ちょっと前のわたしたち

【No.113】12月3日 TOSHIO * 【No.114】12月9日 むく
【No.115】12月16日 Maki * 【No.116】12月23日 かおる

No.116
12月23日 かおる(マドリード)


  もう、今年もあと残りわずか。いつもあわただしい年末が、いっそうあわただしくなってしまった。最近の近況を書くためのこのコーナーにもなにを書くのか、悩んでしまう。
 というのは、この「私の近況」と呼べることは最近ある事件一色になってしまっているから。それはなにか、というと、スペインに在住の方なら知らない人はいない、ガリシア沖の重油タンカー事故。
 他のテーマを書こうと、ネタも探していたのだが、執筆のローテーションが、本当に頭がこの事件に傾いてしまっている日程で回ってきてしまい、単細胞の私としては他のことをあまり書けないのが正直なところ。私の周りでうんざりされている方、ごめんなさい。

 今回の事故が発生したとき、1992年に発生した同様の事故、Marea Negra(黒い波)の報道にも心が痛くなる思いをした、その記憶がよみがえった。 なんとかするべき、でも自分になにができるんだろう..と考えた結果、ある団体にボランティアを申し出て、お手伝いをさせてもらった。その活動については、ここでは触れない。別に報告書を書いてこのHPでもアップさせてもらったので、興味のある方はご覧ください。

  関連ページ ---> 特集「ガリシア沖重油タンカー沈没事故

 事故が起こったことに対する怒り、無力感を感じて、自分の良心に基づいて動いたつもり。これは自分の気持ちに正直に、心からそうした。でも、一方で自分は車に乗り、暖房の効いた家で暖かい生活をしている。仕事もゴミをひたすら放出する仕事だ。例えば今回の重油運搬だって、企業の悪質な運営はあるかもしれないが、間接的に安価な重油の供給の恩恵をうけている。そんなことをいまさら考えてもしかたないのだけれど、なんだか、悪の片棒担ぎがせめてもの償いをしているような気分になったのも、事実。
 今回のような大きな重油の事故は、人目に触れるけれど、報道されないような事故による汚染は頻繁にあるらしく、もちろん、重油事故だけじゃない汚染や環境破壊ってどんどん進んでいる。

 じゃあ自然と共存の、ナチュラリストに戻れ、自然へ戻れ、といわれてもそれもいまさら、無理。
 経済や生産のシステムの中に組み込まれている自分と、生き物としての自分ってギャップがあっても仕方のないものなのかもしれない。そう、純粋な気持ちだけでは生きていけないってこととかと同じかな。
 クリスマスっていうのに、暗いハナシになってしまった。

 せめて、いま、みんなの幸せをお互いに祈りあうこの季節、ちっぽけな存在の一人ができること。
 多分、それは一番身近なことなのだと思う。自分が分け与えられるだけの愛を分けること。ちょっとキザったらしいが、そう思う。みなさんのところにも、幸せと愛に満ちた新年が届きますよう。

 

No.115
12月16日 Maki(横浜)


  私の今の職場は海外営業なので、12月に入ってから続々と各国の取引先からクリスマスカードが届いている。受け取ったカードが営業さんの机やキャビネの上に飾られているのを見るにつけ、スペイン滞在時のクリスマスを思い出す。

 ステイ先でも、友人の家でも、カードが届くとすぐに玄関先の靴箱の上など家に入った時に一番目立つ所、もしくは居間のテレビの上、暖炉の上などみんなが見られるような“特等席”に飾っていた。そして、お呼ばれや食事会が多いこの時期、訪れた家に飾られたカードを見て「マアステキ」と話題が盛り上がるのである。研修先の学校でも、みんなが見られる廊下や職員室のコルクボードに貼っていた。

 日本の年賀状もいいけど、元旦にどさっとまとめて届くために大抵そのまま重ねられてしまって、1枚1枚飾って楽しむ時間が少ないのは残念だと思う。その点、クリスマスカードは段々と飾るカードが増えていく楽しみ、単発ではなく長い期間の楽しみがあるから、また楽しい。

