ちょっと前のわたしたち

【No.88】6月4日 TOSHIO * 【No.89】6月10日 Carmen
【No.90】6月17日 むく * 【No.91】6月24日 Taka

No.91
6月24日 Taka(日本)

 世界中がワールドカップに熱くなるなか日本は敗れ…、ならばと望みを託したスペインもついに敗れ…。夜毎の観戦ビールのつけが胃やら肝臓やらをヒートアップさせているようで、なんだか疲れたゾ…。
 
 今回は4試合分のチケットを買っていたのでスタジアム観戦でも熱くなった。そのうち2試合は仕事で行けなかったけど。でも、Jリーグとトヨタカップしか知らなかった私もすっかりワールドカップの虜になってしまった。頭の中から応援歌のアイーダが離れない。

 とは言っても、最近は目下、キューバの情報収集にも忙しく、キューバ直下のラッパも頭の中で同時に鳴り響いている。だから、脳の奏でる音楽はすっかりラテンのノリだ!
 
 そういえば最近、何年かぶりにスペイン語の勉強を再開させた。とはいえ、昔覚えたはずの文法やらの復習だ。なのにまるで初めて! の勉強みたい…にすっかり忘れている。いかんいかん。先日スペインの友達に「もうスペイン語は忘れた…」とメールしたら、「ちゃんと勉強してよポルファボール」の返信をもらったばかりだ。本当に読めない文章だったのだろう、情けない…。

 ついでに英語の勉強も復活させた。これもまた、まるで初めての…! な散々たる状況だ。それなのに、スペイン語も英語もレッスンを受ける以外には1日20分ずつしか勉強しない。仕事に支障をきたさずに続けるには私の中で、これが最善。もっとやれ?

 それにしても月日の流れるのは速過ぎる。もう六月も下旬ではないの。マージー? あともう1回繰り返したら正月だ。この勢いで進むと、気がつけば老婆…も明日のことだ。もっとゆっくり、もっともっと有意義な時間を流さなければ…と感じる今日この頃だ。

 

No.90
6月17日 むく(マドリード)

 今回家族と一緒に一時帰国してきた。家族は先に日本に帰り、自分は仕事の都合で後で日本で合流した。顔見せも兼ねた一時帰国であった。

 いつも日本に帰るたびに感じる違和感を今回も感じてしまった。

 新聞やその他のメディアによると日本は大変な不況に陥っているようである。しかし、大阪でも東京でも真夜中でも車は走っているし、朝まで電気をつけっぱなしにしているオフィスビルもある。また、新しいビルがどんどん建築されているし、これで日本のどこがいったい不況なんだろう?

 それから、自転車の多さには驚いた。車道を走るのは危険だという事は理解できるが、かといって歩道は歩行者のための道路である。歩道ではあくまでも歩行者が優先されるべきであるのに、自転車に乗っている人にはそれが理解できないのであろうか。

 電車に乗り込んだとたんに携帯電話でメールをやり取りしている人の多い事。異様である。まぁ、一心不乱に座ってメールをやり取りしているのは異様に思えたくらいで済むのだが、携帯電話で話をしながら片手で自転車で走っている人が多い事は異様というより異常だ。歩行者にぶつかりそうになっても謝るでもなし。何をそんなに急いでいる?

 今回、ベビーカーを持っていった。身障者用のエレベーターが設置されている駅が増えているのは感じたが、ほとんどがホームのはじにしか設置されていない。そこまで行くのに歩行者をよけて狭いところを通らなければならず、危険きまわりない。また、エレベーターが設置されているのは良いが、それが階段の上に設置されていたり、扉を何回も開けてようやくエレベーターにたどり着けるといったような経験を何度もした。これにはあきれるのを通り越して笑ってしまった。

 まぁ、それにしてものんびり歩いている人の多い事よ。人にぶつかって初めて前から人が来ているのに気づく人。後ろから人が来ているのにぜんぜん気づかないで横並びでゆっくりと歩いている人たち。

 異様だったねぇ。まだあったんだけど、多すぎて忘れてしまったよ。

 

