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こちらに住んでいると、個人差はあれ多かれ少なかれ必ず経験することになる、一つのテーマ。「東洋人」としての自分を再認識させられること。
よく東洋人蔑視が話題になったりするが、チノ、チナ(中国人の意味)と呼ばれることについてあまり大きな嫌悪感を私は持たない。まぁ、言われ方にもよるが。バヤ・チニータ(うわ!すごい中国人)とか、ケ・チニータ・マス・ボニータ(かわいい中国人だねぇ)というピロポ(賞賛をこめたひやかし)だってかけられることもあるし、使う側が必ずしも東洋人蔑視として使っているとはかぎらないから。
でも、例えば先日の話。
友人が25人くらい集まる予定の食事会の予約を私が担当した。「友人が集まる食事会」と言ったのだが相手は予約担当をした私の容姿から勝手にチノが25人も来ると想像したようだ。
「今から中国人の団体がくるぞ」という話が広まっていた。
実際は、日本人(この日の集まりでの東洋人は日本人だけだった)は全部で5人という少数派だったのだが、バールでアテンドしていた若い男性はそんなことは知る由もなく、先に到着してアペリティブを取っていた友人におもしろおかしくそれを話した。その友人がかなり憤慨して「それで?だいたい東洋人が予約したからといって東洋人ばかりが来るとは限らないじゃないか。じつは僕たちもその予約に入っている友人仲間だよ」と返答するとちょっと恥じたように、冗談でごまかしたそうだ。
迎える相手からすれば予約担当がたまたま東洋人だったら「その友人メンバーはみな東洋人だ」というような固定観念があったのか。例えばこれを予約した人が同じくみためが外国人でも東洋人の容姿でなく、ドイツ人のような容姿だったらどうだっただろう。別にドイツ人の団体が来るだろうとは考えなかったのではないか。
確かに東洋人は同胞の仲間内で集まることが多いように思う。それは事実。それがこのように単に予約担当が東洋人だったから、その日の集まりはチノたちの集まりという安易な推測に結びつくのか。
まぁその推測はそれでよいとしよう。ただ、今回私がカチンときたのは、あまり歓迎ではないような言い方でそれを同胞と思った人におもしろおかしく伝えたこと。もし全員がチノだったとして、なにをそんなふうに他人に伝える必要があるのか。いやなら最初から断ればいい。あきらかに見た目が違うから、と私の友人をあのチナの仲間じゃない、と判断したその男性の周囲には東洋人の友人はいないのだろう。自分の言動が差別的とは気が付かなかったのかもしれない。
無知からくるそんな、「あなたたち」と「わたしたち」を隔てる壁。それに時々ぶつかることがある。例えば今居住している家に私が引越ししてくるときも、「チナが引っ越してきて縫製工場をつくるらしい」とかいううわさが近所に飛び交っていてびっくりしたことがある。今はそんなことを言っていたことなんて、もちろんみんな忘れてしまっているだろうけれど。相手がよっぽどの人種差別主義者でないかぎり、最初の壁はコミュニケーションをとるうちに解消する。
今回の食事会でも最後にはそんなわだかまりもなく、ことは比較的スムーズに進んだし、最後にお礼の言葉をかけた私にも「いつでもまた来てね」とは声をかけてきた。悪気はないのだ。
でも、ときどき、オイ、やめてくれよ、またかよー、と気分がちょっと曇るのもまた事実。
ちょっと愚痴ぽくなってしまったけれど、ある程度は仕方のないこと、と割り切るしかないのか。同じような経験をされた方も少なくないと思うけれど、めげずに頑張りましょう。
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