映 画 案 内

●●● 2000年の作品紹介 ●●●

Ba'ilame el Agua (2000年11月) 監督: Josecho San Mateo
出演: Unax Ugalde, Pilar Lo'pez de Ayala
LEO (2000年10月) 監督: Jose' Luis Borau
出演: Ici'ar Bollai'n, Javier Batanero, Valeri Yevlinski
GITANO (2000年9月) 監督:Manuel Palacios
出演: Joaqui'n Corte's, Laetitia Casta, Marta Belaustegui
AN~O MARIANO (2000年9月) 監督: Karra Elejalde, Fernando Guille'n Cuervo
出演: Karra Elejalde, Fernando Guille'n Cuervo, Manuel Manquin~a
YOYES (2000年7月) 監督: Helena Taberna
出演: Ana Torrent, Ernesto Alterio, Florence Pernel, Ramo'n Langa

Ba'ilame el Agua (バイラメ・エル・アグア)  

監督 ホセチョ・サン・マテオ
上映時間 88分
出演: ウナクス・ウガルデ、ピラール・ロペス・デ・アヤラ
カテゴリー: ドラマ


<あらすじ>

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 ダビーは家出少年。 寝る場所も定めず、マドリードの地下鉄構内で友人カルロスと小銭を稼ぐ毎日。 彼らの仲間は、同じように路上に住む放浪者たち。 そんなある日、ダビーは地下鉄で見かける美しいマリアに自作の詩を渡し、それがきっかけでお互いに接点を見つける。

  マリアもまた、マドリードに出てきたものの、生活は困窮し帰る家が無いのだった。

 お互いの孤独さを理解し、共につまらない規則にがんじがらめになった、大人の社会の現実に背を向ける彼らは共同生活を始める。 やがて、ひとつの安ペンションにねぐらを定めた2人は、社会の規則に次第に足かせをはめられ、その社会の構造から逃れようとしても逃れられない現状にもがき苦しみ、身も心も深く傷ついていく。
・・・・・・・・・…

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 ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガールというのか、永遠のテーマを描いた青春映画。 純愛物語。

 でも、単にきれいごとではなく、社会の裏にはびこる暴力が全体にはびこっている。

 ドラッグ、金、偏見、売春。主人公たちも若さゆえか、まっすぐに、暴力的にその真っ只中に入り込んでいく。 この原作が書かれた当時、作者は19才だったそうだ。 それだからか、この若さでしか書ききれない、自暴自棄なやり場のない切なさが伝わってくるようだ。

 主人公の2人は、純真で美しい。 ダビー役のウナイクスは、繊細で詩を愛する青年を好演しているし、なにしろ、輝いていたのは、マリア役のピラール。 清楚で穢れのない美しさ。役柄、彼女は娼婦に身を落とすのだけれど、彼女だからよけいに痛々しく感じる。

 社会の中での世渡りの術を身につけた「大人になった」昔の相棒たちはそれぞれに、生きる道を見つけていった。 「大人になりきれなかった」2人は、どんどん悪あがきしながら、あり地獄のような底なしの沼に落ち込んでしまう。そのあり地獄は、安ペンションの小さな部屋。 見ているほうも、だんだんと2人の辛さが積もっていく様が見て取れる。

 ストーリーは、社会に負けて、生きて行けなくなった2人の心中物語のようで、哀しい。  でも、美しい。 ドラッグにまみれていても、娼婦に身を落としても。2人の心がいつも純粋であったからかもしれない。

 個人的に良かったなと思うのは、音楽。 軽快なポップで、暗くなりがちな展開をさわやかに見せてくれる。 誰もが持っている大人になっていく過程で切り捨ててきたいろんな想い、そんなことを思い出させてくれて、ちょっと泣けます。

 

かおる 

   
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LEO (レオ)  

監 督  : ホセ・ルイス・ボラウ
上映時間:1時間26分
出 演  : イシアール・ボジャイン、ハビエル・バタネロ、バレリ・ジレビンスキー
カテゴリー: ドラマ

2000年10月

<あらすじ>

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 レオはマドリードの工業団地でダンボール集めをしながら、その日暮らしを営む女性。
 ある日、レオはバールで無銭飲食し、それがきっかけで、警備員サルバと出会う。
 出会ったその時から、サルバはレオに強く惹かれるが、彼女の周辺には、さまざまな過去を持つ人間関係が付きまとっていた。 憎しみと愛情が交錯したレオの激しさに落ち込んでしまったサルバはやがて悲劇の結末に向かっていく。 ・・・・…
 .........