No.89
6月10日 Carmen(日本)

 また母が倒れた。

 幸い処置が早かったので一命をとりとめたがまたしてもあぶないところだった。今のところ経過は順調なので、私がこの夏のスペイン行きを中止する必要はなかろうと思われる。

 しかし、両親に私が好きになった国を見せてあげたいという私の願いはこれでますます実現の可能性が少なくなってきた。

 最初に計画をたてたのはまだ私が両親の近くに住んでいた頃。ところがその年、父が入院した。計画は当然中止。そして、父の病気が治って数年が経過し、父の健康状態もすっかり元に戻ったようなので、中止した計画を練り直すことにした。

 両親には内緒で計画実行を半年後と定め、その年のスペイン滞在中に旅行関係の情報に詳しい現地在住の友人にアドバイスをもらった。それなのに、帰国して数週間後に、あの頑丈だった母が初めて病気で倒れたのだ。

 なんだかねぇ。私みたいな人間はへんに親孝行のまねごとみたいなことを思いつかないほうがいいのかもしれない。

 いまや健康な人間でさえ、長時間飛行機に乗るときはエコノミークラス症候群とやらに気をつけないといけないらしい。そうなると近年二回も倒れているうちの母など病気が治っても気軽にヨーロッパへの旅行に連れていく気にはなれない。

 ヨーロッパは、スペインは、日本から遠すぎる、あまりに遠すぎる…とつくづく思うのはこんな時だ。

 先日、病院に母を見舞ったあと、グルメ雑誌で評判の高いイタリアンレストランに父を連れて行った。定年退職していることもあり、連日母に付き添っている父への慰労と翌日の私の誕生日の祝いを兼ねての食事であった。高かったけどなかなかおいしかったね。満足、満足。父も満足してくれたようでこれも満足。またひとつ年をとることになるが、ま、いいや。

 スペインに両親を連れて行くのが無理なら、せめて国内でスペイン料理のレストランめぐりでも考えてみるか。でも、母は今後油っこいものを食べるのはなるべく控えたほうがいいと言われているのだ。油を控えたスペイン料理?! うう...そんなもんあるのだろうか。

 スペインは旅行するにはあまりに遠く、スペイン料理はあっさり味とはほど遠く、どちらもまったくうらめしい限りなのであった。

 でも、私の計画実現よりも親が少しでも長生きしてくれるほうが大事だもんね。しょうがないか。私と同じようなことを計画しているあなた、さっさと実現しちまいなさい。計画を実現できたあなた、よかったね。

 

No.88
6月4日 TOSHIO(日本)

 今回の欧州出張は5月21日(火)ストラスブルグでアルザス開発公社のアッテル副総裁との面談から始まることになっていた。 幸い、20日(月)はフランスもドイツも祝日でお休み。17日(金)に日本を出て、18・19・20日の三日間、ドイツの家族と共に過ごすことにした。

 折りしも、北ドイツ・ハンブルグの近くの温泉保養地に妻の親戚が集る事になっていた。一年以上も前から案内状が届いている催しであった。

 三年前にも同じ場所で親戚が集まったことがある。妻の母親の兄弟とその子供達・孫達が一同に集いましょうという趣旨の集いである。義母には一人の妹と四人の兄弟がいる。それぞれに配偶者と子供達がいる。子供達、つまり妻の従兄弟達の多くは結婚していて子供達もいる。総勢70名近くに上る。

 三年前はそのほとんどが集った。ドイツのみならず、イギリスや、遠くはアメリカからも来た。親戚の中でヨーロッパ人でないのは二人だけ。妻の従妹ザビーネの旦那はアメリカ人だった。そして私が日本人。妻と結婚して20年になる私はその間に多くの叔父叔母、従妹達と会っていたが、それでも、初めて会った義理の従姉妹達や甥っ子や姪っ子が多くいた。

