<あらすじ>
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作家になることを諦めたはずのロラはスペイン内戦の末期に実際に起きた事件を調べ始める。 ファシスト政党ファランヘの創立者のひとりであり作家のラファエル・サンチェス・マサスは他の捕虜50人とともに銃殺されそうになる。 しかし、銃殺のどさくさに紛れ逃亡することに成功する。 雨の中、森に隠れる。 若い共和国派の兵士に発見されるが、なぜか見逃され、命を救われる。
ロラは矛盾や謎めいた人物たちに満ちた歴史の断片をパズルのように組み立てていく。 真実を追い求めていく先に得たものは、自分自身を見つけることだった。
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<コメント>
同名の原作小説が昨年ベストセラーとして売れまくっていたことも、スペイン内戦を扱ったものであることも知っていた。 先週、バルセローナに旅行した際、フナックでやっていた撮影風景の写真展に出くわし、映画化されたことも知っていた。
しかし、この小説、あるいは映画に興味をもつことはなかった。 昨日まで、フランコ側の兵士の話であるというだけで興味の対象から除外されていたのだ。 スペイン内戦時の美術を専門とする者にとって、これは怠慢であるとしかいいようがない。
それが今日。 エル・パイス紙の付録雑誌 EP[S] に掲載された記事を読んで、いてもたってもいられなくなった。
この映画、見に行かねば!
コペルニクス的転回を促したその記事とは原作者のハビエル・セルカスと監督ダビッド・トルエバの対談だった。
原作の自伝的要素、小説を映画化するまでの展開、撮影中の裏話、映画と小説の相違点、そうしたものが語られている。 ターニング・ポイントとなったのは次の言葉。
[ハビエル・セルカス] 君はわかってくれてるだろう。 冗談はさておいて、君は戦争についての新しい映画を作れたんだ。 戦争に新たな視線、我々の世代の視線を投げかける映画をね。 そう。少なくともその点に間違いはなかったね。 この映画は戦争について語るどの映画にも似ていない。 少なくとも私が知る限りは。少なくとも、この映画の原作となった小説を執筆したことを私はとても誇りに思ってる。
(EPS, El Pais, Madrid, numero 1.382, 23
de marzo de 2003, p.50.)
戦争を直接体験していない「我々の世代から見たスペイン内戦」。それがどういうものなのか? それを考えると、いてもたってもいられない。
まずフナックへ行き、原作を購入。数々の賞を受賞し、既に25版を重ねてるからハズレなはずはない。そして原作を小脇に抱えて映画館に直行する。
映画の紹介なのに、本編が始まるまでにえらく行数をとっちゃったけど、まさにハビエル・セルカスの言う通りの映画だった。
アリアドナ・ヒルの演技が素晴らしいとか、あの字幕の小ささは意地悪だろとか、細かいことを挙げていくとキリがないんだけど、他の戦争映画と違うっていうのがやっぱり一番の見所だと思う。
映画っていうジャンルに限らず、スペイン内戦について語ろうとすると、「共和国=正義、フランコ=悪」っていう単純な構図に陥りやすいもの。 でも、この映画はそうじゃない。 正面きってファシストを物語の中心人物に置くやり方、それを自らの歴史として生きようとする現代の主人公。共和国万歳な視点で語られる「大地と自由」や「蝶の舌」などといった内戦映画とは全く違う。
これって、日本の状況に置き換えてみるとわかりやすいかも。 戦争責任問題って言われても、今の若い世代には「関係ない」と一蹴されるのがオチ。でも、かといって考えることを放棄するのはフランコ政権下で行われた意識的な忘却と同じこと。 そういう意味で、この映画のスタンスって共感できるな。
さて、これからじっくり原作を読むとするか。
けんじ(2003年3月23日)
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