 スペインではカードの絵柄もカトリック。キリスト降誕場面やらマリア様やらが殆どで、日本でよく見るサンタやツリーをモチーフにしたものは少ない。でも、とっても奇麗なものが多い。ユニセフのカードも素敵。日本でもユニセフカードは見かけるけど、国によって違う絵柄が何通りもあるので、楽しい。

 それに、カードに"Feliz Navidad y Pro'spero An~o Nuevo"など、スペイン語メッセージが印刷されているのも、日本では絶対にお目にかかれない。滞在中、カード熱に火がついた私は素敵な絵柄を見つけるたびに買っていた。それも、友人に送る分と自分のコレクションの分、両方。

 私は、自分で言うのも何だがけっこう筆まめだ。スペインの友人には帰国してからもよく手紙を書いている。手紙はもちろん、誕生日やクリスマスにはカードを送る。筆無精のスペイン人からはその半分も返事は来ない。こっちが3回出してやっと向こうから1回、って感じが普通。でも、それでもいい。私が送った手紙やカードを喜んでくれて、私の事を思い出してくれれば、それが一番うれしい。

 今年も、先週からせっせとクリスマスカードを書いて出している。それも、1人1人、送る相手に一番ぴったりなカードを文房具屋をはしごして探す。基本的には日本らしい和風カードなんだけど、たとえばMadridの2軒のファミリアには今年は文明開化時代の日本を描いた、ちょっとハイカラな浮世絵カードにした。大親友のPiedrahitaの先生達。音楽のNachoには、去年はピアノ、今年は聖歌隊をモチーフにした立体カード。実家で休暇を過ごすIreneには、立体おもちゃ付きなど姪っ子達が喜びそうなちょっと遊び心あるカード。絵が大好きな美術のVi'ctorには日本の名画のカード。星好きで、私の教えた七夕の伝説を語り継いでくれているAmparoには、月や星のデザインのカード。

 そんな具合で選んだたった1枚のカードに、スペイン語で1人1人にメッセージを書き、サインと一緒に私の名前Maki(真紀)の「真」の字の朱印を押して、ちょっと絵手紙風。相手によっては、ちょっとしたプレゼントも添えたりする。貼る切手も凝ったものにして。だから、1通出すのに、とぉーっても時間がかかる。でも、そういう作業も楽しいのだ。

 今年は、私にもいっぱい、カードが届くといいな。

 

No.114
12月9日 むく(マドリード)


 もう12月も終わりに近づいている。個人的には激動の1年であったと感じている。その1年を振り返ってみたい。

 あれは昨年の12月30日、年末をガリシアで過ごすための飛行機に向かうバスの中で携帯に日本から電話がかかってきたのが始まりであった。内容は、会議のためにすぐ日本に帰って来い、というものであった。もっと早く連絡してこいよ、そうすれば20年ぶりに日本で正月が過ごせたのに、と内心で毒づきながら休み明けそうそうに便を探し、日本の正月休みが明けると同時に本社に出社するという返事をした。

 本社での会議の内容は予想通りメキシコに転勤せよというものであり、事前準備のためすぐにメキシコに出張せよという、なかば強制的業務命令であった。

 日本滞在4日という強行スケジュールでスペインに帰着した後、わずか2日過ごしただけでメキシコに出張。予約した便がオーバーブッキングで翌日の出発となり、メキシコ滞在がわずか2日という超強行スケジュールでの出張となった。

 3月には中南米関係者がメキシコに集まっての会議出席のため再度メキシコに出張。ただし、会議の内容が予想とは違う方向になり、本当にメキシコに転勤になるのか不明の状況になってしまった。

 その間、ヨーロッパの本拠、ベルギーの社内でも僕のメキシコ転勤が話題に上っていたらしい。本音を言えば家を買ったばかりでもあり、家庭の事情もあって転勤はしたくない、どうしてもというのであれば単身赴任するしかないと腹をくくらざるを得ない状況であった。