 一家族毎に異なるコテージで寝泊りしたが、昼間は皆で一緒に近くの名所旧跡を巡り、朝と晩も皆が一堂に会して食事を共にした。家族の絆とは強いものである。娘達は同年代の又従姉妹達とすぐに打ち解けて遊びまわった。私も不自由なドイツ語を駆使?しながら、家族の輪に加わった。妻がアンクル・ゲオルグと呼んでいた義母の長兄、ザビーネの父親が胃がんの手術の直後であった為、衰弱していたが、義母を含め他の叔父や叔母達は皆元気だった。

 あれから、三年。アンクル・ゲオルグは他界した。第二次大戦終戦直後の混乱期に子供時代を過ごし、共に苦労して生き抜いた義母の兄弟6人は殊更に仲が良かった。この度5人が集まっているとそこには亡き長兄のゲオルグも一緒に居る様に思えた。この三年間にゲオルグの娘のザビーネは二人の子宝に恵まれた。他にも、親戚の中には生まれたばかりの赤ん坊が何人かいた。世代が移ろい流れ行く様を目の前に見るかのようだった。

 誰が用意したのか、今年もまた三年前のように大きな立看板のようなファミリーツリーが用意され食事会場の壁に立てかけられていた。太い幹の上部に妻の祖父母の写真がありその横に名前が書かれている。出生地と生年月日、死没地、没年月日、結婚した日まで、ご丁寧に記入されている。その祖父母から上に6本の線が6人の子供達の写真に延びている。その一人ずつの横に配偶者の写真が貼られ、夫々の出生地、生年月日、結婚月日が記されている。妻の両親の写真もある。義父は、私達が日本からスペインに移ってくるのを待っていたかのように、96年の春マドリードに遊びに来た。そして、私達の家で他界した。その6組の夫婦から夫々の子供達へ線が延びている。私の妻にも義母から線が延び、妻の横には私の写真が貼られ、私達夫婦から更に二人の娘達の写真に線が延びている。娘達の生年月日も出生地も、USA、カリフォルニア州のロングビーチとオレンジとまで正確に記載されている。

 妻の祖父母の写真に目をやると、線が逆に下に伸び、その両親、そのまた両親と、どんどん線が降りている。すべての夫婦に、名前と生年月日と出生地、死没月日、死没地が記されている。幹の一番下にあるご先祖様夫妻の生きた時代は1600年代前半であった。

 続く血の流れ。そこに私が加わり、二人の娘が生まれた。二人の娘からも何本かの線が引かれ更に伸びて更に広がって行くことであろう。やがて大きな枝が茂り、妻と私は幹の根元の方に沈んでいく・・・・

 家族と共に過ごしながら、過去と未来と現在を同じ地平線上に見つめながら時間の流れの中に生きている自分を改めて実感した週末であった。

 

 
ちょっと前のわたしたち

2008年2008年8月2008年7月2008年6月2008年5月2008年4月2008年3月2008年2月2008年1月

2007年2007年12月2007年11月2007年10月2007年9月2007年8月2007年7月2007年6月2007年5月2007年4月2007年3月2007年2月2007年1月

2006年2006年12月2006年11月2006年10月2006年9月2006年8月2006年7月2006年6月2006年5月2006年4月2006年3月2006年2月2006年1月

2005年2005年12月2005年11月2005年10月2005年9月2005年8月2005年7月2005年6月2005年5月2005年4月2005年3月2005年2月2005年1月

2004年2004年12月2004年11月2004年10月2004年9月2004年8月2004年7月2004年6月2004年5月2004年4月2004年3月2004年2月2004年1月

2003年2003年12月2003年11月2003年10月2003年9月2003年8月2003年7月2003年6月2003年5月2003年4月2003年3月2003年2月2003年1月

2002年2002年12月2002年11月2002年10月2002年9月2002年8月2002年7月2002年6月2002年5月2002年4月2002年3月2002年2月2002年1月

2001年2001年12月2001年11月2001年10月2001年9月2001年8月2001年7月2001年6月2001年5月2001年4月2001年3月2001年2月2001年1月

2000年2000年12月2000年11月2000年10月2000年9月

トップに戻る

 

 

このページはFirefox2.0 と I.E.7にて動作確認されています。
e-mail address: info@arrobaspain.com
Copyright (c) 2000-2008@Spain all rights reserved.