JOANのカタコト

 

18.あとがきにかえて

ここまで17回にわたって「JOANのカタコト」を書いてきましたが、これが最終回です。特に毎回意識していたのではないのですが、「カタルーニャ語圏とは何だろう」というのが、一貫して裏側に流れていた筆者の自問だったのです。この稿ではこれまでに書いてきたことを復習しながら、このテーマに自分なりの答を用意してみたいと思っています。

「カタルーニャ語圏」という言い方は、カタルーニャ語の「パイゾス・カタランス」の訳語を想定して使っているのですが、実はあまり正確とはいえません。「パイゾス・カタランス」は直訳すれば「カタルーニャの国々」となるのですが、例えば「ヨーロッパの国々」と言うときの「国々」とこの「国々」は同じものではありません。カタルーニャ語圏は、そこの住人にとっては自分の「くに」なのに、周りからは「国」だと認められていない地域であり、その歴史的経緯から単数で「カタルーニャのくに」と言うこともできないのです。一体日本語では「カタルーニャのくにぐに」をまとめて何と呼んだらよいのでしょう。「カタルーニャ語圏」はそれらの「くにぐに」が、カタルーニャ語を土着の言語として使用してきたという共通点から導き出した、苦し紛れの言い方だったのです。ところがまたその上に「語圏」にも問題があります。同じ「語圏」でも英語圏、フランス語圏、スペイン語圏というと、過去の植民地支配によって残された世界的規模の言語ネットワークをイメージできます。その一方でスイスのドイツ語圏、イタリア語圏といった「語圏」では、複数言語を使用する国の中の、特定言語使用地域を指し示しています。「カタルーニャ語圏」はどちらかといえば後者の意味に近く感じられるものの、カタルーニャ人が共通言語によって既成の国境線を越えた連帯を希求するというこの「語圏」は、実は民族圏と呼んだ方が適切なのではという思いが湧いてきます。つまり「カタルーニャ語圏」という表現は不正確のみならず不十分なのです。

ではなぜ、「カタルーニャ民族圏」という言い方を使わない(使えない)のでしょうか。スペイン中央政府は、カタルーニャ、バレアレス、バレンシア各州には、言語の問題があると思っているようです。ところが現実にカタルーニャ語を母語とする人々にとっては、言語の使用問題それ自身よりも自分達をスペイン人としてではなくカタルーニャ民族として認知してもらいたいというのが、より根本的な要求として存在します。それは別のことばで言えば「マドリードは我々の民族問題を言語問題に矮小化している」ということでしょう。

ところで、カタルーニャ人とは、他のスペイン人とはどこが違うのかを考えてみます。働き者だとかケチだとかいう性質のステレオタイプは、あまりに主観的な問題なのでここでは役立ちません。生物学的な人種の違いは考えられないし、宗教もカトリックの伝統の中に生きている点では全く同じです。文化を考えてみても、サルダーナを踊るのは一部の地域だけだし、人間の塔だってその点では大差ありません。結局のところ、カタルーニャ人を他から区別できる方法は「カタルーニャ語をしゃべる」かどうかという一点に集約されるのです。だから先の「マドリードは我々の民族問題を言語問題に矮小化している」のは大筋で正しいと考えられますが、その一方で、カタルーニャの民族問題のほとんどが言語に関係していることも事実として認めなければなりません。

そしてカタルーニャ語使用者の少なからぬ人々が、自分達を独自の民族だと考えていない現実もあります。したがって傍観者を自認している筆者は、この複雑な現状を「カタルーニャ民族圏」という単語によって偏った印象を与えてしまわぬように留意した結果、「カタルーニャ語圏」という曖昧な表現を不本意ながらも使用してきたわけなのです。

ここで「JOANのカタコト」のそれぞれの稿がどういうテーマを書いてきたかを、ちょっと整理してみます。

カタルーニャが他のスペインとは違っているというテーマは、色々な本にも多く登場するのであまり繰り返したくなかったのですが、導入として「フラメンコ反対」 を、そして「バスク問題」では意外と知られていないカタルーニャ人のバスクへの思いを書いてみました。

カタルーニャ言語問題としては、「windows」「ビール」で商品における言語使用の問題、「ハリー・ポッター」では小説や映画におけるそれを説明してみました。また「そごう」では、外国(日本)企業のこの問題への無理解について考えてみました。

