ちょっと前のわたしたち

【No.105】10月7日 むく * 【No.106】10月14日 Taka
【No.107】10月21日 かおる * 【No.108】10月29日 Maki

No.108
10月29日 Maki(横浜)

 この10月、会社で大幅な部署異動があり、引越しや諸変更作業で大忙しの日々がやっと落ち着いてきたと思ったら、もう11月も目の前である。
 家に帰れば帰ったで、スペイン好きの仲間で11月17日に開催するイベントに向けて準備が進んでいるので、それもまた忙しい。今回、私が関わっているのは旅行記CDRの作成。といっても技術的なところは素人なので、もっぱら専用ツールを使っての原稿作り。要するにスペイン滞在記を作っていたのだ。自分のはもちろんのこと、他人の旅行記も片っ端から集めて、担当地域を中心に内容に見合った写真を都合して、ページをまとめていく作業だった。

 スペインから帰国してはや1年半が経ったというのに、いまだ整理が終わっていない大量の写真。美術館の入場券も、RENFEの切符も、祭りのパンフレットも、持ち歩いて擦り切れた地図も、生徒にもらったカードも、ステイ先の子供の描いた絵も、ぜーんぜん整頓できていないままだけど、全部大切な大切な思い出だ。そういった思い出箱をひっくり返していると、ついつい「懐かしい!」と食い入るように見てしまい、なかなか作業が進まなかったりする。記憶を辿っていくと、次々に色々な思い出が浮かぶ。風景、友人の顔、生徒の名前、訪れた土地・・・昨日のことのように覚えている。

 そんな感じで滞在記を色々作っていると、無性にスペインが恋しくなる。まだ当分行けそうにないけど、早く行きたくて仕方がなくなる。「早くスペイン行きたいよー。」そうつぶやく私に、家族や友人は「行ったばっかりじゃない!それも1年間も行ってたのに!」と言う。だって、“もう”あれから1年半も経つんだもの。定期的に行ってないと、自分がどんどんスペインから遠ざかっていく気がして。

 そんな折、義兄が1ヶ月間ヨーロッパ出張に行き、10ヶ国以上を移動するハードスケジュールの中、マドリードにも1日だけ滞在した。なんとか自由時間ができたので1人で街に出てみたよ、と姉にメールが入った。なんでも、上司に頼まれたギターを見るために王宮の近くのギター屋に行ったら休みだった。仕方がないのでぶらぶら歩いていたら四方を囲まれた広場に出た(おそらくマヨール広場であろう)。1人で飲むのはあまり好きじゃない義兄なのだが、そこで1人ビールを飲み、トルティージャを食べて、広場の絵柄の版画を買ったらすっかりいい気分になってしまったという。懐かしいなぁ。私もよくあの辺をぶらぶらして、1人で飲んだりもしたなぁ。

 メールはこう締めくくられていたそうだ。
 「マック(なぜか最近義兄は私をこう呼ぶ)がスペインにはまるのも分かる気がする。毎日飲んで絵が買える生活なんて最高だ。」
 ・・・どうやら義兄もスペインを気に入ったようで。

 

No.107
10月21日 かおる(マドリード)

 2M12。マドリードが2012年のオリンピック開催の誘致に向けてキャンペーンを展開している。

 1000という意味のMIL(ミル)とマドリードの頭文字、Mを掛けているのだろうか、2M12が展開中のポスターなどでみる唯一のキャンペーン・メッセージだ。

 同年にオリンピック誘致の名乗りを上げていた同国内のライバル、セビージャに勝ったこともあり、マドリードではこのキャンペーンが継続している。

 キャンペーン・マークはあの、バルセロナ・オリンピックでもマスコットの「コビー」を担当した、ハビエル・マリスカル氏のデザイン事務所のもの。スペイン語のアルファベット、エニェに固有である、Nの文字上に付く「ニョロ」を縦にしたようなデザイン。真っ赤なそれは聖火の炎のようにもみえる。

