ちょっと前のわたしたち

【No.84】5月6日 かおる * 【No.85】5月13日 Maki
 【No.86】5月20日 Meche * 【No.87】5月27日 Norie

No.87
5月27日 Norie(バリャドリード)

 わたしが住んでいる村では、5月の最終土曜、日曜にアスパラガス祭りが開かれる。200メートルほどの小道には、陶器や革製品などの民芸品を売る屋台や、アスパラガスなどのおつまみとビールやワインを出す屋台が並ぶ。この日、主要なバールがある道路は歩行者天国になっているので、ずらっとイスやテーブルも用意される。昼間は、隣村のブラスバンド。夜は本格的なサルサバンドの生演奏。

 音楽が流れれば、踊りだす人がでてきて、お祭り気分が盛り上がる。民芸品をのぞいたり、すれ違うご近所さんに挨拶したり、ビールを飲んだり、楽しいのだけど、あんまり小さいお祭りなので1時間もあれば屋台は全部見終わっちゃう。

 屋台で飲むビールはちょっと高めなので、ぐるっと一周して見物した後は、いつものバールに出かける。ワイングラスやビールのコップがたくさん準備されているにも関わらず、お天気にも恵まれなかったせいか、お客さんは少なめ。

 アスパラガスのコンクールもあって、賞に入ると賞金がもらえるんだけど、投票があるわけでもないし、賞に入ったアスパラガスが道路の端っこにひっそり飾ってあるだけ。

 マドリードから友人が遊びに来ることになっていたので、「アスパラガスをそのとき買えば良いよ。」と話をしていたのに、なぜか今年はアスパラガスを販売しているところさえなかった。

 アスパラガスが主役じゃないアスパラガス祭り。スペインらしいといえばスペインらしいのだろうか・・・。ついついのんびりしていたら、日曜日の分は出かけ損なってしまった。だって12時には開いてなくて、3時には片付けが始まっているんだもん。

 

No.86
5月20日 Meche(京都)

 日本人に生まれたことが、恥ずかしい。

 在中国日本領事館で起こった亡命未遂事件。
 北朝鮮からの亡命のため、領事館に駆け込んだ彼らを中国側の警察官が力ずくで引きずり出す。助けを求めて叫ぶ彼ら(亡命希望者の中の女性2人と子供)を静観する日本人職員。
 信じられない映像がテレビで繰り返し放送され、私の胸を締め付ける。

 それぞれの国の事情や立場をどうこう言うより、いや、そんなことはこの際知ったこっちゃない。ウィーン条約に違反している? そんなこともどうだっていい。目の前で誰かが、まして女性や子供が力ずくで何かされていたら、考えるより先に助けてしまうのが普通じゃないの? 正義感など皆無の私すら、そうせずにはいられないし、私の知っている人たちはみんなそうだ。

 でも、きっと数少ないであろう(少なくあって欲しい)そうではない人たちに、国旗を背負わせ、国の代表として海外に駐在させている日本。そう、それが私の母国。

 16年前、初めてスペインの地を踏んだ私には、自分が日本人であるという誇りなど何もなかった。

 生まれてからずっと育ってきた国は、なんだか平和で安全で、まるで温度管理の行き届いた水槽のようだった。大人になりつつあった私には、そんな水族館の魚のような毎日が、退屈で仕方なかった。だから言葉の通じないスペインでの生活は、いつもギリギリでスリルに満ちているように思えた。隙を見せれば大きな魚に食べられてしまうかもしれない、自分で進まないとここでは生きていけない。本気でそう感じた。毎日が楽しくて苦しくて、気がつくと、居場所を失った退屈は出て行った後で、私はスペインをとても愛していた。