カタルーニャ民族問題としては、「ナンバープレート」「カタルーニャ選抜チーム」の中で、言語以外の民族的要求はマドリードによってことごとく拒否される姿を描いてみたつもりです。

カタルーニャ語圏内部の問題として、「テニス選手」では出身地域によって様々なカタルーニャ人のアイデンティティーがあること、「バレンシア言語アカデミー」では、バレンシア内部に根強く存在するアンチカタラン主義について述べました。

そして「王様と私達」「脱ぐ男優」の中では、個人の中での微妙なスペインとの関係、揺れ動くアイデンティティーの問題を取り上げました。

カタルーニャ語圏の未来については、「ユーロ」「独立」の中で考察してみたのですが、たくさんの宿題を残してしまったようです。

実はカタルーニャ語圏が抱えているより深刻な民族問題は、他にあるのです。「エルネグロ」ではレイシズムに対する住民の意識向上について、「マヨルカ殺人事件」では、増加する様々な外国人住人の問題を、そして「カタルーニャ広場の住人」では、不法移民と政府の無策について書いてみました。

本来の古いカタルーニャ民族問題に対して、移民の増加は新しい民族問題だと呼ぶことができます。そしてこの問題は、カタルーニャ語圏にとって大きな試練となりつつあるのです。前述したように言語以外に大きく違わないカタルーニャ人とスペイン人の中に、人種的にも宗教的にも大きな隔たりのある移民達が入ってきたのです。カタルーニャ人が独自の民族でスペイン人によって支配されているというかなり民族主義色の強い仮定に基づけば、それ以外の他の民族とは特別な利害関係もないので、常に対等なつき合いができるはずだし、またそうでなくてはなりません。あるいはもう一歩踏み込んで、移民達と手を取り合ってスペインと戦うことだって理論的には可能なわけです。しかし現実には、アラブ人、黒人でイスラム教を信じる人達を異質なものとして、ウサン臭く感じている多くのカタルーニャ人達がいます。彼達には中(スペイン)に向かってはカタルーニャ人であっても、対外的(国際的)にはスペイン人であるかのごとき、本音と建前の使い分けがあります。

もちろんそれではいけないと警鐘を鳴らしている人もいるのですが、今までのところ大きな運動にはなっていません。都合のいいときだけカタルーニャ人になったり、スペイン人になったりできるのだったら、マドリードの言う通りカタルーニャ語圏には(古い方の)民族問題は存在せず、あるのは言語問題だけだということになってしまうのです。大多数がアフリカ大陸出身の移民達の存在は、あたかもカタルーニャ人達のアイデンティティーに裏表がないかを調べる試薬であるかのように働いているわけで、その試験結果はまたカタルーニャ語圏の将来を占う一つの重要な要素であると思われます。

ということで「カタルーニャ語圏とは何だろう」という自問の答は、カタルーニャ人達がスペイン人としてのアイデンティティーをより放棄していく方向に進めば、「いつの日にか、それはカタルーニャ民族圏になっていく枠組である」と言うことができます。しかしその一方で、カタルーニャ人達がアイデンティティーの使い分けや二重アイデンティティーをこれまで以上に容認していく、あるいはスペイン人になりきる方向に進めば、「カタルーニャ語圏などそもそも存在せず、カタルーニャ語・バレンシアーノ等の地方語の使われるスペインのいくつかの地方が、民族主義者達によって無理矢理ひとまとめにされ、そう呼ばれているだけだ」という主張に根拠を与えてしまうことになるのです。個人的な意見ですが、この問題は現在はこのように不透明な状況ですが、これから10年20年後にはもう少しはっきりとした方向性が見えてくるのでは、と考えています。

そしてカタルーニャ語圏の現状は、カタルーニャ語を「使っている地域」というよりは「使うことが許される地域」に留まっているわけで、スペイン領土内に限ればどこへ行ってもカスティージャ語が必ず通じるので、カタルーニャ語圏であると同時にスペイン語圏であると言われてもしかたがないわけなのです。そんなこんなでカタルーニャ語圏とは、実在する地図上の場所というよりは、カタルーニャ人の頭の中に頻繁に見出される概念だという方が事実に近いのかもしれません。

読んでいただいた方、長い間おつき合いいただいてありがとうございました。もし何かお気づきの点、ご意見、ご感想などありましたら@spainもしくは直接本人joanegre@yahoo.co.jpまでメールをいただけると嬉しく思います。

 

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