JOANのカタコト

 

 

17.独立

東チモールが21世紀になってから最初の独立国家になりました。1990年以降に新しく世界に登場した国々は、東西冷戦構造の終結に伴って、それ以前に主流だった植民地支配からの独立ではなく、すでに存在する国家からの分離、あるいは連邦の解体による国家の誕生・再生というケースが大多数を占めています。一般にカタルーニャ人達は、そういった新しい「国譲り神話」に強い関心を持っているものの、必ずしもカタルーニャ民族主義がそのまま独立運動には昇華していません。その一方でスペイン中央や海外からは、カタルーニャ人達は一人残らず分離独立を志向しているかのように語られることもしばしばあります。そういったギャップはどこから来るのでしょうか。この稿では、カタルーニャ語圏が未来の独立に向けて、どのようなスタンスを採っているのかについて考えていきたいと思います。

ちょっと前のことですが、ある言語学者の発表した「カタルーニャ語の正常化にとって、独立はプラス要因とはなり得ないのでは?」という仮説が、カタルーニャ語圏に大きな波紋を投げかけました。この仮説では、カタルーニャ語の正常化運動が今日までに、ある程度の成果を収めることができたのは、強力な国家語(カスティージャ語)の存在の前においても、スペイン憲法によってカタルーニャ語等の「地方語」の言語権が認められていたからだからだとしています。そして、もしカタルーニャが独立してカタルーニャ語を公用語と定めたとしても、現代の民主主義国家たるもの、その版図に抱える多数のカスティージャ語使用住民の権利を蹂躙するわけにはいかないので、その言語に準公用語の地位を与えることになる。もともと優勢なことばが準公用語となったら、劣勢な公用語の地位はどうなるのか火を見るより明らかだと、独立の言語問題に与えるマイナス面を論じているのです。

そもそもこの仮説は、カタルーニャ語の未来についての言語学的考察の中で生まれたものだったのですが、その独立に対するネガティブな意見の方に周囲の注目が集まり、多くの議論を巻き起こしました。というのも、一般的にカタルーニャで独立が語られる時には、スペインに「支配されている」現在の状態を悪いものととらえ、独立を勝ち得た日には全てが改善されるに違いないという希望的観測が中心となっていたからです。もちろんその路線で行けば、カタルーニャ語正常化も独立によって容易に完遂されるだろうと考えられていたわけです。独立に否定的なこういった仮説のカタルーニャ社会の内部からの登場は、一部の民族主義者達にとっては喜ばしくないことでしたが、また他方で独立に向けての現実的議論の登場として歓迎する考えもありました。それというのも、一つのまとまった方向としての具体的な独立論は、これまでほとんど耳にすることがなかったからです。カタルーニャ語圏に存在するいくつかの民族主義政党も、その政治目標にはっきりと独立を謳っているところはなく、その代わりに述べられる「自治権の強化」「統治権の獲得」という文言が、「独立」とどう相違するのかのはっきりした説明もありません。

さて、ではどうして独立論が具体性を帯びず理想論に留まっているのかを考えてみると、そこには大きく前途を立ち塞いでいるいくつかの「カタルーニャ語圏の弱み」が見えてきます。

まず第一に数字的な困難があります。一番独立志向が強いカタルーニャ州でさえも、独立の是非を問う住民投票での賛成票の過半数獲得は難しいだろうといわれています。国内・外からの移民の増加とカタルーニャ人の出生率の低さも、将来的にプラスに働いていくとは思われません。民族主義勢力の力のあまり強くないバレンシア・バレアレス両州においては、独立賛成の得票率がカタルーニャ州のそれを上回ることは、絶対にありえないでしょう。民主主義的方法では数字的に独立不可能だとしたら、他にどんな手段があるのでしょうか。バスクの民族運動に対してある程度の共感を持っているとはいえ、ETAのような武力やテロによる独立闘争に対してはカタルーニャでは極めて否定的です。彼達は平和的・民主的解決のみを希求しているようで、このことは永遠に続いて欲しい素晴らしいことなのですが、独立への距離を縮める要素にもならないようです。

それから経済的繁栄も、独立には必ずしもプラスには働いていないようです。カタルーニャ語圏の3州は、スペイン経済の牽引車の役割を果たしています。スペインという枠の中で遂げた経済発展を、独立した後にも保つことができるのか疑問視する声も強いのです。最近カタルーニャから撤退する外国企業や、本社をバルセロナからマドリードに移すスペイン企業も少なくなく、独立問題以前にカタルーニャ民族主義の膨張が経済的繁栄の継続に影を落とすのではと内部からも心配され始めているのです。