 この映画は1975年に発表された「フルティボス」のリメイクバージョン。 現代の社会の低層を背景にした、レオという女性と彼女にまつわる愛情の物語。

 監督自身のコメントで、シェークスピアの言葉を借りて「偉大な愛というものは死によって幕を閉じるもののみ、そう呼ばれる価値がある」と語られているが、とにかく、重い、暗い、つらい。 映画諸評がすこぶる良かったので、見終わった後は、しばらくこの映画は何だったのだろう、と考えさせられたが、後になっても心に強く尾を引いている。監督は1929年生まれというから、ベテラン中のベテラン。

 魔性をもつ女に惹かれ、彼女の精神的倒錯に純粋な愛情で応えたために、崩壊していく男という時代がかったストーリー展開。 この2人の至るところに死をにおわせる悲恋の物語が、現代社会において底辺に生きる人々のリアリティをつかって表現されているのだ。

 撮影もできるだけ人間の視界に近い40mmカメラでほとんど撮影したというから、その効果もあったのかもしれない。 窒息しそうなほどに重い。

 主役のレオ役はスペイン映画界で才女の名高い、イシアール・ボジャイン。 ビクトル・エリセ監督の「エル・スール」の少女と聞けば思い当たる方も多いはず。

 ストーリー展開は、個人的にはちょっと無理がありそうだな、と感じた場面もあったけれど、たまにはこういう映画もよいかな、と。 やはりそう思わせるところがベテラン監督のベテランたる所以なのかもしれない。

かおる 

   
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GITANO (邦題 仮訳:ジプシー)  
監督:マヌエル・パラシオス
出演:ホアキン・コルテス レティシア・カスタ マルタ・ベラウステギ
脚本:アルトゥロ・ペレス・レベルテ

2000年9月

<あらすじ>

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 グラナダのヒターノ(ジプシー・ロマ)、アンドレス・エレディア(ホアキン・コルテス)が、罠に嵌り、犯していない罪の為に2年の刑罰を受け、出所するところから映画は始まる。 問題を引き起こす人々、環境から遠ざかり、人生をたてなおそうと願うアンドレス・エレディアだが、彼の過去、ヒターノの掟、家族、愛は、幸福への道を行こうとする彼を阻むのだった。
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注目ポイントgitano.jpg

 この映画が話題を呼んだ点は、スペインでも売れっ子の作家、ミステリーでも定評のある、アルトゥロ・ペレス・レベルテ(昨年Jonny Deepを主演で取った、”Nineth Gate”の作家)が脚本を担当。 主演にスペイン、フラメンコ舞踊手の王子的存在ホアキン・コルテス。 相手役に、元モデルで、映画界には”Astrix and Obelix”(コミックの映画化)でデビューしている レティシア・カスタを配役。 このスクリーンの中で、ホアキン・コルテスは、その鍛え上げた無駄の無い体を見せてくれる。 踊る場面は一切ないので、Sexシーンで見せてくれる。 そういう”売り”。つまり Sexシンボルとしての売りを意識しての世界的なプロモーションを兼ねた映画らしい。 日本では既に”寝たい男”のナンバーワンにランキングされたという。

感 想

 これだけの前宣伝! これだけ良い脚本家がついているのだから!という期待を破るのは簡単だった。 逆にどうやったらこれほど安易なものが巨額なお金を使って作られるのだろうと感心するほどだ。

 アンドレス・エレディア(ホアキン)は、牢獄生活を送る前は、バンドを組んでいた。デビュー寸前に仲間のボーカルが問題を引き起こす人々の手により、何らかの形で死ぬか、殺されるかし、それが何らかの罠で、アンドレスが罪を被ったのだが、どうやって死んでしまったかも、どうやって罠に嵌ったのかも最後までよくわからない。 わからないまま、話は自己中心的な悲壮感漂う中、進むのである。

 仲間を想い、哀しい時、アンドレスは、自分の部屋でカホン(フラメンコに使われる箱のようなパーカッション)をウオーッと、たたく。 自分の妻には裏切られる。 もう一人のバンド仲間の親友にも裏切られる。 しかし、裏切った親友の妻は、アンドレスを慾愛している。 その親友の妻っていうのも、実はアンドレスの妻の姉だったりする。 とりあえず人間関係ぐしゃぐしゃ。 敵対する家族(どうして敵対しているのかよくわからないが)の何度もの嫌がらせや、闇討ち。討ち間違いで、大切な家族(小さい子供)が犠牲になる。 まっとうに生きようとしても、ヒターノの掟からは逃れられない。 ”ヒターノ“、”掟”この2つのキーワードで何か表現したかったのだろうが、これは勘違い、大失敗。

