JOANのカタコト

 

 

14.ハリー・ポッター

世界でこれまでに1億部以上売れたといわれるJ.K.ローリングのハリー・ポッターは、スペインでも熱狂的とはいえないまでも、息の長いベストセラーとなっています。一説によれば4巻合わせて150万部ほどが、スペイン国内での販売数だそうです。

このハリー・ポッターのスペインでの受け入れられ方には、日本などとはちょっと違った特徴があります。ひとつにはこのシリーズが児童文学としてしか扱われないことです。これだけの大ヒット小説になったのは、たぶん子供のみならず大人達の圧倒的支持をも受けたからだと思うのですが、その点についての言及はほとんど見かけません。もう一点は、貧乏な子持ち失業者だったローリングが、一躍イギリスで3番目にお金持ちの女性になったというサクセスストーリーばかりがマスコミで紹介されて、小説自体の魅力よりも関心が持たれていることです。

さて、カタルーニャ語圏でもここまでは共通なのですが、それ以外に色々な相違点もあるので、この人気小説、そしてその映画がどのように受け入れられているのかを検討してみたいと思います。

一般に人気のある他国でベストセラーになったような本は、カスティージャ語と共にカタルーニャ語にも翻訳出版されます。ハリー・ポッターのケースでは、違う出版社から違う翻訳者によって訳され装丁も全く違った2冊が、原作が発表されてから約半年後の同じ日にそろって発売されました。価格はカスティージャ語版の方が20%ほど安く設定されていました。値段にもかかわらずカタルーニャ語版も順調で、4巻あわせてすでに20万部ほど売れているそうです。カタルーニャ州に限ったことですが、両言語の売れている比率は正式な数字は不明なものの、ほぼ同数くらいだといわれています。

カタルーニャ語への翻訳版は、かなり積極的に英語原作の「ことばの遊び」の部分を訳そうと試みていて、固有名詞をかなりいじってみたり、会話にくずれた口語的表現を使ったりしています。この点は翻訳者の個性なのか、編集上の方針なのかは分りませんが、意欲的な翻訳だという気がしました。その一方である文学者はこの本を批評して、本来カタルーニャ語にはなかったカスティージャ語から借用された表現が多数見られると指摘し、編集者がそれを見逃し子供たちの手にそのまま渡っていることに苦言を呈していました。難しいものです。

ところでハリー・ポッターの第1巻「ハリー・ポッターと賢者の石」が映画化され、クリスマス映画として上映されたのですが、カタルーニャ語圏では大きな問題を引き起こしました。それは配給元のワーナーがカタルーニャ語吹き替えの版を作らず、スペイン全土にカスティージャ語版だけで封切ろうとしたからです。この「映画吹き替え問題」は毎年のように繰り返されていて、全くもって新しいことではないのですが、その場しのぎの対策ばかりで一向に根本的な解決はしていません。

日本と違いスペインでは、ほとんど全ての外国映画が吹き替えで上映されてきた歴史があります。これは独裁者フランコがカタルーニャ語をはじめマイノリティー言語を弾圧したのと軌を一にしていて、カスティージャ語の推進政策の一環として映画の吹き替えが行われたのだそうです。だから長い間スペインで映画というとオリジナルが何語であっても、全部カスティージャ語吹き替えしか見ることができなかったのです。ところが自由な時代が来て、言語の弾圧もなくなったのですが、映画の習慣はほとんど以前のままでした。もちろんカタルーニャ民族主義運動家たちは、これではいけないと映画のカタラン化運動をしているのですが、いかんせん配給しているのがほとんどアメリカの大手映画会社で、その利益優先の態度を変えるのは容易でないのです。

今回もこの映画「ハリー・ポッターと賢者の石」のカタルーニャ語吹き替え版上映を要求する市民運動が起こったのですが、例年にない特徴だったのはEメール攻撃でした。それはアメリカのワーナー本社お客様係のアドレスに抗議のメールを送りつける作戦で、1週間で1万1千通ほどが届いたようです。ほとんどコンピュータ・ウィルスにも似たこの戦術がワーナーの態度を変えるのに成功し、副代表の名前で今回この件に対しての無理解を謝罪するとともに(1) 「ハリー・ポッターと賢者の石」の吹き替えは時間的に間に合わないので、いくつかの映画館で原語版にカタルーニャ語字幕で上映すること、そして(2)次作品からは同言語への吹き替え版を用意すること、という約束を伝えてきました。

結果として全面的勝利には至らなかったことに対し、まだ不十分だという声もありましたが、時間切れになり運動は収束していきました。この映画は封切られると同時に、他の国々同様に記録的売り上げを記録しています。しかしながらカタルーニャ語字幕付き原語版を上映している8館の入場者数は、市民運動の盛り上がりの割りにはもうひとつといったところでした。

世界200の国で出版され、47の言語に訳されているハリー・ポッターですが、その映画化に連動するかのように、第1巻に新しい言語訳が登場しました。バレンシア語版です。前に述べたように、すでにカスティージャ語版とカタルーニャ語版は出版されているのに、あえてバレンシア語版が出されるというニュースにはとても驚かされました。

それを企画しているタンデムという出版社の説明によれば、バレンシア語はカタルーニャ語の方言ではあるものの、バレンシアの子供たちが読むのに現行のカタルーニャ語版はあまりに「バルセロナ化」された表現が多いので、バレンシア地方で普通に聞かれる口語的表現に近づけて訳し直したということです。ことばとしての違いはさておいて、現実にはバレンシア州でこれまでの「ハリー・ポッターと賢者の石」カタルーニャ語版はわずか1200冊しか売れていなかったのですが、その原因は翻訳の地元の口語表現からの遊離のせいではなく、ただ単純に店頭に並んでいなかったからだそうです。今回そこで行われた方法が、悪かった流通を良くする努力ではなく、バレンシアの地元の出版社が地元語版を出版して商売をするということだったのです。この小説の人気を背景にしたキャラクター・グッズと同様なアヤカリ商法なのか、子供の言語能力を思いやる文化的配慮なのかの判断は保留しておきたいと思います。

これまで見てきたように、カタルーニャ語圏には世界中と同様にハリー・ポッターに熱狂する多くのファンがいます。と同時に、この地域にしかない特殊な問題もあるのです。そしてハリー・ポッターを子供の読む本で、子供向け映画だと決め付けた上で、大人達が実は自分達社会の民族・言語問題を「子供達のため」という切り札を使って、解決あるいは自己正当化しようとしている姿が見られます。

魔法の世界を舞台に大活躍をするハリーとその仲間達も、今のところカタルーニャ語圏の諸問題を解決する呪文は知らないようです。

 

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