 スペインに惹かれれば惹かれるほど、私は自分の生まれた国、あの退屈な日本のことを思った。この西の果ての国スペインとはまったく違う習慣をもつ、日出ずる東の国。他人のことを気遣い、悲しくても微笑を浮かべるという芸当を、さらりとやってのけちゃう人々が住む島。遅刻したら謝る、道路にゴミを投げ捨てない。それらは普通のことなのに、実はとても難しい。どうして私は今まで気がつかなかったのだろう。私の生まれた国は愛らしく美しい。

 そして、そう思ったときから、適温の水槽はとても優しい流れを伴い、見慣れた退屈な街に暮らす人々は、愛する家族の一員になった。私は日本人なんだ。心が居場所を見つけたようでうれしかった。

 なのに今、私は日本人であるという誇りを抱え途方にくれている。愛らしく美しい国は、なくなってしまったのだろうか? 私は心の居場所を失ってしまったのだろうか?

 今回の事件が起きる前に、亡命を希望して、在中国スペイン領事館に駆け込んだ北朝鮮の家族がいた。彼らは今、スペインから亡命希望先の国へと移り、新しい生活を始めていると聞く。

 大丈夫。西の果てに、まだ愛する国が残っている。

 

No.85
5月13日 Maki(横浜)

 もう5月。スペイン暮らしに出発したのが2年前の4月で、帰国したのが1年前の4月。“国民的筆無精”とでもいうべきスペインの友人から最近届いた手紙にも書かれていた。“!Co'mo vuela el tiempo!(時が経つのは何と早いんだろう!)”そりゃそうよね、手紙くれたの、10ヶ月ぶりだよ。その間に私は3通も出したぞ。

 既にユーロの切手が貼られた封筒を開けると、飾りっ気もないFolio(要するにコピー用紙)に綴られた懐かしい友人の文字。これがまた「超」を3つ付けたい程のクセ字で、手紙3枚分の“解読”に30分位かかってしまう。ずっと音信不通状態だったお詫びか(?)、手紙のほかにもいろんなものが入っていた。CD、記念切手シート、雑誌etc.・・・おおっ!やっと送ってくれたねぇ、私が1年前から頼んでいたガイドマップ。それでも、やっぱりスペインからの便りは何よりも私を元気にしてくれる。

 その夜は、うれしいので初めてパエジャを作ることにした。つい先日TVでスペインのパエジャ特集を見た家族からのリクエスト。実は自分1人で作ってみたのは初めて。トルティージャ(ジャガイモのオムレツ)は帰国してからもよく作るけど、パエジャはホストファミリーと一緒にしか作ってない。いろんな人に聞いたり本で読んだりしたのをミックスした“いいとこ取り”のレシピで挑戦した。でもパエジャ鍋はないので、フライパン。味付けの奥の手はCarmencita。スペインのパエジャ用スパイスミックスみたいなものだ。高いサフランを使わずともキレイな黄色になって、味を調えることができる。そんなの手抜き〜というなかれ、スペイン人だって殆どみんな使ってるのだ。

 家族はみなパエジャにはムール貝とかエビが入ると思っていたらしいが、スペインで私が一番食べなれていたパエジャにはあまり貝も甲殻類も入っていなかったし、今回はめんどくさいので鶏肉と野菜のパエジャにする。塩コショウとローズマリーで下味をつけた鶏肉と、緑ピーマンに赤ピーマン、インゲン豆。ベースとなる“ソフリト”を作るのは玉ねぎ、ハム、チョリソ(がないのでウインナー)、完熟トマト、にんにく。リクエストでイカを追加。さらにトマトを入れて、守護神Carmencitaスパイスと、米の約2倍の水を入れたら、洒落ではないがフライパンはもうパンパン。煮込んだ具の中に米と仕上げのグリンピースを入れて蓋をする。さらに煮込む間に洗い物を済ませて、ワインとチーズを用意。ぐつぐつという音と、にんにくの香りが台所に広がる。あとは待つだけ!

