2000年9月
<あらすじ>
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グラナダのヒターノ(ジプシー・ロマ)、アンドレス・エレディア(ホアキン・コルテス)が、罠に嵌り、犯していない罪の為に2年の刑罰を受け、出所するところから映画は始まる。 問題を引き起こす人々、環境から遠ざかり、人生をたてなおそうと願うアンドレス・エレディアだが、彼の過去、ヒターノの掟、家族、愛は、幸福への道を行こうとする彼を阻むのだった。
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注目ポイント
この映画が話題を呼んだ点は、スペインでも売れっ子の作家、ミステリーでも定評のある、アルトゥロ・ペレス・レベルテ(昨年Jonny Deepを主演で取った、”Nineth Gate”の作家)が脚本を担当。 主演にスペイン、フラメンコ舞踊手の王子的存在ホアキン・コルテス。 相手役に、元モデルで、映画界には”Astrix and Obelix”(コミックの映画化)でデビューしている レティシア・カスタを配役。 このスクリーンの中で、ホアキン・コルテスは、その鍛え上げた無駄の無い体を見せてくれる。 踊る場面は一切ないので、Sexシーンで見せてくれる。 そういう”売り”。つまり Sexシンボルとしての売りを意識しての世界的なプロモーションを兼ねた映画らしい。 日本では既に”寝たい男”のナンバーワンにランキングされたという。
感 想
これだけの前宣伝! これだけ良い脚本家がついているのだから!という期待を破るのは簡単だった。 逆にどうやったらこれほど安易なものが巨額なお金を使って作られるのだろうと感心するほどだ。
アンドレス・エレディア(ホアキン)は、牢獄生活を送る前は、バンドを組んでいた。デビュー寸前に仲間のボーカルが問題を引き起こす人々の手により、何らかの形で死ぬか、殺されるかし、それが何らかの罠で、アンドレスが罪を被ったのだが、どうやって死んでしまったかも、どうやって罠に嵌ったのかも最後までよくわからない。 わからないまま、話は自己中心的な悲壮感漂う中、進むのである。
仲間を想い、哀しい時、アンドレスは、自分の部屋でカホン(フラメンコに使われる箱のようなパーカッション)をウオーッと、たたく。 自分の妻には裏切られる。 もう一人のバンド仲間の親友にも裏切られる。 しかし、裏切った親友の妻は、アンドレスを慾愛している。 その親友の妻っていうのも、実はアンドレスの妻の姉だったりする。 とりあえず人間関係ぐしゃぐしゃ。 敵対する家族(どうして敵対しているのかよくわからないが)の何度もの嫌がらせや、闇討ち。討ち間違いで、大切な家族(小さい子供)が犠牲になる。 まっとうに生きようとしても、ヒターノの掟からは逃れられない。 ”ヒターノ“、”掟”この2つのキーワードで何か表現したかったのだろうが、これは勘違い、大失敗。
フランス人の、レティシア・カスタはホアキンの相手役という事で話題になり、ホアキンの妻を演ずるのだが、ヒターナ(ジプシー)役が似合わないばかりでなく、言葉も吹き替えで、浮いているだけだった。 登場も少なく、なにもわざわざ彼女でなくてもよかった。 グラナダでの撮影ということも話題だったが、4〜5本の道と、サクロモンテの丘が 2〜3箇所、同じ場所が切り貼りのように映るだけ、あとは、バルの中や、家の中の撮影のみ。
じゃあ、問題のSEXシーンは…? ホアキン、今回3人の女性と絡んでくれます。 一人は、勿論、レティシア・カスタ、妻役。2年間の牢獄生活中、面会も手紙の1通もよこさなかった妻に再会し、裏切り行為を知りつつも…Sex! もう一人は、ホアキンを裏切る親友の妻です。 この女性、もうずっとずっとホアキン(アンドレス役)を慾愛していた一筋女。 ホアキンは彼女の愛情を知っているが操をたてていた。 ある夜、妻に裏切られた事を知って傷つき、その上、対立するグループにリンチに合い、身も心もボロボロのホアキンは、親友の妻の家で介抱をうける。 そこで待っていた介抱とは…Sex! 歩くのさえやっとで、ベットに横になるのも大変だったホアキンだが、何故かそのシーンでは、活動的になっているので笑ってしまう。 もう一人は…。 やはり牢獄生活から帰ったはいいが、人間関係や全てに嫌気がさし、辛くなってしまったホアキンは、誘われるがままに、すーっと街の売春婦と…Sex!
なんか、美しくなかったです。確かにホアキンも相手役をとっても不足はなし。 設定が美しくない。 情けない、可愛そうなSexばかりのホアキンでした。 まあ、美しいばかりじゃあないです。 ボロボロの時こそ求めるのもありでしょう。 それでも入り込めなかったですね。 最後の最後の土壇場で、裏切られた妻にSexを求められ、彼女を殴ってでも断ったところに、”男ホアキン像”俺は立ち直ったんだぁ! もうおまえには引きずられん! みたいのがあったみたいだけど、これも一人よがりのシーンでした。 踊っているホアキンを見て、”いい体”って確かに思った。私の目には、コンサートの時の、真っ白なスーツに身を包んで踊っているホアキンのほうがずっとセクシーだった。 フラメンコスタジオの女子更衣室での会話。 ”まあ、ホアキンがどんなSexするか知りたかったら映画見ておいでよ! (笑)!!!”…。
友情出演に、多数のフラメンコのミュージシャン達が出ているが、これも、家の中の意味のない置物のような登場の仕方で大変残念。 ペペ・アビチュエラ、ホアン・アビチュエラ、トマティート、モンセ・コルテス、ナバヒータ・プラテア、ケタマ…。 ケタマのボーカルのアントニオ・カルモナにいたってはひどい役だ。 死んでしまった親友の役はいいとしても、1枚写真が出てくるだけ、しかもいたずら書きのように髭を付け加えられて。 公開前の試写会の時は、真面目なシーンのはずだが、ここで笑いさえおこったそうだ(回想シーンで、もう一瞬登場しますが…)。
フラメンコの音楽映画として捕らえてみても…。 “あれだけ良いミュージシャンが出てるんだから、もう少しどうにかならないのかしら”と言った友人の言葉。返す言葉もない。
スペインの中でのヒターノ達の存在はまだまだ微妙な位置なのだ。今、やっとフラメンコという文化が育ってきているのに。 どうしてわざわざまた、ヒターノ達を訳のわからない掟で生きている、普通のルールで生きられない人種。 どうしてそんな印象を強くする必要があったのだろう。 踊りで良い仕事をしているホアキンにとってもマイナスだと思う。
次回は、作品を選んで、出演してください、ホアキンさま。 キューバのミュージシャンで、しかもジゴロなんて役はどうでしょう? 世界の美女と交わって下さい。そして、もっと美しく! もっとSexyに! 私も好きね〜。
石川亜哉子 (Sara)
協力:Kaoru
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