ラ・ペイネタ1 私の仕事場の近くに、このオリンピックが開催されれば競技場の一つになるであろう、スポーツ・パビリオンがある。その名も「ラ・ペイネタ」。ペイネタとは、フラメンコの女性の衣装などで頭に付けている飾り櫛のこと。建物の外観がそれに似ているから、こういう通称で呼ばれている。

 この「ラ・ペイネタ」は、マドリード市内のサン・ブラス地区をちょっと抜けて市街地から外へ出ていく街道沿いにある。

 今でも上品な地域とは言い難いが、少し前まではマドリードでも有数のかなり荒れた地帯で、住人層もとても高水準とは言えない、住むにはちょっと敬遠する、というような地帯であった。

 最近、このラ・ペイネタの前のロータリーに大きくこの2M12のロゴのモニュメントが建てられ、ロータリーは花文字で2M12とかたどられた。きれいにペイネタが化粧されたように見える。

 そういえば、このあたりもどんどん新しいマンションなどが建設ラッシュで、一昔前までの「安くても住むにはごめん」、といったような敬遠は何処へやら、目をむくような値段の新しいピソ(マンション)が売りに出されている。不動産デベロッパーや不動産への投資家は日毎に資産を増やし、住宅価格の値上がりは上昇の一途。庶民には住宅購入が手の届かぬ所へ行ってしまった感さえある。このサン・ブラスでさえ。

ラ・ペイネタ2 ペイネタの前にある、花で化粧されたロータリーのすぐ近くの空き地には、数ヶ月前までルーマニアのジプシー達が家財道具を全部詰め込んだバンを駐車し、生活していた。近くのベンチは彼らの居間の長椅子といったような風情で、よく家族が食事をとったりしている光景がみられた。最近、このルーマニアン・ジプシー達の姿も見ない。オリンピック誘致キャンペーンの地域浄化のために追われたのでなければよいが、と余計な心配をしてしまう。

 地元が発展し、豊かになることはよいことだけれど、最近スペインという国もこの発展競争にもまれて、何かを忘れていっていないか、と思ってしまうのは私だけだろうか。

 非効率だけれども、人間的な「弱きを助け、強い力に立ち向かう」ドン・キホーテ的な精神を捨てて、弱いものを切り捨てていくような社会にスペインはなって欲しくないもんだ。

 ルーマニアン・ジプシーたちの生活の長いすとなっていた、なんとなく取り残されたようなベンチの周りに舞う吹き溜まりの紙くずを見ながら、このごろの世知辛さに身をやつす我が身としてもひしひし感じた。


【写真説明】
(上) 「ラ・ペイネタ」とロータリーの2M12の花文字。
(下) とりのこされた感のベンチと空き地。

 

No.106
10月14日 Taka(東京)

 長い間、スペインからすっかり離れてしまっていた私。でも、この10日間はSpainMLで知り合ったスペイン愛好家の人たちとあちらこちらで会う機会が続いた。まず、スペインで活躍しているフラメンコのバイラオーラの帰国に合わせて開かれた名古屋でのオフ会。これには老若男女合わせて50名ぐらいの参加者がいて、あるじやバイラオーラの人脈には驚かされた。多くの人が夜通しで飲み語り飲み食い飲み踊り、飲んだ名古屋オフ。不覚にも寝てしまった私が目覚めたときにもまだ宴は続いていた。いやはや、スペインに関わる人たちのバイタリティーはすごいものがあるとあらためて思ったものだ。

 名古屋から戻った夜、今度は東京・渋谷のスペインレストランで再びバイラオーラの歓迎会が開かれた。この日は彼女と彼女の師匠であるスペイン人のバイラオーラが、希望者にセビジャーナスを教えてくれるという特典付きの夜だった。とにかく活気があり、まるでスペインにトリップしたような錯覚を覚える一夜。思えばスペインを好きな人はみんな元気である。喋り続けることも踊り続けるこも、飲み続けることだってパワーがいる。体力をつけなければ…。そう、この日もあらためて思った夜だった。