 その後さらに状況が変わり、ベルギーで欧州の拠点の世話人を担当していた人間が別の担当となり、代わりに欧州の世話人に任命された。結局メキシコへの転勤はなしとなったわけであるが今後の任務を考えると気が重いことではあった。

 6月にベルギーで会議があり、その足で一足先に一時帰国していた家族に合流するため日本に帰国。一時帰国ではあっても帰任する前に本社で会議、そして帰任。9月には本社での役員会出席のためまた帰国。そして欧州世話人として毎月のベルギー出張、ドイツでの展示会への参加、フランス支店の訪問。

 本当に出張が多い年であった。

 

No.113
12月3日 TOSHIO(日本)

パルケ・エスパーニャ/伊勢スペイン村

 先週末の事、長年の懸案であったパルケ・エスパーニャ(志摩スペイン村)訪問を果たす事ができた。スペイン在住時代に近鉄スペインの武田修さんから散々その話を聞かされ、一度は訪れてみたいと思っていたテーマパークである。名古屋に引っ越したのでその内行く機会もあるだろうと思っていたが、仕事に追われ今までその機会がなかった。

 インターネットで「ホテル志摩スペイン村」に宿を取った。往復は、名古屋駅から電車にしようか、車にしようか、それとも知多半島からのフェリーにしようかと迷いながら、結局全て陸路、車で行く事に決めた。片道150km足らず。まっすぐ行けば、二時間の行程である。

 道中、伊勢志摩スカイラインを通って道草を食った後、先ずは「ホテル志摩スペイン村」に到着。入り口の自動ドアーを入ると玄関のロビーがやたら広いことに驚く。空間をとても贅沢に使っている。全てをこじんまりとまとめてしまう日本的な建物の構造とは明らかに一味違う。しかし、本物のスペインとも微妙に違う。それでも、スペインの雰囲気を出そうとしている意図は明確に伝わってくる。その意図は高いレベルで成功している。勿論、完璧ではない。完璧ではなくとも、「スペイン」をこの日本の地に再現しようというここまで明確な意図に触れると、「スペイン」という国と人々を愛して止まない私としては無条件に好感が持てる。

 二日間有効なパスポート入場券を貰って、ホテルに隣接する「パルケ・エスパーニャ」に入場してみる。先ずは、世界最大級とうたわれる吊り下げ式ジェットコースター「ピレネー」に乗ってみた。凄まじい迫力である。次々とライドに乗ってみた。どれもこれも、スリルがあって趣向が凝らしてあって面白くて期待を裏切らない。しかも、嬉しい事に待ち時間ゼロ。待っている列が全くないのである。お昼に始まったパレードも、最前列で見れる。パレードで踊っている踊り子さん達に声がかけられる位置で見られることが嬉しい。プラサ・マヨールに行ってみる。これまた、圧巻である。
 マドリードのプラサ・マヨールの再現。 あまりに似ているので、思わず笑ってしまう。プラサの四辺を歩きながら、良く行くバールはこの辺だったよなとか、ここにはクチジェロス門があるのだがあれ?閉まっているとか、ここには切手屋さんがあるのだが、などと本物のロケーションを思い出してしまう。

 ハビエル城の前には、偶然にも知人であるサンティアゴ・デ・サンティアゴ氏の彫刻を発見した。独特の作風であるから、閉園間際、日もとっぷりと暮れた薄闇の中でもすぐ目につく。マドリードの知人の作品を目の前にすると、今まで以上にパルケ・エスパーニャが更に身近なものに感じられた。

 パルケ・エスパーニャの二日間、大満足であった。ここまで、スペインを再現しようとした意図には頭が下がる。これは、勿論近鉄さんの事業/ビジネスであるが、それでも、日本にはここまでスペイン好きな人達がいるのかと思うと嬉しい限りである。同時に、「パルケ・ハポン」なるものが、やがていつかスペインに作られる日が来るのであろうかと、思いをめぐらした。何年待っても、きっと来ないであろう。志摩スペイン村から名古屋への帰り道、私は「日本とスペインの関係は一方通行である。日本の片想いである。」とある日本大使がいつも言われていたのを思い出していた。

 

ちょっと前のわたしたち

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