そしてまた政治的・経済的・文化的活動の全てが州単位でしか動いていないのも、大きな障害になっています。ヨーロッパの政治的枠組みの中では、カタルーニャ語圏はスペインの3つの州とフランス・イタリアのそれぞれ1地域とアンドラに分割されていて、国家より下のレベルでは、どんな活動も州単位で行うことになってしまいます。カナダのケベック州のようにそのフランス語使用地域が1州にまとまっているのとは違い、カタルーニャ語圏は故意であれ偶然であれ政治的に分割されているので、いかなる共同作業をするのも容易なことではないのです。汎カタルーニャ主義的独立運動は、その足場すら築けないのが現状だといえるでしょう。

最後にそして決定的なことですが、カタルーニャ民族団結の弱さを指摘しておきます。カタルーニャ語圏が、カタルーニャ民族の一つのクニなのか、カタルーニャ語をしゃべるいくつかのクニの集まりなのか、いくつかの似て非なる言語を持った民族集団に無理やり与えられた人為的な枠組みなのか、あるいはカタルーニャ民族などはそもそも存在せずスペイン人(あるいは民族)の中にカタルーニャ語を使う人が多い地方のことなのか、どの考え方にも決め手がないのです。だから独立したいといっても、カタルーニャ民族が曖昧な存在では具体的な独立論を組み立てようもない、これが現実なのです。

これらの弱みを解決した後に独立を目指すのでは遅すぎると考える人からは、とりあえず州単位での独立を計画し、それを達成した場所が複数になった時点で連邦を形成すれば良いという主張もあります。これは先の汎カタルーニャ主義に対して、小カタルーニャ主義的方向性だと規定することもできます。けれどもこの考え方の弱点は、一体何の為に独立が必要なのかという基本的な問いに答えられなくなってしまうことにあります。それは、カタルーニャ民族の自決・独立を妨げているものは、本来スペインやフランスという国とその国境線なのに、一番可能性の強いカタルーニャ州だけの独立を想定しても、新たな国境線によって同民族を再々分断することになり、本来の目的達成からは遠い袋小路に入ってしまうという理屈なのです。

それとは別に実現可能な路線として、直接の独立を目指さずヨーロッパの枠の中での権利拡大によって、カタルーニャのクニとしての実質を得る方法も考えられています。しかしその場合にもカタルーニャとは、一体どこを含みどこを含まないのかは、やはり疑問のままなのです。

実は口に出すか否かは別にして、カタルーニャの独立を「気にしている」のは、カタルーニャ人達よりもむしろスペイン中央政府ではないかと思われます。その態度を見ていると、言語それ自身に関しての自治州ごとの政策にはある程度の妥協をしているにもかかわらず、民族主義政党同士の州を越えた連携を極端に警戒し、スペインの枠からははずれる民族的な要求と思われるものには門前払いを食らわしている姿があります。これは肉を切らせて骨を切る作戦で、いうならば仮にバルセロナの99%の人がカタルーニャ語を使って生活する日が来たとしても、そこがカスティージャ語の通じるスペインの領土であり続ける方が、独立されるよりは「まし」だという選択肢なのです。「スペインの中に複数の言語は存在するけれども、住んでいるのはスペイン人である」というのが、政権が右に向こうと左に向こうと、スペイン中央の一貫した考えであり、カタルーニャ民族主義者と政治的取り引きはしても理解はする気がないということのようです。そこに見え隠れする本音は「自国領内に独立運動が起こったら困るし、領土は小指の先ほども譲れない」ということでしょう。ここではそういった必要以上の恐れを、独立を(そうされないように)「気にしている」と表現してみました。

カタルーニャ語圏が、一つの、あるいはいくつかの国家として独立する日が来るかどうかの予言はできませんが、仮にそういうことがあるとしても、それはかなり遠い遠い未来のことのように思えます。今日現在のはなしですが、カタルーニャ語圏内部からの独立へのモチベーションは決して高いものではないし、そこへ向けた準備もできていないと思います。このように、ほとんど前進していない独立への歩みよりも、むしろ独立されては困るという懸念の方が、皮肉なことに何歩も先を行っているのです。

 

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