 蓋を開けると、赤や緑や茶色の具がぽこぽこと並ぶ、黄色くつやつやした太陽みたいなパエジャができあがっていた。フライパンごとテーブルに出して、ドキドキしながらレモンをかけて食べると・・・あらおいしい。自分でいうのも何だけど、けっこういける味だ!
 多かったかな?残るかな?と心配だったフライパン一杯のパエジャは家族4人+チビですっかり平らげられた。私がスペインにいる間に生まれた、もうすぐ2歳になる姪っ子も、「ごはん、ごはん!」とたくさん食べてくれた。

 その夜は久しぶりにスペインの夢を見た。断片的ではあるが、懐かしい景色や友達が出てきて、スペイン語で話している私がいた。残念だけど、ちょっとやっかいな事情ができて、当分は旅行ですらスペインには行けそうにない。少なくともあと2年は無理。でも、早くもう一度スペインの太陽の下で友人達とパエジャを食べたいと願うばかりだ。

 

No.84
5月6日 かおる(マドリード)

 春がなく、冬が終わったかと思えばあっという間に夏のように暑くなるのがこのスペイン中央高原地帯の気候なのだが、今年は5月というのに寒さのぶり返しが激しく、ここマドリードでも山は真っ白に積雪している。そんな中書いていて、ちょっとまた気が緩みそうなのではあるが、なんの来週になればまた、夏はすぐソコ!の天候に戻るに決まっているのだ。

 いやいや、実は気候のハナシをしようというのではないのだ。
 こうして暑くなると、やはり気になるのが「ボディライン」というやつ。ちまたでも、足やヒップの引き締めなどの化粧品広告がどんどん目立ってきた。今回はそのオハナシ。
 私はもう三十路どころではない、四十路を目前にしたオバチャンではあるわけだが、こんな私でも、スリムでもなく、しっかり日本人体型の私でも、こちらでは堂々のヘソ出し、キャミソール、ミニスカートがオッケーであるのだ。しかも、水着はビキニ。そう。トレーニングに行くようなプールでないかぎり、こちらでは夏のレジャー水着は圧倒的にビキニなのだ。
 なんだかんだとはいっても、けっこう年にしては平らなお腹の方、のつもりであった。適当にスイミングプールにも通っていた。が、手術をした2年前、開腹手術でもあったわけで、見事に腹筋がぶちきれた。以降、怠慢癖がつきプールもオサボリ。ふと我が腹をみると、立派に下腹部に肉がつきつつあるのだった。それでも。足がちょっと太くってもミニスカート平気、お腹が出ていてもビキニも平気なこちらではあまり気にもしなかった。だってみんながあまり気にしていないのだもの。大丈夫、だいじょうぶ、と笑ってはいたものの、最近、すこーしヤバイ。ウエストのキツイ服がどんどん増えてきた。笑っていてはあまりよろしくない事態であることは当の本人が一番よく知っている。薄着のシーズンはどんどん近づいてくる。

 そんな折のこと。日本から友人がやってきた。
 私よりも年上の彼女はもともととっても美人なのだが、スタイルもよい。とにかくカッコイイ。そんな彼女とバールで食事中、賑わって暑くなってきたお店の中で彼女がさっと上着をとり、タンクトップ姿になった。思わず目を見張った私。なんと、スリムな彼女なのに、肩から二の腕にかけて、筋肉がぴちーっとついているのだ。スレンダーなだけじゃない、鍛えた美しさ。ボクシングでも出来そうな、マドンナみたいな筋肉の盛り上がり方だ。かっこよすぎる。うらやましすぎる。聞いてみると、「いくら忙しくても、ジムには通っている。」いやはや、美しさはこうやって磨くものでもあるのだ。脱帽。
 飲んだ勢いで「私もやるわよーー」と息巻き、もう1本ワインを開けた。

 それから1ヶ月。手元には市民プールの使っていない20回回数券...オシリがすっかり重くなった私、せめてこういう場で意思表示しておけば、自責の念で動くのかしら....いや、こういう出発点から間違っているのか。美しさへの道は甚だ遠い。

 

 
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