 フランス人の、レティシア・カスタはホアキンの相手役という事で話題になり、ホアキンの妻を演ずるのだが、ヒターナ(ジプシー)役が似合わないばかりでなく、言葉も吹き替えで、浮いているだけだった。 登場も少なく、なにもわざわざ彼女でなくてもよかった。 グラナダでの撮影ということも話題だったが、4〜5本の道と、サクロモンテの丘が 2〜3箇所、同じ場所が切り貼りのように映るだけ、あとは、バルの中や、家の中の撮影のみ。

 じゃあ、問題のSEXシーンは…? ホアキン、今回3人の女性と絡んでくれます。 一人は、勿論、レティシア・カスタ、妻役。2年間の牢獄生活中、面会も手紙の1通もよこさなかった妻に再会し、裏切り行為を知りつつも…Sex! もう一人は、ホアキンを裏切る親友の妻です。 この女性、もうずっとずっとホアキン(アンドレス役)を慾愛していた一筋女。 ホアキンは彼女の愛情を知っているが操をたてていた。 ある夜、妻に裏切られた事を知って傷つき、その上、対立するグループにリンチに合い、身も心もボロボロのホアキンは、親友の妻の家で介抱をうける。 そこで待っていた介抱とは…Sex! 歩くのさえやっとで、ベットに横になるのも大変だったホアキンだが、何故かそのシーンでは、活動的になっているので笑ってしまう。 もう一人は…。 やはり牢獄生活から帰ったはいいが、人間関係や全てに嫌気がさし、辛くなってしまったホアキンは、誘われるがままに、すーっと街の売春婦と…Sex!

 なんか、美しくなかったです。確かにホアキンも相手役をとっても不足はなし。 設定が美しくない。 情けない、可愛そうなSexばかりのホアキンでした。 まあ、美しいばかりじゃあないです。 ボロボロの時こそ求めるのもありでしょう。 それでも入り込めなかったですね。 最後の最後の土壇場で、裏切られた妻にSexを求められ、彼女を殴ってでも断ったところに、”男ホアキン像”俺は立ち直ったんだぁ! もうおまえには引きずられん! みたいのがあったみたいだけど、これも一人よがりのシーンでした。 踊っているホアキンを見て、”いい体”って確かに思った。私の目には、コンサートの時の、真っ白なスーツに身を包んで踊っているホアキンのほうがずっとセクシーだった。 フラメンコスタジオの女子更衣室での会話。 ”まあ、ホアキンがどんなSexするか知りたかったら映画見ておいでよ! (笑)!!!”…。

 友情出演に、多数のフラメンコのミュージシャン達が出ているが、これも、家の中の意味のない置物のような登場の仕方で大変残念。 ペペ・アビチュエラ、ホアン・アビチュエラ、トマティート、モンセ・コルテス、ナバヒータ・プラテア、ケタマ…。 ケタマのボーカルのアントニオ・カルモナにいたってはひどい役だ。 死んでしまった親友の役はいいとしても、1枚写真が出てくるだけ、しかもいたずら書きのように髭を付け加えられて。 公開前の試写会の時は、真面目なシーンのはずだが、ここで笑いさえおこったそうだ(回想シーンで、もう一瞬登場しますが…)。

 フラメンコの音楽映画として捕らえてみても…。 “あれだけ良いミュージシャンが出てるんだから、もう少しどうにかならないのかしら”と言った友人の言葉。返す言葉もない。

 スペインの中でのヒターノ達の存在はまだまだ微妙な位置なのだ。今、やっとフラメンコという文化が育ってきているのに。 どうしてわざわざまた、ヒターノ達を訳のわからない掟で生きている、普通のルールで生きられない人種。 どうしてそんな印象を強くする必要があったのだろう。 踊りで良い仕事をしているホアキンにとってもマイナスだと思う。

 次回は、作品を選んで、出演してください、ホアキンさま。 キューバのミュージシャンで、しかもジゴロなんて役はどうでしょう? 世界の美女と交わって下さい。そして、もっと美しく! もっとSexyに!  私も好きね〜。

 

     石川亜哉子 (Sara)
協力:Kaoru     

   
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AN~O MARIANO (邦題 仮訳:聖マリアノ年)  
監督: Karra Elejalde, Fernando Guille'n Cuervo
上映時間: 125分
出演: Karra Elejalde, Fernando Guille'n Cuervo, Manuel Manquin~a
種別:コメディ

2000年9月

<あらすじ>聖マリアの年

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 場所は南ヨーロッパのあるところ。マリアノは街道沿いの安っぽいバールに商品を運び込むしがない行商人。 しかもいつも酔っ払い。 ある日いつものように酔っ払ったマリアノはマリファナ畑に車ごと突っ込んで寝込んでしまい、そこで不思議な体験をする。 光を見、マリア様の声を聞いたのだ。 実はそれはマリファナの畑の焼き討ち作業だった。 遠のく意識の中でマリアノが聞いたのは、ラジオの相談コーナーDJ、マリアがささやく甘い声.....

