって造られた虚構の世界なのか? ちょっとテレビを消して、映画館で Salvador(=救世主)&A'ngel(=天使)コンビと一緒に考えてみるのも悪くないのでは?

reiko  

 

 

 

Hable con ella  

Hable con ella(アブレ・コン・エジャ)
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
上映時間:112分
出演: レオノール・ワトリング、ハビエル・カマラ、ダリオ・グランデイネッティ、ロサリオ・フロレス、
カテゴリー:ドラマ

<あらすじ>

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劇場で偶然隣り合わせに座ったマルコとベニグノ。
数ヶ月後、二人は「森」という名の私立クリニックで再会する。
その「森」で眠り続ける二人の美女。
女闘牛士のリディアは闘牛の角にかけられ、
バレリーナのアリシアは交通事故で植物人間となった。

「人」ではなく「物」となってしまった恋人リディアに戸惑うマルコ。
そんな彼にアリシアの専属看護士であるベニグノは言う。
"Hable con ella, cue'nteselo."(彼女と話して、語りかけて。)
相反する性格を持つ二人が同じ境遇を持つことにより友情を深めていく。
.........

 

<コメント>

 「オール・アバウト・マイ・マザー」がオスカーを受賞しhable con ella
ラ・マンチャの鬼才が世界の偉才となってから早二年、
待ちに待ったアルモドバル監督の新作である。

 アルモドバルと言えば見終わった後に強烈に残る「赤」の印象。  巷では北野ブルーに対抗してアルモドバルレッドと呼ぶらしい。(嘘だけど)

 病室でのシーンが多い今作、
監督は病院の持つ「痛み」「悲しみ」などの寒色イメージを払拭するために壁や廊下の色などを塗り替えさせるなどして結構大変だったみたいです。

 大変だったと言えば、
アランフェスの闘牛場で撮影されたリディアの闘牛シーン。
映画の撮影の為だけに四頭の闘牛を実際に殺してしまった残虐性を問われ 動物愛護協会から訴えられてしまいました。

 女性を中心に置き、いかにもアルモドバル的な役者さん達を贅沢に使う、
そんないつものアルモドバル作品とは全く趣を異にするのが今回の新作です。

 アリシア役は“Son de Mar”(邦題:マルティナは海)で注目を浴び、 “A mi madre le gustan las mujeres”(ア・ミ・マドレ・レ・グスタン・ラス・ムヘレス)で演技派と呼ばれるまでになったレオノール・ワトリング。

 リディア役のロサリオは問答無用の大御所歌手。
えっ、知りませんか?
美空ひばりの娘でジャクソン・ファイブの一員、とでもイメージしてみて下さい。

 マルコ役はアルゼンチン出身のダリオ・グランディネッティ。
ベニグノ役のハビエル・カマラは主にTV界で活躍しています。

 愛する人が突然植物人間となってしまったらどうするか?
マルコは反応の無い彼女に虚しさと絶望をおぼえ、
ベニグノは声が届いていると確信し、日々彼女に話しかけ続けます。
コミュニケーションの大切さを伝えたかったのでしょうか。
通じ合っていたベニグノとアリシアには奇跡が起こり、
マルコの愛する人は死んでしまう。

 なんてロマンティックなお話なんでしょう、
とは一概に言えないのがアルモドバルのアルモドバルたる理由。
その訳は・・・内緒です。

 

ミチ  

   
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