 そのレストランの夜から数日後のこと。仕事帰りの私は最終の電車に間に合うようにと東銀座の駅へと急いでいた。改札に向かうとすぐ近くで賑やかなスペイン語が聞こえてくる。近くには歌舞伎座もあり、この辺りでスペイン人やいわゆる外国人を見かけることは珍しいことではない。何も考えずに通り過ぎようとしたその瞬間、聞き覚えのある声が耳に入り込んできた。あれれ? と、思うと同時に私の手がその発声主の肩を叩いていた。「オーラ!」。

 振り返った女性は、名古屋に続き東京でも会ってきたバイラオーラである。「何してるんだこんなところで!」と互いに言う。叫ぶ。あまりの驚きに声も大きくなる。それから「飲みに行くぞ!」と話がまとまり彼女の連れを合わせた5人で乗車。しかし、どこで飲むかがまとまっていなかった私たちは、次の駅で運命の別れ。5人のうち3人が銀座で下車し、私ともう一人が降りそこなったのだ。連絡はとれない。携帯電話を持っていたのは私と、一緒に降り遅れたもう一人だけだった。なんてこった。しかし、「仕方ない、まぁ、いいか」と、のん気に話しながら帰途についた夜だった。

 名古屋の夜からちょうど10日目、東京・稲城の自称・熊男のお宅にて、バイラオーラのスペイン帰国前日オフが開催された。昼間からビールに日本酒にワイン…。あるじが作ってくれた和食を頬張りながら飲み喋り踊る…。ギターを弾くものもいれば、セビジャーナスレッスンを受けるものもいる。歌うものもいればサッカー談義に花を咲かせるものもいる。とにかくいつも賑やかで、極めてまとまりのない飲み会。そう思えるこの会がとても気に入っている。誰もがさらにパワーアップして元気になる。皆に会った後に残るものはいつも、ああ楽しかった! という大きな満足感。大人になっても心底、笑い、楽しめる、そんな仲間を持っていることは私が声を大にして言える自慢の一つだ。

 

No.105
10月7日 むく(マドリード)

 毎年のことながら時が経つのが早いこと。もう今年も10月に入ってしまい、本社に年間の実績予想の提出を求められる時期になってしまった。昨年度は欧州全体の不況の影響を受け、一昨年に比べて業績が落ちてしまったが、本年度は10月の時点で過去最高の売り上げがあり、一安心といったところではある。

 私の面で時の経過を感じさせてくれたのが、昔からの友人と久しぶりに出会えた事であろうか。一人はML以前のパソ通時代からの知人で、何度かスペイン旅行に来ている人である。スペインに来られるたびに一度はお会いしているが、そのたびになぜか懐かしさを感じさせてくれる人である。
 もう一人は、スペインに来た当初毎日のように通っていた日本レストランで働いていた人である。日本に帰国後約8年ぶりにスペインに旅行に来られたのであった。一緒に旅行したこともあり、懐かしさもひとしおであった。

 懐かしさというより悲痛の念を感じさせてくれたのが、北朝鮮による拉致被害者の調査報告である。被害者の中に大学の後輩がおり、ずっと安否を気にしていたのだが最終的に死亡者の中に含まれていた。発表された死亡原因は到底納得できるものではなく、北朝鮮の発表の信憑性に疑問が残る。それにつけても他の主権国家においての北朝鮮の非道ぶり、それを長年放置してきた歴代の日本政府や外務省の無能ぶりに腹が立つ。

 風邪を引きに行ったようなベルギーから帰ってきたら、すぐに秋のソフトボール大会である。ソフトボール大会が終わるとすぐにドイツの展示会に出張と、息つく暇もない。まぁ、スペインにいる間はせいぜい家族と一緒にリラックスして過ごすとするか・・・

 

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