  翌朝、マリアノが目覚めた野原。 そこにやってくるのは雨を乞い、マリア像を担ぎ出した一行。マリアノに神父が声をかけると、マリア像の目から血の涙が!

  村はもう大騒ぎ。 マリアノは一躍聖人に持ち上げられる。抜け目のない自称アーチスト、トニーはこれ幸いと金儲けを企てる。
................

 スペイン映画の97年興行ナンバーワン「エアーバッグ」の脚本ペアが監督をとった作品であることと、デザイン(マリファナの葉っぱをステンドグラスでどぉんと出したポスターデザイン)戦略の相乗効果か、前評判は上々。

 An~o Jacobeo(聖ヤコブの年)をマリファナでもじったタイトルの遊び心もなかなか憎い。

 映画のストーリーそのものは上記の通り、ばかばかしい。 すべてが無知ゆえの大きな勘違いで展開していく。

 登場するキャラクターはてんこもり。 マリア信仰、マリファナ、グアルディア・シビル(治安警察)、リゾート開発を狙う企業家、違法移民、放浪するヒッピー外人、マスコミ....いろんな要素を皮肉たっぷりに表現してくれるが、長い。 この作品で2時間以上はまぁ、確かに笑わせてはくれるが、はっきり言って、ちょっと冗長。 消化不良気味。

 ただ、映画のそこいらにちらばる、キッチュで皮肉とユーモアを利かせた映像の構成はなかなかおもしろい。 俗語を使った表現がどんどん出てくるので、言葉の練習(使い方には気をつけて!)には役立つかも。

 エアー・バッグにも出演していましたが、TVでおなじみのスペインで一番有名なコック、カルロス・アルギニャノ氏も羊飼いで登場。 話題性には欠きません。

かおる

   
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YOYES  
監督 Helena Taberna
上映時間 1時間44分
出演: Ana Torrent, Ernesto Alterio, Florence Pernel, Ramo'n Langa

2000年7月

<あらすじ>

 Yoyesは知性と、意志の強さで女性初のETAの思想的リーダーとなる。 彼女は、次第に暴力化していくETAの活動から離れ、亡命先のメキシコで、勉学に打ち込み、結婚し、母となり、普通の生活を営み始める。  彼女は愛する家族とともに、再び愛する故郷の地を踏むが、ETAの活動に戻ろうとせず、平穏な生活を営もうとしたゆえに、昔の仲間に「裏切り者」とみなされ、自分の子供の目前で射殺される。

 この映画は、実話をベースにしたフィクションであって、ドキュメンタリーではないことが、始めに断られています。  映画は、最近のETAの暴行に対する世論に迎合することなく、政治的にもニュートラルな視点で、自分の信条と郷土愛に生きたある女性が巻き込まれてゆく悲劇をセンチメンタリズムに流されることなく、淡々と描いています。  監督はNavarra出身の女性、Helena Taberna。 この作品が長編では初の作品になりますが、ドキュメンタリーなどで実績のある彼女の作り方はテンポもよく、観衆を引きずり込みます。

 映画のタイトルYoyesは、実在したETAの女性活動家 Maria Dolores Gonza'lez Catarain の通称で、この映画で起こるように、1986年32歳で我が息子の前で、昔の同朋で友人でもあった、Kubatiの手によって殺害されています。

 映画には、ETAの冷酷さだけでなく、GALによるETA攻撃、政府の裏工作、センセーショナルな商業主義に動かされるジャーナリズム、家族の苦しみ、などの多彩な要素が織り交ぜられています。

 それによって、法的にはなんの罪も犯していない一人の人間が、複雑な社会環境に否応無く巻き込まれ、傷つけられ、死に追いやられてしまう理不尽が、非常なリアリズムを持って見るものに訴えてきます。

 地味な作品ですが、Yoyesを演じるAna Torrent(日本でもエリセ監督の「ミツバチのささやき」の子役、Anaでおなじみですね)が繊細ながら芯の強い女性を好演し、また映画のそこここに見られるバスク地方の風習、美しい風景なども含め、見所のある作品に仕上がっています。

かおる

   
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